第八話 第四章 作戦
男が出ていった後、会議室に沈黙が残った。
誰も動かなかった。有識者会議のメンバーたちも、俺たちも、しばらくその場にいた。白髪の男が「本日はここまでにしましょう」と言った。声に力がなかった。
廊下に出て、エレベーターに乗って、庁舎の外に出た。誰も話さなかった。
外の光は驚くほど眩しく、空気は相変わらず蒸し暑かった。蝉が鳴いていた。
「……ひどいな」
拓海さんが言った。独り言みたいな声だった。
誰も返さなかった。
「今後、どうする?」俺は小さく言った。
歩きながら、みんな考え込んでいるように、誰も何も言わなかった。俺も答えは期待していなかった。
しばらくした後、最初に口を開いたのは礼だった。
「……とりあえず、あの男について調べてみるか。少し時間がほしい」
三日後、礼の提案でまた俺の部屋に集まった。
礼がパソコンを二台並べていた。いつもより画面が多かった。
「話がある」と礼は言った。「古谷先生の資料を全部読み直した。断片的なメモが何枚かあって、最初は意味がわからなかったんだけど、こないだの男を見て、繋がった」
部屋は静かだった。
「あの男が誰なのか、わかった」
礼は画面を向けた。古い新聞記事のスキャンデータだった。二十年以上前の記事で、写真が一枚あった。若い頃の顔だったが、あの目は変わっていなかった。
「元政策立案者。七十八歳。選択権制度の設計に深く関わった人物。十五年前に表舞台から退いている。制度に関連する民間企業——ガードマン派遣会社、専用アプリの開発会社、執行に関わる医療機関——これら全部に、ダミー会社を通じた出資が確認できた。制度が使われるたびに、この人間に金が流れる仕組みが、設計段階から埋め込まれていた」
ミンミンさんが息を呑んだ。
拓海さんが「最初から」と言った。
「そうです」と礼は言った。「古谷先生は気づいていなかったと思う。でも無意識に残したメモの断片が、全部この人間を指していた」
俺はずっと黙っていた。画面を見たまま、何も言わなかった。
「拠点もわかった」と礼は続けた。「都内の古い建物。表向きは民間の政策研究所になってる。でも実態はおそらく、有識者会議の上位として機能している」
「証拠はあるの?」と星良が聞いた。
「揃えた。ダミー会社の出資記録、制度設計時の内部文書の断片、古谷先生のメモ。全部繋げれば、十分だと思う」
「思う?」
「十分だよ」と礼は言い直した。
「……乗り込むか」と俺は言った。
今日初めて口を開いた。全員が俺を見た。
「証拠を持って、直接乗り込む。その場で全部叩きつけたらどうだろう」
礼が少し間を置いた。
「うん。でも……相手は強いよ、たぶん」
拓海さんが反応した。
「やってみないことには、何も変わらない。これまでも、何とかやってきたんだから、今回も」
役割を決めた。
礼がデータの最終確認と公開準備を担当する。拓海さんとミンミンさんが現場での記録と対外的な発信を担う。俺は、あの男と直接話す。……代表として。
星良の名前が出なかった。
「私も行く」
全員が星良を見た。
「証言できる。私は実際にあの組織の中にいた。何をさせられていたか、どういう状態だったか、私にしか話せないことがある」
俺は口を開きかけた。
「うん、それでね」と星良は言った。俺は思わず言葉を飲み込んだ。
「あの期間のことは、全部はっきり覚えているわけじゃない。でも断片的な記憶はあるの。自分の足で歩いて、自分の声で話して、でも自分じゃなかった。そういう状態だったってこと、私が言わないと誰も言えない」
部屋が静かだった。
ミンミンさんが「星良さん」と言った。それだけだった。
俺は星良を見て、ゆっくり頷いた。
「……一緒に行こう」
礼が「わかった」と言って、画面に向かった。
拓海さんが立ち上がった。
「その前に、やっておくべきことがある」
窓の外に、夏の空があった。入道雲が遠くに見えた。
夏は、まだ終わらない。




