導きは捨てる者を追わず
もはや帰る必要も無い地下都市への入り口を通り過ぎた後は、ただ真っ白く柔らかな菌糸に包まれた大地と、常に胞子を降り注がせる綿雲に蓋された空のあいだを歩むばかりであった。
変化が無いのは、周囲の光景のみではない。時間の経過を感じ取れる変化も起きなかった。
「大司教様……我らが出発してから、どれほど経ったでしょうか。」
「門徒の皆さん、時の流れを慮る必要はありません。我らは神に導かれているのですから、必ず求める場所へたどり着きます。」
率いられる門徒たちの問いかけに対し、死体箱に上半身だけの姿で癒着している大司教がそう返答することは、幾たびも繰り返された。
いくら時が過ぎても、夜が訪れることもなかった。僅かながら、光が弱まる時間はあったものの。大気中を埋め尽くして降り続ける胞子によって、乱反射する光が全世界に届き続けているためであったろう。
もとより自然光の無い地下都市で暮らし続けていたリズァーラーたちが、昼夜の概念など知るはずもなかったが。
「神の進む方向へ、先発隊を送ってはいかがでしょうか。先んじて真っすぐ進めば、いずれ神が到着する予定の地へ、はやばやとたどり着けるかもしれません。」
「我らを導く神に付き従うのが、敬虔なる門徒として求められる行いですよ、皆さん。神を抜き去り、勝手に進もうなどと、不信心の極みです、自省なさい。」
このあまりにも退屈すぎる旅路に、ひときわの苦痛を加味しているのが遅々たる歩みである。"神"と呼ばれる菌糸の巨大な塊は、小山のようなサイズのナメクジめいてジリジリと這い進んでいくばかりであった。
何の目印もない菌糸の原野、自分勝手に歩を進めれば、たちまち己の居場所を見失って、何事も為せぬまま半永久的に彷徨うはめになるのは目に見えている。
「俺たちの後ろに、何か見える。」
「あれは、地下都市への入り口だ。俺たちがずっと前に、通り過ぎたはずの場所だ。」
門徒たちは、振り返ってはそんな言葉を交わしている。他に目印になるものがそうそう無いだけに、僅かでも特徴的な造形物は、どれだけ後にして過ぎ去ったとしても、なかなか自分たちから距離が開かないようにも思われた。
踏み出す足の下も柔らかく、リズァーラーにとって最適な湿度も保たれた世界であり、何者からも急かされるわけでもないのに……この旅路は、あまりにも苦痛にみちていた。
「ウゥ……。」
ハリコは変わらず、大司教の上半身がくっついた箱を凝視し続けている。あの中に収められた死体さえ、手に入れられれば、この終わりなき退屈と苦痛から逃れられる……。
ひとつの可能性を見出すとするならば、キャシーによる協力を得ることである。リズァーラーの中でも抜きん出て身体能力に優れている彼女であれば、屈強な門徒たちを打ち負かすことこそ出来ずとも、十分な攪乱は可能だろう。
今のキャシーは、自分の腕の中にしっかりと抱きしめたウィーパに、時おり気づかわしげに語り掛けながら門徒たちについていく以外、すべきことを見いだせない様子であった。
「ウィーパ、ずっと動かないが、大丈夫か?栄養分は、まだ余裕あるよな?お前は、まだ存在を必要とされているんだから。」
「……。」
ウィーパは、もはやすっかり身動きすることも、返事することもなく、ただキャシーの腕の中で人形のごとく抱かれるに身を任せていた。
ウィーパの存在が必要とされること……すなわち、新たな都市を見つけ、人間社会に入り込み、彼らを罠に嵌めて壊滅させ、死肉を"神"に養分として捧げること……そんなことは、もう起きないと分かり切っているようだった。
あの地下都市の中で、生き延びていたのが最後の人類だったのだから。
「前方に……前方に、何か見えます!」
列の先頭を歩いていた門徒が、そう叫んだのは気が遠くなるほどの時間が過ぎた頃であった。
ノロノロとした歩みでは、まだ大した距離も進んでいなかったかもしれないが。
「大司教様!あれは、おそらく、都市です!」
「間違いない!人間が作ったものだ、あれは!」
