終幕を告げる光は、とうに一帯を包み
暫くの間、ただ狂ったように笑い続けている大司教を、門徒たちはただ黙ったまま眺めるばかりであった。
彼らが無表情となっていたのは、最初の内は困惑であり、やがてそれは途方に暮れる感情へと取って代わられた。目を離していた隙に"神"には去られ、もはや大司教も門徒たちへ指示を下そうとはしないのだ。
「アハハ、アハハハハ!神はもとより、我らを必要としていなかった!どこにも導こうなどとは!アアッハハハハハ!」
「……大司教様、教えてください。俺たちは……次に何をすればいいんですかい?」
門徒のひとりが、ようやく気を取り直したように尋ねるも、大司教は答えない。
答えられるはずがない。どこまで行ってもただただ菌糸に覆われ、胞子が降り続くだけの茫漠たる荒野。時間的にも、空間的にも、際限なく広がる世界。行動目的など、どこからも与えられない。
彼らは、完全なる自由を手に入れていた。それ以上死ねないリズァーラーたちは、永劫にわたる不要な時間を与えられたのだ。
「笑ってないで、教えてくださいよ……神が居なくなったのなら、俺たちを導くのは、アンタの役目だろ……?」
「今まで通り、大司教……次の目標を教えてくださいよ。俺たちに、指示を……!」
「ハハハ、アッハッハッハ!ない!ないない!あぁ、愚かで、憐れな門徒たちよ!可哀想に!もう、我らは誰からも必要とされないのです!我らは何の必要も見出せぬのです!ハッハッハッハ、アーッハハハハ!」
大司教の笑い声は、本当に朗らかであった。気が狂ったような表情の下で、彼は初めて、リズァーラーとなってからついぞ覚えたことの無い、解放感を味わっていたのかもしれない。
いちいち威厳や宗教的意味を示しながら、門徒たちへと指示を出し、率い続ける道はこれまでも困苦を極めただろう。
下手をすれば無意味に終わるかもしれない、"神"へのノロノロした随行の間も、ありもせぬ権威性を誇示し、自らの虚ろな立場を維持し続けなければならない……そんな道程が今後どこまで続くのかと考えれば、絶望にも近い感情が湧き上がってきたろう。
「さぁ、自由です!門徒たち、いや、無用のリズァーラーたち!我々は、人間に使役されることもなく、神への奉仕からも解放された!もう何もしなくてもいいし、何をしてもいい!」
高らかにそう宣言する大司教の表情は、あまりにも晴れ晴れとしていた。あらゆる指示、役目、必要に縛られていない状態は……たしかに、リズァーラーが真の解放を得た結末だと言ってよかろう。
だが、門徒たちの心境は、ますます喜ぶには程遠い状態であった。
「何をおっしゃっているんです、大司教……?」
「指示を、ください、大司教。俺たちは、アンタの指示にしたがって、ここまで来たんですよ?」
大司教によって導かれたこれまでの経緯は、確かに畏敬の念を感じ起こさせる経験に溢れていた。その最たるものが、"神"と呼ばれる菌糸の塊とともに地上世界への脱出を果たした体験であったろう。
だからこそ、門徒たちは今、この場所まで大司教に付き従ってきたのだ。ここに来て、唐突に自由を与えられても、周囲に広がっているのは廃墟と荒野のみである。
彼らの存在性を責め苛む、久遠の時間ばかりが横たわっている。
「言ったでしょう!あなた方に与える指示などない!理解できませんか!命令されていない状態を、経験したこともないあなた方には!アハハハハハ!」
「笑ってないで、答えてくれよ大司教!答えろ、俺たちは何をすればいい!」
門徒たちは……既に信奉すべき"神"からも、教導する大司教からも見放された彼らは、ただ図体の大きなリズァーラーにすぎなかったが……指示なくして行動目標を見出せぬ存在とはいえ、人形や機械とは違う。
彼らにも、生前人間だった時と同様に感情が備わっていた。
「ここまで俺たちを引っぱりだしたあげく、指示が無いだなんて、どういうことだ!俺たちは、住む場所を失くされただけじゃないか!」
「見ろよ、周りを!都市の残骸だけだ、ことごとく漁られ尽くしたあとの!もう何もない!他の場所に行こうったって、誰も導いてくれない!」
「あぁ、憐れですね、痴れていますね、皆さん!自分から、何も目的を見いだせないというのは!可哀想に!こんなに絶望的な自由があるものですね、私は学べて幸せです!アッハハハハハハ!」
途方に暮れて喚き散らしている群衆を、もはや嘲る思いも隠そうとはせず、心底から楽しそうに笑っている大司教。
そもそもが。大司教の言いつけに従わず、ゆっくりとしか進まぬ"神"の遅さに焦れて、勝手な行動へと走った集団の責であったのだが、そのことを順序だてて思い出せる思考を有する者はこの場に無かった。
もはや沸点を越えた彼らの感情の矛先は、けたたましく笑い続けている大司教にのみ向けられていた。
「コイツ……!俺たちが導きを失ったことが、そんなに面白いのか!」
「その笑い声、二度と出せなくしてやる!」
「あぁ、私の身体を壊すつもりですね!どっちにしろ、変わりませんよ!この先、いくら形を保って永らえても、何にも起きない、何も変わらない時間が流れるばかりですから!」
火に油を注がれ、いよいよ怒り心頭に発した屈強なリズァーラーたち、もとは門徒たちと呼ばれていた彼らは、大司教へと襲い掛かり、その上半身だけとなった身体を力尽くで持ち上げ、投げ飛ばして離れた地面へと叩きつけた。
怒りの矛先を向けるべき存在が、殴りやすい広い場所に転がったのを見て、彼らは寄ってたかって怒りに任せた殴打、踏みつけを続けている。
「俺たちに、何の指示も出さないんなら、お前なんかいらねぇ!この、ゴミ、ゴミが!」
「まだ、ブラックマーケットで過ごしてた頃の方が、よっぽどマシだった!余計なことをおっぱじめて、俺たちをこんな荒野に連れ出しやがって!」
怒号の中に埋もれ、大司教の声はもはや聞こえない。
市民から使役される立場の者たちを率いて都市を脱出し、茫漠たる荒野にて彼らからの反感を買うというのは、かつての地上文明における聖書に書かれた内容と、図らずも重なる展開であった……大司教は、そのうえで群衆の説得に成功するほどの聖人では決してなかったわけだが。
「ウゥ……!」
これまでの状況を、他の者たちからも存在を忘れ去られ、ただ目を丸くして呆然と眺めていたのはハリコである。
大司教の狂った笑い声、憤怒に身を任せて暴行を続ける門徒たち、それらに視線を奪われていたハリコは、ハタと我に返り、重大な現状に気づいた。
大司教の上半身が力任せに投げ捨てられたということは、それが張り付いていた死体箱の蓋も無くなっている、ということである。
「ウ゛ゥ゛、ゥ゛、ゥゥ゛!」
今は誰も彼も、大司教の身体をやみくもに殴打しつづけることに夢中となっており、死体が収められている箱に見向きもしていない。これ以上行動を続ける必要もなくなったのならば、行動用の養分にはすでに用がないのだ。
しかし、ハリコには必要だった。死体を持って帰り、あの地下都市に戻り、マナコちゃんの身体を動かす養分にするために……!
