目の先の標は、あまりにも近く、地平は遠く
あてのない門徒たちの旅路を、一層のこと果てなく感じさせたのは、単に遅々たる進みだけではない。
地上に出たときに見渡した通り、見える限りの範囲は降り注ぐ白い胞子に覆われ、空は綿のような雲で蓋され、地表は菌糸によって埋め尽くされている。すなわち、どれほど進んでも周囲の景色に変化が無いのだ。
「大司教様、俺たちが進む方向は、このままでいいんですかい?」
引き連れられている門徒が、そのような問いを大司教へ投げかけるのも、一度や二度のことではなかった。
死体を詰めた箱の上に、絡みついた菌糸によって上半身だけの姿で固定された大司教は、同じような答えを繰り返すばかりであったが。
「門徒の皆さん、神の導きに従いなさい。神は、必ず我らを新たな地へと導いてくれます。」
確かに、この茫漠たる菌糸の荒野の上、目印も道標も無く、ただ放り出されてしまっては、途方に暮れる他はない。
大司教を担いで進む、この集団の次なる目的は、新たに人間たちが命を繋いでいる都市へとたどり着き、再び大量の死肉を確保し、神へと栄養分を捧げることである。
「我々には、役目があります。神は、我らを求め、我らの奉仕がある限り、正しき道を示してくださいます。」
当の大司教も、それ以外に言えることが無かったのだろう。
ただただ地面を這い進む、巨大な菌糸の塊にすぎない"神"は言葉を発さない。大司教の教えに従い、随伴し続ける門徒たちを求めているなど、一言も喋ったことなどない。
「大司教様の、仰る通りだ。現に神は、俺たちが真隣りに居ることを拒んでいない。ついてこい、と言わんばかりじゃないか。」
門徒たちは疑いを持たなかった。信仰心ゆえではなく、疑いはすなわち自分たち自身の存在意義を揺るがす行いであったためだ。
何者も、自分たちを必要とせず、何の目標物も見当たらないこの世界で、向かうべき場所など無い、と信じるよりもはるかにマシだった。
大司教や"神"とやらに、もとから信心など抱いていないキャシーやハリコにとっては、ただただ退屈な歩きにすぎなかったのだが。
「……。」
「なぁ、ウィーパ、私たちはどこまで歩き続ければいいんだ?門徒たちは、終わりのない旅を続けようとしているんじゃないのか?」
キャシーは、自分の腕の中に抱きしめているウィーパに向かって、そう問いかけた。
あの地下都市の中では、何事もウィーパに尋ねれば、よほど問うまでも無い安易な内容でもない限りは答えてくれたし、ウィーパが常に次の目標をこしらえて、持ってきてくれた。
しかし、今のウィーパは、自ら動こうとする気を一切起こさず、目を伏せるばかりであった。それでも、キャシーに問われたからこそ、言葉少なに返しはした。
「言ったでしょう。我々リズァーラーは、もう存在する必要が無いと。」
周囲の門徒たちとは別の理由で、キャシーにとっては信じたくない答えであった。せっかく自らの意思で行動し、見えるものに感じ入り、言葉を語り掛ける身体を有しているのに、己が存在する必要など無い、とは……。
とはいえ、ウィーパの軽い身体を、こうして抱きしめている現状より他に、望むことがないのも事実であった。
「ウ゛ゥ゛ゥ゛……。」
その点、目標がはっきりと設定されているハリコのほうが、よほどこのノロノロとしか進まない集団の中で、退屈から遠く在れただろう。
あの箱、大司教の上半身が固定されてしまった箱の中に、死体がある。死体を奪って、地下都市の中に帰って、マナコちゃんを復活させるための養分にする。
死体を奪い取る好機が今後、必ず訪れるはずだ。そう信じられる証拠は何もなかったが、彼はじっと死体の箱へと視線を注ぎながら門徒たちについて行っていた。
「大司教様!前方に何か見えます!」
時間を計る術などどこにもない中、ただただ相当な時間、遅々たる歩みを続けた先に、列の先頭の門徒が叫んだ声は一同の顔を上げさせた。
地上に出た瞬間には感動的に思われた、降り注ぐ胞子と光に満たされた世界をも、今や見飽きた面々は項垂れて自分の足元ばかりに視線を注いでいたのである。
確かに前方、空中を埋め尽くした胞子に白く煙る中でぼんやりとはしているものの、四角く盛り上がった何かが見える。
「門徒の皆さん、確認しに向かってください。もしかすると、別な地下都市の入り口かもしれません。そうだとすれば、まだ生き延びている人間たちが居る可能性はあります。」
「や、やった!ついに、神に捧げる新たな養分を見出せるんですね、俺たち!」
大司教付きの死体箱を運んでいる面々を除き、あまりにも退屈に過ぎる旅路に飽き飽きしていた門徒たちは、我先にと駆けだしていく。
護衛の門徒が減った今ならば、とハリコは死体箱へ視線をやったものの、それを数人がかりで運んでいる屈強な門徒の数を見て諦めざるを得なかった。
「大司教様!たしかに、地下への入り口です!下へと続く階段があります!」
一方で、目標物へと早々に到着した門徒のひとりは、大声でこちらにむかって報告を投げかける。
じわじわと進む"神"の巨体とともに近づいて行った大司教を担ぐ面々、そしてハリコやキャシーも、四角く盛り上がって見えていたのが、地下通路への入り口のようなものだと近くで確認できた。