確かに、多少傾き、破損してはいたものの、遠くからでもハッキリと目につく巨大な直方体は、人工物に違いなかった。
地上のあらゆる地形を埋め尽くす菌糸も、あまりに巨大すぎる存在は覆い尽くせない。かつて地上の文明にて築かれた、超高層ビルがそこには聳えていたのだ。じりじりと近づいていくにつれ、周囲にも控えめな高さの建造物……の廃墟が見える。
「大司教様!神は、あの場所へと向かっているはずです!行きましょう!」
「まっ、待ちなさい、我らを導く神を差し置いて、先走ってはなりません……。」
「いずれ同じ場所に着くのですから、神の導きに従っていることに変わりありません!」
俄かに浮き立ったリズァーラーたちは、これまでノロノロと足を引きずるようにして歩いていたのとは一転、大司教の説教や叱咤を聞き入れることも無く、足を速めて前方の都市の廃墟へと進み始めた。
ウィーパを抱きかかえているキャシーも、自分たちが必要とされるはずだと信じて門徒たちについていく。もちろんハリコも、慌てている大司教の上半身が癒着した箱の中身、死体の詰め合わせに逃げられてなるものかとばかりに追従した。
神輿のように担ぎ上げられた箱の上、大司教は何処にも届かぬ腕を振り回し、思いのほか通らなくなっている声を振り絞って門徒たちに制止を掛け続けている。
「門徒の皆さん、足を止めなさい、神を置き去って勝手に進んでは、なりません……。」
その声は、門徒たちが上げる歓声にかき消された。
あるいは、彼らは大司教からの言葉を聞くまいとして、敢えてかき消すために、いよいよ導かれるべき地に到着したとばかりに歓楽の声々を張り上げていたのかもしれないが。
……当然のことながら、地上に存在する都市に、人間が住んでいるはずはない。
「どこかに、胞子や菌糸から逃れて生き延びるため、地下に逃げ込んだ人間たちが潜んでいるかもしれない。」
「これほど大きな都市があったのなら、相応の人口が生き延びていていいはず……探して参ります、大司教様!」
「ですから、門徒の皆さん、勝手に行動をしては……」
声を張り上げ続けたため、喉が嗄れている大司教の弱々しい言葉など聞こえぬふりをして、門徒たちは都市の廃墟の中を、四方八方に散って探索を始めた。
確かに、かつては大規模な居住地だったと思しき場所である。建築物の大半は菌糸の土壌に埋まり、高層建築物の上部ばかりが突き出ているような様相ではあったものの、それでも見回す限り数十の建造物が林立している。
「ウ゛ゥ゛ー。」
ハリコは、今度こそ死体を奪えるタイミングではないかと大司教の上半身が貼りついた箱へと視線を注いでいたが、忠実に大司教の周りに護衛として残り続ける門徒たちは、まだ居なくなったわけではなかった。
キャシーもウィーパを抱いたまま、この場に居残っていたが、自分たちが歩いてきた跡へと視線を向け、目を凝らした先に何かを見つけたらしい。
「ずっと遠くに見えているが、あれは……私たちが出発した地下都市の入り口じゃないか?視認できる程度の距離しか、ここまで離れていないのか。」
どれだけ遅い進みであったか、いかに大したことのない距離しか進んでいなかったかをはっきりと物語る、あまりにも呆気ない一望であった。白く巨大なナメクジのごとき身体をした"神"が、今なお這い進んでいる様が離れて見える。
……この程度の近さで到達できる間近の都市の廃墟が、門徒たちによって初めて発見されたものだとは、とても考えにくかった。
案の定、都市廃墟の中をあちこち見て回り、じっくり隅々まで探索し、戻ってきた門徒たちは、沈んだ表情であった。
「大司教様、既にこの街には人間が生きている痕跡はありません。しかし、他の痕跡は見つかりました……。」
門徒の一人は、朽ちた箱の一部分のような破片を掲げて見せた。
「おそらく、食料品が入っていた箱です。この中身は、既に持ち去られています……我々の居た地下都市から、地上の物品を回収するため送り出されたリズァーラーたちの仕業でしょう。」
