希望は逃げゆく、追わねばならぬ
人並みを軽く超える体躯の大司教、および屈強な門徒たちに囲まれているウィーパ。
ずっとウィーパの護衛を担ってきたキャシーは歯噛みするしかない状況であったが、現状においてウィーパが最も安全な状況に置かれていることだけは間違いなかった。
「ウィーパ様、我らとともに参りましょう、地上世界へ。そして、導きの神とともに旅し、新たに神に捧げるための養分、人間たちの生き残りを探すのです。」
「幾度も伝えている通り、もう人間の生き残りなど、この世界のどこにも残っていないと僕は感じていますが。」
大司教リズァーラーの中でも特異な存在、現状の趨勢を見通し他のリズァーラーへと命令を下すだけの能力を有するウィーパは、大司教よりも正確な推測を行えていると思われた。
すなわち、この地下都市、この廃棄物処理区画で息絶えた人間たちこそが、この世界で生き延びていた最後の人類であったということ。大司教と門徒たちが期待しているように、再び殺戮し、破壊する悦楽を与えてくれる都市など、もう世界のどこにもないということ。
むろん、大司教と門徒たちは、そう易々と自分たちの暴力的な期待を棄てる気は無いらしかった。
「この議論は、いくら交わそうとも平行線を辿るばかりでしょうな。答えは、まさに神のみがご存知のはずです。さぁ、門徒の皆さん、いよいよ向かいましょう、神と共に、地上へ!」
「地上へ!地上へ!」
門徒たちが声を揃えて言葉を復唱する中、大司教はウィーパの身体を軽々と抱え上げた。
リズァーラーの中でも特に小柄なウィーパとはいえ、ある程度成長した人間の子供程度の体格は有している。が、おそらくこの場で最も体格に優れた大司教は、その掌でウィーパの小さな背を殆ど覆い尽くし、まるで生まれたての赤ん坊を抱いているような所作となっていた。
連れていかれるウィーパに、キャシーがついて行かぬはずがない。ただポカンと目の前の状況を見ていただけのハリコも、また彼女につられるように足を踏み出したが、門徒のひとりがこれを見とがめた。
「大司教様、コイツらはどうするんです?ウィーパ様の護衛は俺たちで十分だし、この二体をさっさと砕き潰して神の身体に捧げますか?」
「グルルウ゛ゥ゛!」
「待ってくれ、私は、ウィーパの傍に居なければ……!」
ようやく自分にも理解しやすい言葉、相手からの敵意を感じ取ったハリコは警戒心を露わにした唸り声をあげる。キャシーもしり込みはせず両腕を構えて応戦の備えをするも、その口から出てくるのはほぼ懇願の言葉であった。
屈強な門徒たちに囲まれては為すすべも無く叩き潰されてしまうだろうハリコとキャシーであったが、大司教の言葉が門徒たちを制した。
「彼らも共に連れて行きましょう、門徒の皆さん。新たな人間たちの都市が見つかった際、我々では警戒させすぎてしまいます。そのちっぽけなリズァーラーたちであればこそ、人間たちは己の社会の中へ迎え入れるでしょう。」
確かに、人並外れた長身の大司教にならび、がっしりとした体格を有する門徒たちは、こうして集まっているだけでも十分すぎる威圧感を放っていた。
「了解しました、大司教様。お前ら、余計なことはせずついてこい。」
大司教の言葉には従順な門徒たちは頷き、ハリコとキャシーに背を向ける。処刑担当リズァーラーであった存在に、背後を許すことを門徒たちはまったく恐れる必要など無かった。
生きている人間とは違う。ハリコやキャシーと同じリズァーラーである彼らは、背後から頚椎を噛み裂かれても活動停止しない。
「ウゥ゛ゥ゛……。」
「ハリコ、これ以上騒がないでくれよ。私は、ウィーパの近くに居たいだけなんだ。」
キャシーはハリコへと念を押すが、ハリコの行動目的は彼女と一致してなどいなかった。
ハリコの求めるところは、ずっと一貫していた……マナコを活動再開させるための、養分を持ち帰ることである。
あらゆる人間の死体がこの場に集められ、ことごとく叩き潰され、巨大な菌糸の塊である"神"に養分として吸われていっている現状。持ち帰ることが可能な形で養分を入手できる、最後の機会はこの場にしかなかった。
「グルルゥ゛ゥ゛……。」
「テメェ、何を物欲しそうな目で、死体の山の方を見てんだ。既に全部神に捧げた養分だ、お前みたいな木っ端のリズァーラーが手を出せるもんじゃねぇよ、へへへ。」
