1544年(天文13年)4月上旬、九条家兄弟の深謀!
先の関白太政大臣、九条稙通は2年足らずで辞職に追い込まれました。
九条家の諸大夫(宿老)は九条稙通を殿下と呼んでいます。
殿下とは本来は現役の関白太政大臣を指す名称です。
本来、関白を退任すると、太閤殿下と呼ばれるのが、通例ですが、九条家では貧乏に負けずに主人のプライドを高め、士気を下げぬ為に最高位の敬称を使いました。
4月上旬の都には多くの桜が咲いていました。
山桜を町に移植したり、枝垂れ桜が寺院屋神社に植えられ、品種の改良で人気の桜が次々に春の名物として定着していました。
―東福寺内、九条邸―
九条家の長兄、九条稙通は諸大夫(宿老)の信濃小路長盛と二人で庭の桜を眺め、酒とツマミを味わいながら、菊松丸が九条家に財運を呼び寄せた日々を語りました。
「殿下、菊松丸様は不思議なお方にございます。
誰もが初対面で好かれてしまう様にございます。
亡き父君、尚経様も喜ばれておりましょう!」
「そうだな、しかし、菊松丸は父上の記憶も無かろう…25歳も離れた弟が愛おしくてならぬ…」
14年前に主人公の菊松丸が生まれて間もなく父の九条尚経が亡くなると、次第に九条家の収入が減り、3年後に長兄の九条稙通が関白太政大臣に就任する栄誉に恵まれましたが、長年、朝廷全体が窮乏しており、役職を得た大臣達は無給のボランティアで、自分の家の領地からの収入に頼っていました。
九条家も各地に所有していた領地が大名家や地侍に横領され、都の近郊の領地を僅かに確保している状況でした。
したがって長兄、九条稙通は上流階級の行事に使う費用の工面に苦しみ、翌年の11月に関白太政大臣を辞任して、無職に甘んじる事になりました。
「あれは、東福寺で法事の時でございました。
菊松丸様は何故か本願寺法主に気に入られて、九条家の運気が良くなりましたなぁ…」
「そうだな、菊松丸が5歳の頃か…
不思議な縁が繋がったな…」
九条家の財政は借財に苦しみ、常に厳しい状態でしたが、法事で東福寺を訪れていた本願寺の法主が5歳の菊松丸から九条家の苦境を聞いた事から、本願寺から財政支援を提供される事になりました。
更には横領された九条家の領地を本願寺の僧兵の武力で次々と奪還した為、九条家の財政は一気に好転する事になりました。
「菊松丸様は和菓子を考案なされましたなぁ…
あれは、近衛様の歌会の接待の時にご接待の出し物に困られていた時に菊松丸様がお考えなされました」
「何故だろうな?あれは8歳の頃だぞ、子供とは思えぬ知恵と才覚がある様だな…」
菊松丸が8歳の時に抹茶の和菓子を考案して商人と手を組んで富裕層に販売して評判になり、九条家直営の和菓子の受注生産を始めました。商品には栗饅頭や栗の獨酒漬やモンブラン等、少しずつ品数を増やし、高級和菓子として販売する事で九条家に毎日収入が入る仕組みを作りました。
「それから、お料理もなさいました。
奇抜でありながら、美味しゅうございました。
お店を経営なさるとは驚きました!」
「ぶははは!あの旨い料理には驚いた!
僅か10歳だぞ!…神仏が与えた天分なのか?」
10歳になると、小麦を使って皮を作り、焼売や餃子、小籠包を考案して食事処を始め、炒飯、焼きうどん、お好み焼きを提供する店や、京の近郊で僅かに生産している蕎麦の実を入手して蕎麦打ちの習慣が無い時代に蕎麦の専門店を作り、鴨蕎麦を考案して大繁盛となりました。
「それから絶品のお漬物を有名寺院の方々とご一緒に始められて大評判!
更には裕福な方々の為に、お洒落な茶屋を始められて裕福な方々に好評にございます」
「お陰で有名寺院から九条家には年中贈り物が絶えぬ様になったな…」
12歳になると都の寺院で独自に作られた美味しい漬物を集めて漬物専門店を開き、しば漬けや千枚漬が評判となった事で寺院の収入増に繋がりました。
13歳になった菊松丸は大人達から商才を信頼されて、絵画や掛け軸や、仏像や陶器を集めて富裕層の収集家が楽しめる茶屋を開き、お風呂のお湯に浸かる湯浴みと身体を解すマッサージを施す事を始め、富裕層の客が集まり繁盛しました。
「殿下、昨年は遂に九条家の抱えていた全ての借財を完済致しました!