「エ……。」
箱の中を覗き込み、ハリコは自分が見たものが信じられず、滅多に上げることのない類の鳴き声を漏らした。
そこには、確かに人間の死体が入っていた。
……しかし、無数の菌糸が既にまとわりついており、養分も水分も吸い尽くされた、カラカラにひからびた姿となってしまっていた。
「ァ……ウァ……ア……。」
大司教が、自分の上半身を箱の上に固定するため、"神"の身体からちぎり取った菌糸を用いたのが、その原因だった。
木箱程度では、菌糸の根が入り込むのを防ぐことは出来ない。養分に飢えている菌糸の束は、大司教の上半身と融合するだけで済まさず、死体箱の中へと入り込み、その養分を悉く吸い上げていたのだ。
「……。」
ハリコは、呆然としながら立ち上がり、顔を上げた。
門徒たちは、相変わらず大司教の身体を踏みつけ、廃材から作ったお手製の鈍器でなぐりつけ続けている。死体箱の養分をたっぷりと吸い込んだ大司教の身体は、元々頑強だったこともあってなかなか壊れないのだろう。
ここでボンヤリしているわけにはいかない。彼らが大司教の身体を壊すのに飽きたら、その矛先がこちらに向けられるかもしれない。
「……ウゥ!」
ハリコは立ち上がり、もはや固執する必要もなくなった、養分を吸い尽くされ乾涸びた死体にも背を向け、走り出す。
彼が向かう先は、ハッキリしていた……あの地下都市の中である。ここまでがさほどの移動距離ではなかったおかげで、視認できる範囲に入り口は見えている。もはや活動再開させられる可能性が皆無だったとしても、マナコの身体はそこにあるのだ。
どうせなら、一緒に居たい。マナコちゃんと。
「ウィーパ……私たちは、どうすれば……。」
ハリコが走り去った後、キャシーは腕の中に抱きしめたウィーパに、相変わらずの問いをかけつづけていた。
誰かから指示されないかぎり、自分の為すべきことを見いだせないリズァーラー。その点では、キャシーも門徒たちと本質が変わらなかった。
「……。」
むろん、ウィーパは何も答えない。少なくとも、自分までも大司教と同様に体を潰されたくはない。そう考えたキャシーもまた、ウィーパを抱き上げて立ち上がった。
門徒たちの集団を見れば、変わらず地表に放り出された大司教の身体を、もはや原形を留めぬほどになっているだろうが、彼らはなおも執拗に叩き潰しつづけている。
……しかし、その動きは徐々に鈍くなっているようにも見えた。
「どうしたんだ、彼らは養分不足なのか……?」
目を凝らしたキャシーは、ある変化に気づいた。
集まっている集団全体を、細かな菌糸が覆い尽くしているのだ。最初は、空から降り注ぐ胞子の白ともまじりあうほどの薄さだったのが、徐々に蜘蛛の網が張られるかのように、明確に視認できるようになっていく。
「いや、違う、彼らを捕えるように、細かな菌糸がまとわりついている。」
大司教の上半身に融合していたのは、"神"と呼ばれる存在からちぎり取った菌糸。"神"はあらゆる養分を吸い上げ、この世界の土壌と為すことが目的である。
叩き潰された大司教の身体から、その菌糸が飛び散った結果、その場に密集していた門徒たち……まだ活動するだけの養分を残したリズァーラーたちの身体を取り込み、土壌と一体化させようとしているのだ。
「ウィーパ、私たちは、逃げないと。あの菌糸に取り付かれたら、私たちまで吞み込まれてしまう……!」
「……変わらないというのに。今さら、形を保って永らえたところで、何も……。」
ウィーパの返答は相変わらず消極的なもののままであったが、キャシーは彼の身体を抱きかかえて急ぎ足にその場を離れていった。
先ほどまで怒り狂っていた門徒たちの集団は、やがて大きな繭に包まれるかのように、大司教の身体からあふれ出した菌糸の塊に飲み込まれ、一帯は何者も存在しない静けさを取り戻していった。




