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第二話 第一章 指定

スマートフォンの画面だけが、部屋を照らしていた。 カーテンを閉め切った六畳の部屋に、ほかの光源はなかった。

七日後、僕は、御手洗礼は、人を殺す。

暖房は切ってある。冬の夜の冷気が床を這うように漂っていたが、僕はそれに気づかなかった。気づく必要がなかった。

指定者:川口颯太。

入力画面に名前を入れ、申請ボタンを押す。

すると、画面に一行だけ文字が表示されていた。

――対象者指定を承認しました。

それだけだった。政府のシステムは、いつもそっけない。承認番号と日付と、執行予定日。あとは手続きの完了を告げる一文。おめでとうございます、とも、ありがとうございます、とも書かれていない。当然だと思った。これはそういうものではない。

これで僕は、生涯三度だけ許された殺人の一回目を手に入れた。

僕はしばらく、その画面を見つめていた。

何かが来ると思っていた。ずっとそう思っていた。少なくともここ数年は、この瞬間に何かが来ると信じていた。怒りが爆発するとか、涙が出るとか、あるいは体の底から笑いがこみ上げてくるとか。何でもよかった。何かであれば。

何も来なかった。

ボールペンを走らせた。インクが出なかった。

廊下の向こうで、テレビの音がした。母親がまだ起きているのだと思った。この家には、夜になると人の気配だけが残る。声も言葉もなく、ただ音だけが壁を通り抜けてくる。

僕は画面を閉じた。 部屋が暗くなった。

その暗さの中で、しばらく動かなかった。目を開けているのか閉じているのかもよくわからないまま、ただそこにいた。やがて体が冷えてきた。暖房を切ったままだったことを、そのとき初めて思い出した。

おかしいな、と思った。 怒りはどこへ行ったのだろう。

あれだけ長い時間をかけて、積み上げてきたものがあったはずだった。小学校のころから、中学を卒業するまで。何年あったのか、もう数えていない。毎日が長くて、このまま一生終わらないんじゃないかと思っていた。

この制度を知るまでは。

今夜ここで何かが形になったはずだった。なのに胸の中は静かだった。嵐の後の凪のような静けさではない。最初から何もなかったような、底の見えない静けさだった。

スマートフォンを机に伏せて置いた。 布団の上に横になった。天井を見た。

白い、均一な面。何を見ようとしても、何も見えなかった。子どもの頃、天井の染みや模様を眺めて動物や人の顔を見つける遊びをしたことがある。この部屋ではできなかった。いつも。

執行予定まで168時間。指定を承認されるまでのことしか、ずっと考えてこなかった。その先のことは、霧の中にあった。霧の中にあることを、薄々知っていながら、見ないようにしてきた。

あいつには、もう通知が届いているはずだ。

――あいつ。川口颯太。

あいつは今、どこにいるのだろう。自分の部屋か。誰かに電話しているか。泣いているか。怒っているか。何も思い浮かばなかった。川口颯太の今夜の姿が、具体的に想像できなかった。中学を卒業してから一度も会っていない。SNSで近況を見たことは何度かある。高校の友人と笑っている写真。どこかの海岸で撮ったであろう夏の写真。何気ない日常の断片。それらを見るたびに、僕は何かを確認するように画面を閉じた。何を確認していたのか、今もよくわからない。

あいつには、あいつの日常があった。それは知っていた。 知っていて、それでも、名前を入力した。

後悔はない。 そうされることが当たり前だと思った。

今夜は、ただここにいればいい。この部屋に、この暗さの中に。執行予定日まで七日ある。そして僕には、たぶん、今夜考えなければならないことが一つある。

あの頃のことを。

もう何年も、きちんと思い出したことがなかった。思い出せないのではない。思い出さないようにしてきた。思い出す必要がないと思っていた。必要なのは記憶ではなく、ただあの日々が確かにあったという事実だけだったから。

でも今夜は。 今夜だけは、向き合ってもいいかもしれない。

そう思いながら、僕は目を閉じた。


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