第六話 第三章 ミンミンと拓海
ミンミンからのスクリーンショットを見た瞬間、暖人は全身が冷えた。
指定者欄が空欄――。
すぐに拓海に転送した。返信は三分後に来た。
「嘆願書を出そう。文面は俺が作るので」
だが一時間後、拓海から別のメッセージが来た。
「駄目だ。空欄の指定者には、嘆願書が使えない。指定者が特定できない場合は申請が受理されない。星良さんの時と同じです」
暖人はスマホを置いた。
同じだ。星良の時と、全く同じだ。
――
拓海はスマホを握ったまま、部屋の壁を見ていた。
規定を調べながら気づいた。空欄の指定者、という時点で嘆願書は使えない。それを打ち込んだ時、指が止まった。
ミンミンさんを救いたい。
その感情が自分の中にあることに、少し戸惑った。俺は夫を殺した相手だ。許してもらえるとも思っていない。それでも、同じ方向を向くと言ってくれた人間が今、有識者会議に狙われている。
俺もかつて、制度に指定された。
また同じことが起きようとしている。
拓海は暖人にメッセージを送った。
「他に手はないか。何でもやる」
――
通知が来たのは、萌を寝かしつけた後だった。
スマホの画面を見た瞬間、頭が真っ白になった。
あなたは選択権制度によって指定されました。執行予定まで残り168時間。
指定者欄が空欄――。
リビングのソファに座ったまま、しばらく動けなかった。隣の部屋で萌が寝ている。さっきまで「ママ、絵本読んで」と言っていた萌が。
スマホを置いた。また手に取った。また置いた。
暖人君からメッセージが来たのは、深夜を過ぎた頃だった。
「拓海さんが嘆願書を出そうとしてくれています」
しばらくして、今度は有村さんから直接メッセージが来た。
「嘆願書が使えませんでした。空欄の指定者には制度上、申請が受理されない。申し訳ないです。ただ、別の手を考えています。必ず止めます」
私はその文章を三回読んだ。
必ず止めます。
夫を殺した男が、私にそう言っている。
胃がずしんと重くなった。おかしい、何もかもが。でも、その言葉にすがりたい自分もいた。そう考えると、今度は胃に穴があくようなキリキリとした痛みを感じた。
翌朝、有村さんからまたメッセージが来た。
「一度会って話せませんか。直接伝えたいことがあります」
私はスマホを持ったまま、キッチンに立っていた。萌が朝ごはんを食べている音がした。
会って話せませんか。
その文字を見た瞬間、また胃が重くなった。いろんな思いがグルグルと頭を駆け巡った。
「今は会えません」
送信した。
本当は誰かにすがりたい……怖い……。でも、たぶんあなたじゃない。
返信はすぐ来た。
「分かりました。でも、連絡はします」
それだけだった。私はスマホをカウンターに置いて、萌のそばに座った。萌はパンをちぎりながら、「ママ、どうしたの?」と言った。
「え?なんで?」
「こまってるから」
私は萌の頭を撫でた。何も言えなかった。
残り157時間。
萌を保育園に送り届けた帰り道、母に電話した。
「お母さん、しばらく萌を預かってもらえる?仕事が忙しくて」
まだ本当のことは言えなかった。母は少し驚いた様子だったが、「いいわよ」と言った。それだけだった。
電話を切って、しばらく歩道に立っていた。
夏の日差しが肌を刺した。蝉の鳴き声は蒸し暑さを増幅させていた。
萌を母に預けたら、もし執行されても萌は守られる。そう思ってやったことなのに、電話を切った後に込み上げてきたのは安堵じゃなかった。
スマホを握りしめたまま、また歩き始めた。
残り143時間。
柚月さんにメッセージを送ったのは、その夜だった。
最初に私に連絡をくれた人。有村さんのことをよく知っている人だ。
「突然すみません。少し相談があって。制度のことではないんですが」
送信してから、続きを打った。
「有村さんが会いたいと言ってきています。どう対応すればいいか、分からなくて」
送信してから、画面を見つめた。
何をやっているんだろう、と思った。残り143時間しかない。萌を母に預けた。PASSのメンバーが動いてくれている。なのに今、私は有村さんのことを元交際相手に聞いている。
柚月さんからの返信は、しばらくして来た。
「会ってみてもいいと思います。あの人は、逃げない人だと思うので」
私はその返信を見て、少しの間、動けなかった。
窓の外で、蝉がまだ鳴いていた。
同じ頃、庁舎の一室で、一人の男が印刷されたSNSの画面を眺めていた。植田メアリージャスミンのアカウント。ここ数日、投稿が止まっている。男は手帳を閉じて、口元が緩んだ。