「大司教様、やはり神は我々を、新たな役目の地へと導いてくださったのですね!」
「……。」
しかし、大司教は歓びに満たされた門徒の呼びかけに対して、無言を続けている。
表情こそ、いつも通りの柔和な笑みを作っているものの、その頬は引きつっているようにも見えた。おそらく、この近くまで来てようやく彼が気づいたことを、いかにして門徒たちに伝えるべきかと声に出しかねているのだろう。
とはいえ、大司教が黙り続けていても、ことの真相に門徒たちが気づくのは間もなくのことであった。
「おい、中に誰かいるぞ!」
「出てこい!……流石に、地上世界で活動してるのはリズァーラーだよな。」
屈強な門徒たちに首根っこを掴まれ、現れたのは確かにひとりのリズァーラーだった。
血の気が無く、表情に乏しいのはリズァーラーの常ではあるが、このリズァーラーは特に痩せていた。生前の身長はそれなりにあったのだろうが、かなりスリムな体型をしていたのだろう。死してリズァーラーとなった今、彼の手足は針金のごとく細かった。
そのリズァーラーは、箱の上に固定された大司教の姿を見るなり、手に抱えていた箱を差し出し、はっきりと言った。
「大司教様、地上世界の廃墟にて、食料品を発見しました。ブラックマーケットへと搬入する予定だったのですが、地下都市へと降りるためのカゴが上がってきません。」
彼が差し出した箱の中には、表面は朽ちていたものの、未開封の缶詰がいくつも並んでいた。
すなわち、このリズァーラーは、大司教や門徒たち、ハリコやキャシーが暮らしていた、あの地下都市から物資を探すために地上へと放たれた者たちのひとりであった。今ここにある地下への入り口は、地下都市のブラックマーケットへ降りるための場所であった。
散々歩き通したという体感とは裏腹に、大司教と門徒たちは、まだ自分たちが出発した地下都市の範囲からすらも出ていなかったのである。
「いかがいたしましょう、大司教様。ブラックマーケットへ降りるすべが無ければ、せっかく入手した食料品をお届けできません。」
あまりの落胆に、深く項垂れたり、しゃがみこんだりしている門徒たちを背に、大司教へと改めて食料品の箱を差し出す、痩せたリズァーラー。
地下都市の最下層、ブラックマーケットへと直通するカゴ……地上の文明が健在な頃は「エレベーター」と呼ばれたそれが動かず、地表まで上がってこないのも当然であった。地下都市の機能はことごとく停止し、送電も止まっていたのだから。
相当な沈黙を経て、大司教は静かに指示を下した。
「ブラックマーケットへ向かう必要はありません。見ての通り、我らは、神とともに地上世界へと至りました。あなたも、神の身体の一部となり、新たな時代を築く土壌となりなさい。」
「はい、大司教様。」
指示を受けたリズァーラーは大事そうに抱えていた食料品の箱をその場に投げ捨て、缶詰がゴロゴロと菌糸の地表に散らばる。
大司教が周囲の門徒たちに目くばせしたことで、彼らは迅速に動き始めた。すなわち、そのリズァーラーの身体を細かく解体して、"神"を構成する菌糸の中に押し込む作業を始めたのである。
「お前、大司教様の命令が聞こえただろう、そこに寝ころべ。俺たちが解体しやすいように、両手足を広げるんだ。」
「はい、仰る通りに。」
その大司教の命令は、門徒たちに鬱憤晴らしをさせる意味合いもあったろう。
ようやく新たな街に到着したかと思いきや、まだまだ自分たちが住んでいた地下都市からも離れていなかったという、誰にぶつけることも出来ない鬱憤。門徒たちは、大人しく言われた通りに寝そべったリズァーラーの身体目がけて、力任せに、何度も何度も、廃材の鈍器を振り下ろしつづけた。
瞬く間に、バラバラに解体されたリズァーラーの身体は、直ちに"神"である菌糸の巨大な塊のなかへと押し込まれた。瞬く間に飲み込まれたそれらは、間もなく内部で分解されることだろう。
「良いですよ、門徒の皆さん。神も歓んでおられます。さぁ、ごらんなさい。神はやはり我らに道を示し続けておられます。」
この一連の行為の間にも、ゆっくりゆっくりと進んでいく神の巨体は、確かに地下都市へ降りていく入り口をあっさりと通過して、別の場所へと進み続けていた。
大司教がますます引きつった笑みを浮かべているのに対し、門徒たちの反応は些か冷淡となっていたものの。
「えぇ、行きましょう、大司教様……次の街へ!」
先ほど食料品集めのリズァーラーを解体した行為で憂さ晴らしが出来たことも、自分ひとりが大司教に不満を掲げたら周囲から私刑を食らう恐れがあることも、門徒たちが反旗を翻す可能性を低めてはいた。
逆に言えば、それだけが大司教への信奉心を保つ支柱にすぎなかった。
「ウゥ、ウ。」
その目に鋭さを増していく門徒たちが、互いに睨み合い、目くばせをしあっているのを余所に、ハリコは足元に転がっていた缶詰をいくつか拾い集めていた。
本来、リズァーラーは人間の食糧を手にしても仕方がない。リズァーラーが養分とするのは、人間の血肉であると定められていたためだ。しかし、ハリコは衝動的に缶詰へと手を伸ばし、それを懐に収めていた。
万が一、死体のひとつも入手できる可能性が失せた時、マナコの元に持ち帰る菌糸や胞子以外の何かを手にしておきたかったのだ。




