残滓と化しても、余韻となっても、なお歓喜は虚ろに続き
へたり込んだまま動かないウィーパを、長身の大司教が見下ろしている。
キャシーは、極限の緊張状態にあった……もしも、ウィーパの身を守る必要があれば、彼女が大司教へ攻撃を仕掛ける他にない。今なら大司教を護衛する門徒たちは近くに居ない、彼らは血肉の山の上、人間の死体やリズァーラーを砕き潰す作業に夢中になっている。
ハリコもまた、状況をのみ込み切れぬまま、キャシーの緊張感ばかりは伝わっているのか目を丸くするのみであった。
「ウィーパ様、現在我々は、この地下都市においてリズァーラーが為すべき仕事を、ほぼ完了しつつあります。」
「その通りですね。」
大司教は変わらず穏やかな声で語り続け、ウィーパも淡々と応じている。
背後で、キャシーが無数の尖った金属片の突き出た両腕を構えていたが、大司教は彼女の方を振り向こうとすらしなかった。大司教自身が、体格面でキャシーに大きく勝っていたこともあったろうが、そもそも大司教はキャシーやハリコと敵対する可能性自体を感じていなかっただろう。
彼は、常に自身が信奉する教義に従って行動していた。
「既に地下都市内の人体はこの場に運び込まれ、神に捧げる養分としての加工が済んでいます。死体を運び届けてくれたリズァーラーの皆様も、順調に神と一体化していっております。」
大司教は、背後を指し示す。
この場に集められた大量の死体は門徒たちによってあらかた叩き砕かれ、積み上げられた血肉の巨大な山は早くもほぼ白い菌糸によって覆われていた。地下都市にて生き残っていた全ての人間の死肉が、見る間に"神"の中へ養分として取り込まれていく。
これまでにない規模で与えられる膨大な量の栄養分を吸い、"神"と崇められるにしては少々グロテスクな菌糸の巨大な塊は、際限なく肥大化していった。まるで、ゆっくりと白い爆発がこの空間を埋め尽くしていくかのようであった。
「はい。僕も役目を終えたので、菌糸の状態に分解してもらい、早急に神の一部としていただき……」
「待ってくれ、ウィーパ……!」
ウィーパの発言を遮るように、キャシーが声を上げる。
リズァーラーとしての役割は、確かにまもなく終わりを迎えるところであった。地下都市へと逃げ込み自分たちの延命を図った人類を、悉く養分へと加工して吸い尽くし、地上世界を覆い尽くしている菌糸に一体化すること。やがて新たな時代を生むための土壌を、十分に肥やすこと。
その役割に准じて活動してきたウィーパが今役割を終えたのならば、自らの身体を砕かせ、"神"と称される巨大な菌糸の塊と一体化しようとするのは、真っ当な判断であった。キャシーにとっては、全く望まぬことであったが。
「ウィーパ、私はお前に消えてもらいたくない、壊れてもらいたくないんだ!どれほどの窮地も、幾度だって乗り越えてきたじゃないか!」
「キャシー、それは活動を続行する必要あってのことです。我らリズァーラーとしての目的は、全て達しました。この身体を、保持する理由はもはやありません。」
「私と共にいることが、その理由にはならないのか?なぁ、ウィーパ、これからも一緒に居てほしいんだ、ずっと……!」
「キャシー、あなたが言っていることの意味が分かりません。もう我々が存在する必要は、無いと申し上げているでしょう。」
悲痛な叫びにも似た調子で懇願を続けるキャシーであったが、ウィーパはすげなく返すばかりであった。相変わらず、ハリコはやり取りを理解できないまま、状況を呆然と眺めるばかりである。
しばらく黙っていた大司教が、ウィーパへと手を差し伸べる。彼はいよいよウィーパの身体を、神と崇める存在の元へ連れて行こうとしている、そう考えたキャシーは大司教の背へ飛び掛かるため姿勢をぐっと下げた。
……しかし、大司教が直後に口にした内容は、キャシーの予想から大きく外れたものであった。
「存在する必要はあります、ウィーパ様。ご提案というのは、それに伴っての話です。」