すなわち、物品回収用のリズァーラーたちが、この街を隅々まで探索し尽くし、目ぼしい食料品や貴重品を漁り尽くしたあとだった。
"神"などに導かれずとも、新天地へ向かうという壮大な旅路を覚悟せずとも……地下都市から送り出され最も安易にたどり着ける廃墟が、門徒たちが先ほど喜び勇んで目的地だと勘違いした、この場所だったのだ。
「だから……だから、申し上げたでしょう、門徒の皆さん!敬虔さを失ってはならない、と!」
しばらく項垂れて自分の喉の回復を待っていた大司教は、恐ろしいほどの怒号を発した。
地下都市にいる間は、決して声を荒らげなかった彼の発した大声に、ハリコやキャシーは当然のこと、屈強な門徒たちも思わず慄いて飛び上がり、後ずさった。
「なぜ、神の導きに従わないのです!己の足の赴くままに歩いては、凡俗の者らと行き着く先は変わりません、当然のことでしょう!」
大司教からの叱責を受けている間、門徒たちは項垂れてじっとし続けいた。ハリコにとっては死体を強奪するチャンスではあったが……当の死体箱の蓋に乗っている、上半身だけの姿となった大司教が発する気迫に圧され、不本意ながら近づくことが出来ない。
その後も暫しの間、大司教の怒りに任せた説教は続いたが、居並ぶ門徒たちの中でも端の方にいた者がふと顔を上げ、重大なことに気づいたような声色で、悲鳴を上げた。
「……あぁっ!」
「きちんと私の言葉を聞きなさい、門徒よ!そのように集中を乱している様子では、今後も神とともに歩むことは罷りなりません……」
「"神"はどこにいった……!?」
皆、一斉に顔を上げ、恐ろしい現実に気づかされた。
ただゆっくりゆっくりと這い進んでいたはずの"神"は、既にこの場から見渡せる範囲に姿がなかった。あれだけ巨大な菌糸の塊、多少離れた程度で見失うはずがない……そう思われていたというのに。
そんなに長い時間、目を離していたつもりはなかった。あるいは、時間感覚が狂った結果、門徒たちはこの廃墟の探索にあまりにも時間をかけすぎたのかもしれないが。
「いない、いないぞ!」
「俺たちを、導くはずの神が……!」
悲痛な声を上げ、まだ何かを言いたそうな大司教を置き去り、門徒たちはめいめいに、"神"の巨体が這い進んでいたと思しき方向へ散らばって走り出す。それぞれ全く違う方角へと向かっている時点で、もはや道を見出せる希望は潰えていたが。
ハリコもキャシーも、彼らの吃驚や悲嘆の声に衝き動かされるように、周囲を見回した。
「ウゥゥー……!?」
「まさか、あんなにゆっくり進んでいたのに、見失ってしまうはずなど……。」
門徒たちと同じ信念を抱いていたわけではないのだが……何の目印も道標も無い、真っ白な菌糸の荒野のなかで目標を見失うことは、確かに恐ろしかった。
が、ハリコにとっては今度こそ好機であった。何しろ、あまりの出来事に、常に大司教の傍に付き添って護衛を担っていた門徒たちさえも、離れた場所へ走り去っていたのだから。
大司教の上半身が菌糸で張り付いた蓋を取り除き、死体の一部でも噛み取って、とにかくこの場から離脱すれば……。
「ア……アハハ……!アァーッッハッハッハ!ヒャーッハッハッハハハァ!」
「……ウ゛ゥ゛!?」
しかし、大司教が、唐突にけたたましい笑い声を立てたのが、ハリコにとっての誤算であった。
ハリコでなくとも、誰も予測できない反応だったかもしれないが。周囲に響き渡る大司教の笑い声につられ、一旦は四方八方に走り去った門徒たちが戻ってくる。
大司教は狂気じみた表情とともに、天を仰いで笑いながら叫ぶばかりであった。
「神よ!我が懺悔は届きませんか!お見捨てになられたのですね!我ら罪深きリズァーラーを!えぇ、分かっていました!決して赦されはしないだろうと!ア、アハハハハハ!本当ですね、ウィーパ様!我らは、必要ではない!もう、終わっているはずでした!ハッハハハハ!」
彼の笑い声は、沈黙と共に集まってくる門徒たちの間をすり抜け、建造物の廃墟にこだまし、そのまま、何者も聞き届けることのない菌糸の荒野の果てへと吸われていった。