菊松丸のお陰で、御屋敷の修繕も儀式に必要な品々も新調出来ました!
長年に渡り屋敷の家人や使用人には安い給金で我慢させていましたが、給金を上げる事が出来ました!
働いた年月に応じて功労金を与える事も出来ました!
九条家の家人や使用人は目が輝いて生き生きとして働いております!」
「そうだな、神仏から九条家に菊松丸を賜った事を感謝するしかないな…ぶははは!楽しみな弟だ!」
菊松丸が稼いだ収入のお陰で九条家の財政は立ち直り、本願寺に借りた借財や全ての借財を完済するに至りました。
菊松丸は収入の大半を九条家の経営している店に投資して、多くの従業員を雇い、寺院と協力して貧しい民に炊き出しをして食事を与え、道の清掃や店の雑用や材料の運搬に彼らを雇って助けました。
「殿下、菊松丸様は来年、東国に遠征する為に何やら準備をなされておられます。
最近は花山院家輔様(次男、清華家当主)や、尋円様(三男、興福寺系の大乗院門跡)、如水様(四男、東福寺門跡)とご一緒に楽しそうにご歓談なされておられます」
「ふふふ…家輔は帝(後奈良天皇)の側近だな?
尋円は興福寺系列の僧兵の指揮権を持っている。
如水は東福寺の僧兵の指揮権と武蔵国の船木田荘の所有者だからな…話が纏まれば儂に報告に来るだろう、
暫く待つとするぞ!」
「ははっ、畏まりました」
兄弟の相談が纏まるのを急がずに待てる主人が、権勢の座から離れて10年余…
諸大夫、信濃小路長盛は菊松丸が九条家の家運隆盛をもたらす事を密かに期待しました。
数日後、花山院家輔が尋円、如水、菊松丸を連れてやって来ました。
「兄上!ご報告に参りました!」
「なんだ?珍しく、兄弟全員がそろったな?
報告?何を企んでいるんだ?」
笑顔の九条稙通は今までの中で最も大きな事をする様な気がしていました。
「兄上、摂関家の領地を奪還します!」
「なんだとぉ?!正気か?僧兵を使う気か?」
「流石兄上、理解が早いですね。
既に帝の内諾を取り付けてございます。
近衛家、二条家、一条家、鷹司家の了承も取り付けました!後は兄上がご承認なされば、摂関家の合意が成立致します!」
「ぶははは!そこまで根回しが出来ていたのか?
なんとも面白いが僧兵はどれほど集まるんだ?
「ははっ、興福寺から200、東福寺から200、本願寺から200、初戦は合計600の兵力ですが、
興福寺から最大3000、東福寺は最大500、本願寺からは3000迄なら出せると回答を得ております…」
「最大6500?!大名家に匹敵する兵力じゃないか?軍資金や兵力は如何するつもりだ?」
「ははっ、興福寺と本願寺が軍資金と兵糧を負担致しますのでご心配には及びませぬ!」
「それで、摂関家の奪われた領地は確認済なのか?
奪い返した場合の管理する兵力や管理する役人も必要だろう?
興福寺、東福寺、本願寺の僧兵の報奨金も必要だ!
後始末が大変だぞ!」
「ははっ、兄上のご心配は最もにございます!
摂関家が横領された領地は確認済です。
奪還した後始末は最も肝心にございます。
そこで、菊松丸が解決策を考えました!」
次男の花山院家輔は得意げに菊松丸を持ち上げました。
「ほぉ、菊松丸、其方が考えた解決策とは?
申してみよ!」
「ははっ、摂関家の横領された領地には管理人と護衛する兵力がございますが、大概は兵力が200に足らず、多くても500に過ぎません。
僧兵600を率いて横領された領地を包囲して相手と交渉致します。
戦うならば敵対者は撫で斬りにします。
しかし、戦わずに和議を結ぶなら収穫した作物の四割を与えて、領地の管理人として雇う形にいたします。朝廷に従う事を誓わせて領地の管理者の名誉を与えます。収穫した作物の一割りが僧兵を提供した興福寺、東福寺、本願寺で分配、摂関家には五割が年貢として戻る事になります」
「ほぉ、それで収まるなら良いがな?」
「更に奥の手がございます!
