闇黒の街区に、玉座は辛うじて据えられて
人間が死に絶え、その死肉が"神"と称された菌糸の巨大な塊の養分となってしまった後、無人となった地下都市にひとり残された警備兵。
警備兵は今、思いもよらぬ幸運と向かい合っていた。人間たちを悉く絶命させ、去っていったリズァーラーたちのうち、一体が地下都市に戻ってきたのだ。それも、その手に人間のための食糧を携えて。
「お前らリズァーラーが、何が原因であんな凶行に走ったのか、さっぱり分からない。道具扱いされて人間に腹を立ててたんなら、人間を皆殺しにした後この地下都市を占拠してのびのび生活するのかと思いきや、すぐに全員で出て行っちまうしな。」
「ウ゛ゥ゛……。」
リズァーラーは、携行照明の光で照らされつつも何も答えない。ただ、自分が人間の食糧を持っている様を示していれば攻撃されずに済む、とのみ考えているかのように缶詰を掲げ、唸り続けているばかりである。
人間の思考力でいくら考えても答えが出ないことを、マトモに言葉も喋れないリズァーラーが答えられるはずもない。汚れきった布で覆われた口元から唸り声ばかりを発する相手からの返答を、警備兵は待たず言葉を継いだ。
「まぁいい、過ぎたことに答えを出したって、誰が満足するわけでもない。おい、お前が持ってたってしかたないだろ、その食糧を俺の方に寄越せ、リズァーラー。」
「ウー……。」
相変わらず、目を丸く見開きっぱなしのリズァーラーは、缶詰を手に持って掲げつつも警戒するように警備兵から距離を取ったままで、先ほどから動きはない。
緊張感がリズァーラーの全身から発されている。無理に詰め寄ったりなどすれば、同じ分だけ間合いを取るばかりであろう。
「ほら、俺に食糧を渡してくれりゃあいいんだ、俺の役に立ってくれるんならお前を傷つけたりしない。攻撃するつもりなら、最初からやってるって。」
「グルルゥ゛ゥ゛……。」
牙をむいて威嚇を続けてはいるものの、人間の警備兵に正面から攻撃されては勝ち目がない、とそのリズァーラーが判断しているのは間違いなかった。たしかに見るからに小柄で、ようやく背が伸び始めた頃の少年程度の体格でしかない。
相手がむやみな抵抗を企てていない様は、こちらに食糧を差し出そうとし続けている仕草からも読み取れた。
「だが、そんなに俺を警戒されたら近寄ってもこないよな……そうだ、具体的な命令内容なら、従いやすいか?その缶詰を床に置き、俺の方に転がせ。」
「……ウ、ウゥ゛?」
明確に動作を指定した命令を与えた時、ようやくリズァーラーは今までとは違った動きを見せた。
目の前にいる警備兵の仕草を見真似ながら、缶を足元に置き、平べったい円柱形の缶詰の向きを合わせ、手でそっと押して転がした。
多少向きはズレていたものの、ようやく自分の手元へやってきた缶詰を手に取る警備兵。
「ありがとよ……あぁ、よかった、状態はいい、傷も目立ったのはついてないな。さっきお前が廊下に転がした缶詰は、あんまりにもあっさり叩き斬れたせいで、錆びまくってんのかと思ったぜ。」
「……。」
片手で缶詰を拾い上げつつも、もう片方の手ではずっと幅広の刃物を手放していない警備兵。いかに体格や筋力で勝るといえど、人間の処刑をも担当していたリズァーラーを相手に、無防備な状態を示すわけにはいかない。
リズァーラーからの警戒の視線も、主にその武器に向けられていた。長期間にわたって保存状態を保つ頑丈な缶詰を、先ほど一撃で叩き割った刃物が、リズァーラーの頭部程度をかち割れないはずがない。
それに、警備兵によって全身を切り刻まれ損壊させられている別のリズァーラーが、既にこの部屋に横たわっていたためでもあろう。
「ぅぅ……あぁ……。」
「ウゥ゛ゥ゛、グルルゥ゛ゥ゛ー。」
「あぁ、そっか、お前はソイツと同じ目に遭わされないか、って気にしてんのか。心配すんな、そっちはちょっとした事故みたいなもんだ。そりゃあ、人間をリズァーラーがことごとく殺して去った後に、居残っていたリズァーラーと出くわしたら、敵だと思うのも無理はないだろ?」
四肢が叩き潰されてバラバラな方向にねじ曲がり、顔面も切り刻まれて穿たれた穴が虚ろに黒く口を開いているリズァーラーが、カティーと呼ばれる存在であったことを警備兵は知らない。
そのカティーが、上層街の人間たちを効率よく殺処分するお膳立てをした元凶であることも知らない。カティーは全く不運かつ偶然に、上層街で誰も居ない真っ暗闇を楽しんでいたところを、生き残りの警備兵に襲撃されただけであった。
「リズァーラーどもがことごとく地下都市から出ていったのに、そこで転がってる奴がなんで残ってたのか、お前もなんで戻ってきたのか、さっぱり分からん。あ、まさか、コイツに会うため戻ってきたのか?で、俺に仕返しを企んでるんじゃないだろうな。」
「ウゥゥン、ウゥ。」
警備兵からの問いかけに、リズァーラーは明確に首を横に振った。言葉を発せぬ彼が初めて、明確に示した返答であった。
リズァーラーの側も、警備兵に対して敵意を抱いていると判断されるのは不本意かつ不都合であったろう。この状況で敵対したところで、リズァーラー側は勝ち目などないのだから。
「そうか、ならいい……結局、なんでお前だけが、この地下都市に帰ってきたのか、理由が分からないことに変わりはないけどな。」
