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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
何者も悼むべきにあらず
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何者か知らぬ彼女の名を知る我は何者か

 暫く項垂れて、その短く切り詰められて細かくカールを描いている頭髪ばかりをハリコに向けていた元警備兵。


 ハリコ自身、目の前にいる彼女が警備兵だという認識は既に薄れつつあった。が、本来の名を聞きたくとも、言葉を発せぬ口で問いかけることはやはり不可能であった。


「お前に聞いても仕方ないかもしれないが……」


「ウ゛ゥ゛?」


 どれほどの沈黙が続いたのか、顔を俯けたままの彼女はハリコに向かって問いかけた。いや、答えを期待できぬ、ほぼ独り言のような内容を聞かせた。


 彼女は顔を上げ、肩口に固定されていた携行照明で、ハリコがすっぽりと身を収めている物置の壁を照らす。先ほどはチラと見えただけであったが、ハッキリと光を当てられれば、釘のようなもので彫られた落書きは至る所に見つかった。


「この……壁に彫り付けられているのは、何の絵だ?顔と、小さな胴体……人形の絵にも見えるが。」


「……ウ゛ゥ゛ー。」


 聞かれても、ハリコが答えられるはずもない。この隠れ家として称して連れてこられた空き家の中、偶然入り込んだ物置に残されていた落書きの由来など。


 ハリコ自身が己の感覚の赴くままに身を落ち着けられる場所を探し出した結果、目の前で問うてくる彼女の妹だった人物がいつも閉じこもっていた場所と、偶然にも一致したことは事実であったが。


「いくつも描いてある……しかし、外見はバラバラではない、全て、同じ姿の人物がモチーフに見える。」


「ウ゛ン……。」


 確かに、物置の壁面をほとんど埋め尽くし、さらには低い天井にも彫り付けられた、二頭身の人形のような落書きは……いずれも同じ姿であった。携行照明の灯りで示されれば、その詳細はより克明に映った。


 落書きの人物はメガネをかけ、伸びた前髪が片目を覆っている。あるいは、稚拙な筆致では片目部分しか描けなかったため、それを誤魔化すように片目を隠すような髪型とされていたのかもしれないが。


「これほどまでに全て同じ姿を繰り返し描いているのは、思いつくままの落書きではないということだよな……なぁ、誰かの姿を真似して描いたのか?こんなにも繰り返して描くほど、思い入れのある相手が居たのか?」


「……。」


 幾度、質問を繰り返されようとも、ハリコには答えるすべなどあるはずもない。


 とはいえ、その理由が気になって仕方ない気持ちも十分に分かる。彼女の妹は、誰の邪魔にもならないよう、この狭い物置に自ら閉じこもっていた。友人どころか家族と交流する機会も、おのずと減っていただろう。


 他者との接触が極端に少ない、そんな幼な児が、存在に固執する人物などごく限られているはずであった。


「なぁ、これは誰なんだ?メガネなんて、この世界ではそうそう流通しているものでもない……教えてくれよ、リコ、お前は誰の存在を、こんなにも思い続けていたんだ……?」


「ウ゛ゥ゛ゥ゛……。」


 確かに、ガラスを生産加工する技術が失われた地下都市では、個々人に合わせてメガネを誂えることなど不可能である。地上から回収された物品の中、偶然にも視力低下の度合いに一致したメガネと出会えた者だけが装着できるにすぎない。


 当然ながら、下層街の住民が購入し得ない高額な品となるだろう。狭苦しく、照明の薄暗い空間で、視力が悪化するほど、ひたすらに書物に目を通し、筆記の練習をし、勉学に励んで安泰の職へ就くことを目指すような人間だけに、用のある代物……。


 ハリコは、まっすぐに、目の前の彼女を指さしていた。


「え?」


「……ウ゛ゥ゛?」


 指さされた相手と同様、指さしているハリコ自身も疑問の声を発した。


 ハリコの記憶内に、もちろんながら先ほどまで示された疑念に対する答えはない。この物置内の落書きの由来など、落書きをした本人、目の前にいる彼女の妹が生前の時に問わなければ、明確な答えなど得られないはずである。