和議に合意した場合、年貢の先物買いを都の最大の大商人、桔梗屋藤次郎に一括で取り扱いを委託します!領地の推定年貢を算出して数日後に前渡し金を管理人へ支払います!
兄上、如何でしょう?桔梗屋藤次郎の信用で交渉が進展すると思われます!」
「なるほど、見事だ!
其方ら四名の兄弟で練り上げた事を褒めて遣わす!
これが、来年の東国遠征に繋がるのだな?」
「兄上の理解が早くて助かります!
全ては来年、東国の船木田荘から摂関家の領地を奪還して皇室御料を確保する為の試金石にございます!」
「しかし、戦いに至る場合もあろうぞ!
それで最初に奪還する領地は?初戦は何処だ?」
「ははっ、10日後、都の南、近衛家の領地を奪還致します!」
「おぉ、早くも初戦か!
それで、総大将は誰だ?軍勢の指揮系統は?
菊松丸の護衛をしっかり致せよ!」
「兄上、総大将の名は九条稙通!
兄上ご自身にございます!」
菊松丸が笑顔で答えました。
「ぶははは!冗談だろう?…
まさか…本気か?」
稙通は想定外の事に固まりました。
「兄上、花山院家輔が清華家を代表して、従軍いたします!副将として兄上をお支え致します!」
「兄上!興福寺を代表して尋円も兄上をお支えする為に従軍致します!」
「兄上、東福寺を代表して如水も兄上をお支え致します!」
「兄上!九条家の末弟として、菊松丸は兄上達に従い、来年の東国遠征の為に学びたいと存じます!
殿下の元に四名の弟が揃いました!
殿下の采配で朝廷の在り方を変える時が参りました!
いざ、殿下の威厳を知らしめましょう!」
菊松丸が目に涙が滲みました。
長年苦労して九条家を守って来た長兄に再び光を浴びて欲しいと願うと涙が溢れました…
九条家の次男、三男、四男、そして五男の菊松丸が密かに兄を総大将にする企みで、現役関白の敬称、殿下と呼びました。
「ぶははは!お前達!騙したな…
随分と遠回しに隠し事を練り上げたな?
よっしゃ!総大将!受けて立つぞ!」
弟達の配慮に九条稙通の目が潤んでいます。
「おめでとうございます!!」
四名の弟達が頭を下げました。
弟達も涙が溢れていました。
兄が10年前に関白を辞任して以来、九条家を支える為に奔走しているのを、見ていた弟達は有能な兄の名誉を挽回する機会を望んでいました。
側に控えていた諸大夫の信濃小路長盛や、九条稙通の近習、使用人達が涙を堪えていました。
「ぶははは!長盛…なぜ、泣くんだバカ者!」
九条稙通も涙が堪えきれず、笑いながら涙を流していました。
「殿下!おめでとうございます!」
大粒の涙を流しながら、信濃小路長盛がお祝いの言葉を上げました。
数日後、都に噂が飛び交いました。
摂関家の領地奪還の為、朝廷が征伐を開始する…
総大将は元関白、太閤殿下の九条稙通だと…
噂を流したのは九条家の兄弟と仲間の者達…
来年の菊松丸の元服から東国遠征に絡んで、摂関家の領地奪還計画を考えたのは…
菊松丸と東福寺に養子に出された如水の二人でした。
―東福寺、湯浴み処―
―菊松丸、如水―
「兄上、間もなく始まります。
稙通兄上の名誉が回復出来ますね!」
「菊松丸、全てはお前が幼い頃から始めた商売が次々に人の輪を繋げたから九条家が明るくなった!
本願寺の門跡、都の大商人、桔梗屋藤次郎に気に入られるとは…」
「なんの、兄上がいつも側に居て守ってくれて、花山院の兄様、尋円兄様も度々人脈を通して助けてくださいました。
菊松丸は、兄様達に恵まれて感謝しております」
「ははは、此れだけ謙虚で感謝を忘れないから菊松丸は皆に好かれるのだ。
さて、間もなく忙しくなるぞ!
どうもな、兄上が総大将と聞いて誘ってもいないのに、征伐に加わりたいと申し込みが増えているらしいぞ!」
「ふふふ、総勢3000かな?5000かな?」
二人は仲良く互いの背中を洗い流して、語らいの時を楽しみました。
九条家の五兄弟が摂関家の領地奪還の為に戦う事になりました。
興福寺、東福寺、本願寺の僧兵が中心になって戦う事になりました。