「……ウ゛ゥ゛ー。」
「俺の一番楽観的な見立てを言ってやろうか。お前は仲間のリズァーラーどもと地上に去っていったが、やっぱり人間たちと暮らしていた以前までの生活が恋しくなった。だから、人間が生き延びている僅かな可能性に賭けて、食糧を携えて戻ってきた……違うか?」
あまりにも警備兵の側に都合の良い解釈であったが、あながち事実から外れていたわけでもない。
目の前のリズァーラーは……彼がハリコという名で呼ばれていたことを、警備兵は覚えていなかったが……少なくとも普段の過ごし方の中で、不満を抱く要素など無かった。命令された通りに処刑任務を執行し、ご褒美の養分液を得る。ただそれを繰り返していただけなのだ。
さほど期待せずに返答を待つ警備兵の前で、小柄なリズァーラーは、迷いながらも小さく頷いた。
「ウン……。」
「嘘をつくのが下手だな、リズァーラー。まぁ、嘘が上手なリズァーラーに居てもらっても困るんだが。」
「……ウ゛ゥ゛ゥ゛ー。」
警備兵からそう言われても、言葉を発せずただ唸るしか出来ないリズァーラーには、どう弁明することも叶わない。
明確な答えを得られない事項について、拘泥しないでいることに警備兵はすっかり慣れているようであった。それに、人間用の食糧を地上から持ち帰ってきたという行為については、見出せる可能性も限られてくる。
「どうせ管理局の手駒だ、局のお偉いさんから受けた命令を単純に守って、食糧を持ち帰ってきたんだろ。だが、命令を下した奴を探す必要なんか無いぜ、俺以外に生き延びてる人間は居ないからな。」
「……。」
「おっと、勘違いするなよ、俺が手に掛けたわけじゃないぞ。確認しただけだ、管理局の建物も無人だってことを。」
自らの任に忠実なリズァーラーが、眼前の人物を処刑すべき存在として認識する前に、警備兵は補足しておいた。
あらゆる住民の存在が絶えたことで既に地下都市の社会構造は消え去り、今さら殺人の罪に対する処刑任務などを遂行しても仕方がないのだが、自ら考える頭を持たないリズァーラーには行動の不必要性、自らの無罪を明示しておくに限る。
警備兵から喋られる内容についてどの程度理解できているのか、リズァーラーは驚いているとも警戒しているとも取れぬ表情で、目を真ん丸に見開いているばかりであった。
「さて、お前は命令を下す存在が居なくなり、俺も警備すべき人々が居なくなった……お互いに用無しの存在ってわけだ。これから、ずっとヒマだろ?だが、俺なら命令を、お前に為すべきことを与えてやれる。」
「……ウ゛ゥ゛ー……。」
「どうせ生き延びても、無人の都市の中を彷徨うだけだと思っていたが、お前が戻ってきてくれたおかげでもう少しマシな末路を選べそうだ。」
実際のところ警備兵は、地下都市の中に何一つ動く存在もなく、自分が手にした携行照明以外に明かりも無い状況に、飽き果てつつあった。
自分が拠点と定めたこの屋敷に戻って来ては、体を損壊されてもまだ死にきれないリズァーラーが横たわって呻いている様を眺めつつ、空気タンクの残量を確認し、徐々に減っていく備蓄の食糧に手を出すぐらいしか、やることはなかった。
だからこそ、ある程度は自律行動できる存在……さらには、危険な胞子が降り続く地上世界へと出て、食糧を探し持ち帰って来れるリズァーラーと会えたことは、大きな転機だったのだ。
「なぁ、永遠の孤独だけが保証されてる中で、光と糧が尽きて死ぬことを、想像する必要もない状況ってのは、嫌なもんだろ?」
「……ウ゛ゥ゛……?」
「リズァーラーごときには、理解できないか。どうせ死ぬことに変わりないのに、って思ってんだろ。けどな、人間ってのは、僅かでもマシな死に様が欲しいんだ。」
警備兵は喋りながら、長らく向き合っていたリズァーラーに対して背を向ける。しばらくぶりに示された彼の大きな体の動きに、相対しているリズァーラーはビクッと跳び退いた。
なかなか警戒心を解かずに互いの距離も縮めようとしないリズァーラーへ苦笑しつつ、警備兵は背中越しに声をかける。
「ついてこい、久方ぶりの話し相手になってくれた礼だ。ここは万が一に備えた罠にすぎない、俺が本拠として構えている場所に連れてってやろう。この地下都市で、一番偉かった奴の部屋に行く。」
「……?」
「言っただろ、マシな死に様を選びたいって。この地下都市で唯一生き延びた俺が、現状、トップに立ってるってわけだ。王の座を自分のものにしたって、誰からも文句は言われないだろうよ。」
相変わらず分厚いマスクに覆われて、警備兵の表情は見えなかったが、声色に少なからず明るさが加えられていることは間違いなかった。
しかし、こちらに背を向けている彼を凝視しているハリコが、視線を注いでいるのはただ一点であった。警備兵の装備、その弱点である薄い防護膜で覆われた首筋。彼を確実に絶命させるためには、そこに噛みつき、牙を通して頚椎を断裂させねばならない。
「ウゥ゛ゥ゛ー……。」
だが、警備兵の首筋は、どこの廃材を拾ってきたものか、分厚い金属板で覆われ、錆びた鋼線で巻かれ固定されていた。
発電施設での処刑任務の際、目の前で警備隊長が首を噛み裂かれて殺された現場を見ていた警備兵が、同じ殺され方を防ぐための対処をしていないはずもなかった。




