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第六話 第一章 P.A.S.S.

あの会合から、三週間が経っていた。

最初の投稿をしたのは、会合の翌日だった。萌を保育園に送り届けて、仕事に行く途中でスマホのメモに書き溜めていた文章を、そのままSNSに上げた。夫のこと、一年間のこと、制度への怒り。全部書いた。

反応は最初、ほとんどなかった。いいねが三つ。リポストが一つ。それだけだった。

帰りの電車の中でスマホを見た。数字は変わっていなかった。それでも、次の投稿を書いた。

転機は、一本のダイレクトメッセージだった。

送ってきたのは、見知らぬアカウントだった。アイコンは設定されていない。

助けてください。昨夜、指定通知が届きました。心当たりがありません。どうすればいいか分からなくて、検索していたらこのアカウントを見つけました。

私はメッセージを二回読んだ。それからすぐに返信した。

詳しく教えてください。一緒に考えましょう。

送信してから、暖人君に電話した。

「嘆願書、一緒に作れますか」

暖人は少し間を置いた。「やったことないけど、やってみよう」

その夜、私は暖人君と礼君、それから拓海さんとオンラインで繋がった。礼君とはこの時初めて話をした。指定を受けた人物——二十代の女性で、元交際相手から指定されたという——の状況を整理した。拓海さんが言った。「嘆願書は俺が文面案を作ります。俺、たぶん内容なんとなくわかるんで。」

私は何も言えなかった。言いたいことはいろいろあるはずだけど、何を言ったらいいかわからない。それより今は、目の前で苦しんでいる人を救うことのほうが大事だから。私は奥歯を噛み締め、画面から少し目をそらした。

礼君が制度の条文を調べて、有効な申請理由を洗い出した。深夜二時を過ぎていた。

翌朝、女性が嘆願書を提出した。

三日後、執行停止の通知が届いたと、女性からメッセージが来た。

ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。

私はそのメッセージをスクリーンショットして、SNSに上げた。個人情報は全て伏せた。事実だけを書いた。

選択権制度による執行を、嘆願書によって止めることができました。諦めないでください。

その投稿が、火をつけた。

リポストの数が、一晩で三桁を超えた。

似たような状況にある人間からのメッセージが、次々と届き始めた。私は一件ずつ返信した。暖人君が窓口になって状況を整理した。礼君が条文を調べた。嘆願書の文面は、何度も作るうちにテンプレートができあがっていった。

一件、また一件。執行が止まるたびに、投稿した。

その頃から、コメント欄に「パス」という言葉が現れ始めた。誰が最初にその名前を使い始めたのか、誰も知らなかったが、制度をパスできる人たち、というようなニュアンスのようだった。気づいたら何人もが使っていた。

ある日、一つの投稿が拡散された。

この団体、パスって呼ばれてるけど、Protests Against Selective Slaughterの略でP.A.S.S.だと思う。選択制虐殺への抗議。これ以上ぴったりな名前ない、と。


私はその投稿を見て、しばらく画面を見つめた。拓海さんが作った文面……それが多くの人を救っている事実に、複雑な感情がこみ上げた。

萌が「ママー」と呼んだ。私はスマホを置いて、萌を抱き上げた。

窓の外に、いつもの街が広がっていた。梅雨の合間の晴れた空は、もう夏のそれだった。外は湿気もあって蒸し暑いんだろうな、と思った。


とある庁舎の一室で、プリントアウトされたSNS画面が数枚、机の上に置かれていた。

一人の男が手帳を開いた。万年筆で、ゆっくりと書き込んだ。

P.A.S.S. 植田メアリージャスミン 古賀暖人

手帳を閉じた。

数秒後、隣の机の電話が鳴った。

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