低く唸りながら、巨大な血肉の塊へとぎらついた視線を注いでいるハリコを、門徒のひとりが嘲る。たしかに、死肉の山は既に菌糸で覆い尽くされ、全体が薄っすらと白っぽくなっていた。
大量の死体および不要なリズァーラーの身体を叩き潰す作業に勤しんでいた門徒たちも、続々と大司教の元へ集まってくる。あの場所から死体の腕一本でも持ち帰ろうとハリコが近づこうとしても、たちまち接近を阻止され、神に対して不遜な行為を働いたとして、いかなる制裁が加えられるとも知れなかった。
「本当に、大人しくしていてくれよ、ハリコ。私が、ウィーパと共にいられる機会を、台無しにしないでくれ。」
「ウゥ゛ー……。」
キャシーからは、重ねて懇願の言葉が送られ続けている。
彼女からそのように頼まれずとも、ハリコには打破できるとも知れぬ現状を前に唸り、万が一の隙を虎視眈々と狙い続ける他に出来ることは無かった。
「おい、何をよそ見してやがる。お前らもついてこいと大司教様が言ってるんだ、きびきび歩け!」
「ウッ。」
否、正確にはハリコに選択肢など無かった。近くに居た門徒のひとりが、ハリコの細い肩をつかみ、力尽くで引き寄せる。先ほどまでの状況であれば、死肉の山から栄養分を持ち帰ること自体を放棄し、この場から逃げ去ることもまた彼の自由だったのである。
だが、もはやハリコは命令を受けてしまっていた……大司教は、ウィーパとともに行動するリズァーラーとして、ハリコとキャシーを指名しているのだ。前方の道はウィーパを抱きかかえた大司教の方へのみ続き、後方からは門徒たちにせっつかれる。
「大司教様、コイツらには首輪でもつけといたほうがいいんじゃないですかい?」
「あくまでウィーパ様の付き人として同行させるのです、相応に丁重な扱いをせねばなりません。ウィーパ様自身が、彼らに首輪の着用を所望なされば話は別ですが。」
既にウィーパは何の言動を示す気力も喪失した様子で、何の動力も無い人形のごとく、力なく大司教の腕の中に身を委ねている。
これから先、ウィーパによる言葉を伝達するという建前で大司教が語ったとしたら、ほぼ確実に大司教自身の都合に合わせた言葉となるであろう。
「さぁ、門徒の皆さん。旅路へ赴く支度は整っております。これより我らは最上層の居住区へ、崩落事故を起こし地上世界へと露出しているあの場所に赴き、神と共に地上へ踏み出すのです!」
「地上へ!地上へ!!」
先ほども聞いたような内容であったが、大司教が呼びかけた言葉に門徒たちは再び反応し、一丸となって同じセリフを叫んだ。
大司教マルチンクスという男が、荒くれ揃いの門徒たちからの信奉を集め、心酔させるだけの手腕は、今まさにハリコの前に見せつけられているのであった。
このまま門徒たちの列に閉じ込められたまま、地上へと至る旅に出発してしまえば、マナコの元へと戻ってくる望みもかなり薄くなる。だが……ハリコは門徒たちの列の後方、血がべったりと着いた箱が担がれている様を見た時、彼らに同行する決意を固めた。
「おい、余計な分まで取ってないだろうな、本来は神に捧げておくべき養分だぞ。」
「大司教様に命じられた分だけだ。長持ちしそうな、水分の乾きかけた死体だけを集めてきた。」
箱を担いでいる門徒たちの会話を聞いた時、ハリコはますます従順に門徒たちの行進に追随し始めた。
この旅に同行する、大きな理由が出来たのだ。あの箱の中には、おそらく大司教が長旅を想定して取っておいた、リズァーラーたちにとっての行動糧食とも言うべき、人間の死体が幾体も収められている。
「ん?なんだコイツ、さっきまでの威勢はどうした。随分とお行儀よくなっちまったじゃねーか。こんだけ俺らにビビらされりゃあ、歯向かう気力も失せたってか、所詮は管理局の手先だな、ハハ!」
「……。」
すぐ傍らの門徒から侮蔑の言葉を投げかけられても、ハリコは反抗的な態度を見せなかった。
隙を見て、あの箱の中身を奪い、門徒たちからの束縛も振り切り、地下都市へと持ち帰る。地下都市の住民だった人間たちの死体がことごとく"神"たる菌糸の塊に吸われた今、それがマナコの元へ養分の塊を持ち帰る唯一の術であった。