語り掛けられたウィーパは明確な反応を見せなかったが、キャシーは大司教へと攻撃を加える直前の姿勢のまま、固まっていた。
大司教は、何を言っているのか。先ほどからポカンとしているハリコはさておき、キャシーはウィーパの主張を理屈の上では理解できていた。だからこそ、彼に考え直すよう説得することの困難さを実感してもいたのだ。
ウィーパもまた、目立った反応こそまるで見せなかったものの、大司教の意図するところを掴めずにいた。
「大司教、あなたが言っていることの意味も分かりません。リズァーラーの存在意義は、人間の体を養分へと加工し、神へ捧げることです。その役目は、もう終わりを迎えています。」
「いいえ、ウィーパ様。まだ終わってはいません。」
そこから先の言葉を、大司教はようやく跪き、地面にへたり込んでいるウィーパの顔元に口を近づけるようにして囁いた。
その内容を聞きとがめる者など、キャシーやハリコも含め周囲には居ないはずであったが、まるで大司教は己の信奉する教義に対し少なからず後ろめたさを覚えているかのごときであった。
「この世界には、他にも人間が生き延びている地下都市が存在するかもしれません。ウィーパ様、我々は彼らの元へにも向かい、神へ養分として捧げなければ。」
ウィーパはここに来て、初めて顔を上げた。
大きく表情を動かしていないのは、ウィーパにとって常通りであったが、僅かに見開かれた目の中央で、瑠璃色の瞳は困惑と動揺を示し小さく震えていた。
「大司教、あなたは……この地下都市以外の場所で、人間が生き延びている確証を得たのですか?」
「ウィーパ様、ご存知の通り、私はこの都市の最下層、ブラックマーケットにて、地上由来の品を様々に流通させてまいりました。」
大司教は直接の返答を行わず、まず自らの身の上から述べ始める。
以前の任務で、ハリコたちも赴いた通り、地下都市最下層の居住区に存在する『ブラックマーケット』は大司教が牛耳っていた。人間たちの死滅した今は、もはや市場など機能していないが。
そこで非正規に流通していた品々は、いずれも地下都市内の乏しい資源や粗末な製造ラインでは供給出来ない、地上世界の遺構から回収されたものばかりであった。酒類や肉類、宝飾品など、いずれも富裕層の住民が競って求める商品は地上から回収され、ブラックマーケットを経由し提供されていた。
上層街の住民を悉く処刑対象として定めた今回の処刑任務も、そのブラックマーケットから非正規ルートで食糧を購入した罪を問うたものであった。
「人間たちが決して踏み出せぬ地上世界には、彼らの求める嗜好品を探しに幾度もリズァーラーが出向いております。ある時、物品回収に向かわせたリズァーラーの一体が、ある発見をも同時に持ち帰っておりました。」
「どのような発見ですか?」
「以前、回収しきれず地上の遺構内に残していた物品が、次に来た際に何者かに持ち去られていた、というのです。自分たち以外に、地上世界で活動している存在がある、との証拠なのです。」
大司教は決定的な事実を明かすかのように声を高めたが、反対にウィーパは動揺を鎮め、またしても興味なさげに顔を俯けるのみであった。
返答するウィーパの声には、落胆や失望すら浮かばぬまま、先ほどまでと動揺の無関心が響いていた。
「大司教、地上へ物品回収に向かわせたリズァーラーたちには、チーム等を組ませ組織的に活動させていたわけではないのでしょう。」
「えぇ、そのような能力を発揮できるリズァーラーならば、別の仕事を担わせられますので。地上をとにかく歩き回って価値のありそうな物を持ち帰れ、とだけ告げて、二度と帰って来ぬ可能性も考慮し相当数を送り出しておりました。」
「であれば、同じくここから送り出された他のリズァーラーが、当のリズァーラーの持ち帰れなかった分を回収しただけのことでしょう。結局は、全てこの地下都市へと物品が集まっているはずです……もはや、確認の術はありませんが。」