 それでもハリコに、ただ茫然とした表情を浮かべている彼女を指ささせたのは、全く無意識の為せる業であった。


「やっぱり……そうなのか?お前は……リコなのか?」


「ウ゛、ウゥ゛ー……?」


 ハリコが、相手からの問いかけに、そして自分自身の行動に対し、ただ目を丸くしている前で、彼女はまたしても深く俯いた。


 そのまま、肩口を小さく震わせていた……その泣き顔は、再びはハリコに見せなかった。長らく警備兵を務めてきた彼女には、自分を弱く見せてしまうことを極力避けようとする習慣が身についているらしかった。


「俺が、管理局職員としての採用を目指して、勉強に明け暮れ目を悪くし、両親が奮発してメガネを買い与えてくれていたこと……ただのリズァーラーが知っているはず、ないよな。」


「……。」


「あの頃、俺は髪を最低限纏められる程度に伸ばして、普段は余計な時間を使わないようボサボサのままだったし……毎回毎回、お前が俺を遊びに誘う時、横顔しか見せていなかった……。」


 そう言われてみれば、この物置内の落書きと風貌は一致する。


 メガネをかけて、顔が半ば隠れるように伸ばされた前髪。いつも勉強机に向かっている姉を、遊びに誘っては邪険に追い払われていた妹は、そのわずかな印象から理想の遊び相手、優しい姉を妄想しては、閉じこもった物置の壁に落書きを彫り付けていたのだろう。


 誰からも存在を邪魔扱いされた子供の、哀しい執念であった。そして、あまりに奇妙な一致であった。前髪に隠れていない方の片目が、四角い枠で覆われた顔は、まるで……。


「そうか、ほとんど忘れているかもしれないのか。思い出してくれ、リコ。俺はマナコだ……マナコ!この名前は……お前の記憶を掘り起こしてくれるか……!?」


「ウ゛ゥ゛!?」


 マナコ。確かに、その名前は、十分すぎるほどハリコの記憶に刻み付けられたものである。今まさに、そのマナコのために新鮮な養分液を探している最中なのだ。


 涙を拭き終えて充血させた目をこちらに向けてくる彼女が期待している記憶と、ハリコの中における認識とは全く違っていた。ハリコの中に嫌と言うほど印象付けられている"マナコ"の名は、決して人間のものではなかった。


 自分と一緒に処刑任務を担当し続けたパートナー、あの片目を開いたままにするよう四角い枠の固定具を顔に装着した、少女の姿のリズァーラーの名前であった。


「あぁ、反応してくれた……!リコ、やっぱりお前、俺が知っているリコなんだな……!」


「ウ?ウゥ、ウ゛ゥ゛ー。」


 ハリコは否定の意を表したかったのだが、既に警備兵だった彼女……本来、マナコと呼ばれていたはずの人間は、ハリコの小柄な胴体に抱き着き、嗚咽を漏らし始めた。


 悲劇だけで綴られたかのような生き様を辿りながら、彼女の中で幾度も去来したであろう妹への後悔と懺悔が、その口を衝いてとめどなくあふれ出した。


「また会えたら、伝えたいことがいっぱいあったんだ……何から言えばいいのか……本当に、悪かった、あんな勉強ほうっておいて、もっと一緒に遊んでやればよかった、怒鳴りつけたり、追い払ったりしてごめん、お前は邪魔者なんかじゃない、嫌われ者なんかじゃない……!」


「……ウ゛ン゛……。」


 のしかかってくる彼女の、本来リコと呼ばれていた人間の姉であるはずのマナコの、その体重を全身で受け止めながら、ハリコは曖昧な返答を呻くばかりであった。


 ハリコの思考を埋め尽くしていたのは、ただただ戸惑いばかりであった。自分の偶然の振る舞いが、本当に奇跡的にも他の人間の記憶との一致を見たに過ぎない……リコという呼び方、マナコという名前への執着、自分の知るはずのない記憶……それほどに偶然が連続するのも、確かに不自然ではあったが。


 感涙にむせび泣く、全く記憶にない人間の思い出を語り掛けられながら、ヘルメットを脱ぎ捨てた"マナコ"の白い首筋が無防備に差し出されているのを凝視するばかりであった。

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