ウィーパの推測は、至極尤もな内容であった。広大な地上の廃墟へ、幾体かは帰ってこない前提で送り出したのならば、いちいち誰が何を持って帰ってきたか記録してなどいないだろう。
ただでさえ、地下都市では決して生産できないため、高値で取引される貴重品である。地上から持ち帰られた品は、余計な手間を挟むことなど無しに、直ちに利益を生むためブラックマーケットへと出品されていただろう。
そんな憶測を以てしてではなくとも、ウィーパにはどことなく察しがついていた。この世界にて、他に似たような地下都市などもはや機能していないだろうと。
「リズァーラーが、役目を全て果たしたことは確実です……大司教、我々は神と一体化しなければなりません。」
「ならばウィーパ様、この大司教たる私が、かくも昂揚感を覚えているのは何故でしょう……私は、ますます神への奉仕に己が身を捧げ、尽力したいとの一心に焦がれているのです!」
ますます声色が沈んでいくウィーパとは対照的に、大司教は声を更に高めた。
リズァーラーの例に漏れず、血色のない顔色が変化することなど無かったが、落ちくぼんで数多の皺に囲まれた目は間違いなく恍惚とした光を湛えていた。
「それにウィーパ様、私だけでありません!聞こえるでしょう、門徒たちの歓びが!彼らもまた、嬉々として神に捧げる死肉を耕し、養分とする労働に身を捧げているのです!」
確かに、先ほどからずっと、死肉の山の上で、門徒たちが人間の死体やリズァーラーの身体を叩き潰しながら、楽し気に立てる笑い声は、この空間に響き渡り続けていた。それよりも、目の前の大司教による高笑いが、他をかき消す大音声となっていたが。
大司教も、門徒たちも、これは神への奉仕として、善なる歓びを味わっているのだと述べ続けていたが……実際のところは、力尽くで眼前の標的を叩き潰し、人間の形を破壊し、嗜虐心の満たされる悦楽が、下卑て粗暴な笑い声となって迸っているに過ぎなかった。
「……。」
いよいよ唖然として一言も発せずにいるキャシーの隣で、ハリコもまた目をパチクリさせたまま、思考内には巨大な疑問符が浮かんでいた。
こういう時に、ワケの分かっていない彼へと説明してくれるのがシェルであった。……今は彼の身体を核として、肥大化していく菌糸の塊こそが、辛うじてシェルと呼べる存在だった。
高笑いする大司教を、ただ目を丸くして見つめるばかりのハリコは、不意に背後からシェルの声が響いたような気がした。
元気な爺さんだぜ。神なんか関係ないだろ、壊して、殺すのが、楽しくなっちまっただけだ。
慌てて振り向いたハリコの背後には、もちろんシェルの姿などない。そこには、膨大な量の養分を死肉の山から吸収し、ブクブクと膨れ上がっていく菌糸の巨大な塊があるばかりであった。
一帯に響き渡る門徒たちの声と共に、存分に笑いきった大司教は、改めてウィーパへと手を差し伸べた。
「ですから、ウィーパ様。神は、私に次なる奉仕を求めておられるはずです。ここから出て、他の地下都市へ向かい、再び生き延びた人間たちを神に捧げるのです。そのためには、あなた様のお知恵が必要です。」
「大司教、繰り返しますが、僕は人類に他の生き残りが居るようには感じません。」
「あぁ、ウィーパ様、いかに聡明なるウィーパ様とて、我が魂を衝き動かす神の御声は聞こえないのですね。」
大司教はそう言い、項垂れ続けているウィーパの細い肩を、まるで迷子を保護した大人のように優しく包み込んだ。
呆然として動けずにいたキャシーが、ハタと意識を取り戻したように身構える。大司教はようやく彼女の方を振り返り、穏やかな声で告げた。
「ご安心めされよ、ウィーパ様の指示を、我々はまだ必要としています。ウィーパ様が、この姿を保っておられるよう、この大司教マルチンクスが丁重に保護いたします。」
先ほどの笑い声を聞きつけてか、既に数名の門徒たちが大司教の元へと集まってきている。
既に、キャシーがウィーパの身を守りたくとも、彼の傍には近寄れない状況となってしまっていた。




