↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
視竜 〜最弱の眼、最強を射抜く〜  作者: Studio Yodaca
再び灯る石

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
92/109

下りの道

都の門を出るとき誰も見送りはいなかった。


 来たときはヴェントが隣にいた。帰りは独りだった。それでいいとセイルは思った。誰かに別れを告げれば足が鈍る。告げずに発つと決めたのは自分だ。


 石畳の大路を抜け都の外へ続く街道に出ると、足の下が踏み固められただけの土に変わった。背の荷は軽い。持って帰るものなどもとから何もなかった。ハルダがためてくれた麻袋の銭がわずかに残っているだけ。それで村までどうにか戻れる。戻れるだけはあった。


 歩き出してすぐに気づいた。


 来た道を逆に辿るのだと。


 あのとき村から上ってきたこの同じ道を。今度は下っていく。


 半日も歩くと都の喧噪はすっかり背後へ消えた。


 街道はゆるやかに下り始めていた。中央の高みから辺境の低みへ。地図にはそんな勾配は描かれていない。だが、セイルの肌はそれを知っていた。


 歩くほどに皮膚の下のあのざわつきが薄れていく。


 来たときとは逆だった。あのとき村から離れるにつれ、土地は濃さを増していった。常に薄く肌を撫でていた魔力が、坂を上るように強くなっていった。今はその坂を下っている。一歩ごとに世界が淡くなっていく。


 都にいたころは寝ても覚めても肌が騒いでいた。世界でいちばん魔力に満ちた場所。あらゆるものが視えすぎて、視ないことのほうが難しかった。それが今、少しずつ鎮まっていく。


 奇妙な心地だった。静かになっていくのに寂しくはない。むしろ肩から重いものが、一枚ずつ剥がれ落ちていくようだった。


 ここでは誰も自分を化け物とは呼ばない。観測器とも再来とも。ただの道を行く若者の一人だ。すれ違う旅人はセイルの肌が何を感じているかなど知りもしない。


 それが――こんなにも楽だとは。


 三日目の夕暮れ峠の宿場に着いた。


 往路でヴェントと一夜を過ごした宿場だった。あのとき隊商頭とすれ違いこの時季の峠は冷えると言われた。あれから半年。同じ宿の同じ土間でセイルは独り冷えた粥をすすった。


 火のそばで商人らしい男たちが酒を酌み交わしていた。聞くともなしに、その話が耳に入る。中央の景気の話。どこそこの関所で税が上がった話。そして――辺境の話。


「ロウラントのほうは今年は不作だそうだぜ」と一人が言った。「家畜がわけもなく弱るんだと。乳も出ねえ、子も産まねえ。土地が瘦せたかね」


「あんな最果てだ。もとからろくに何も実りゃしねえ」と別の男が笑った。


 セイルは粥をすする手を止めた。


 ロウラント。自分の生まれた辺境州の名だった。家畜が弱る。わけもなく。


 胸の奥で何かが小さく引っかかった。だが、それが何なのかうまく掴めなかった。ただの不作かもしれない。辺境では珍しいことでもない。そう思おうとした。


 峠を越えると道は本格的な下りに入った。


 ここから先はもう中央の領分ではない。痩せた木立、剥き出しの岩肌、低く垂れこめる雲。見覚えのある辺境の景色だった。肌のざわつきはもう、ほとんど感じられないほどに薄くなっていた。


 帰ってきたのだとセイルは思った。半分は。


 ふと、村を出る朝のことがよみがえった。村はずれでティナが待っていた。籠も背負わず、ただ朝の風の中に立っていた。


 ――もし向こうでどうしても駄目になったら。帰ってきてもいいんだからね。あたしはこわがったりしないから。


 あのときセイルは目を逸らした。何も言えずに背を向けた。


 駄目になった。確かに。都は自分を受け入れなかった。化け物として追い出すか、道具として捕らえるか、そのどちらかしかなかった。


 だが――今自分が村へ帰るのは、ティナの言ったような帰り方ではないとセイルは思った。逃げ帰るのではない。負けてすごすごと巣穴に戻るのではない。


 自分が何者なのか。あの石が何なのか。それを確かめに帰るのだ。誰かに定義される前に、自分の足で自分の出どころを視るために。


 ――向こうで何を知っても何になってもおまえはおまえだよ。


 ハルダの骨ばった冷たい手の感触がよみがえった。あの朝、確かめるように一度だけ握り直してから離した手。


 おまえはおまえ。ティナも同じことを言った。変なあんたがあんた。


 二人の言葉だけが、この半年ずっと胸の底に残っていた。都の誰も自分を「ただのセイル」とは見てくれなかった。だが、あの村の二人だけは最初からそう見てくれていた。


 会いたいと思った。理由のいる感情ではなかった。


 異変に気づいたのは村まであと二日というあたりだった。


 肌のざわつきはとうに薄れきっていた。辺境の痩せた土地。何も視えるもののない淡い世界。そのはずだった。


 なのに。


 歩いているうちに肌の感じがまた変わってきた。


 来たときの「濃さ」とは違う。あれは土地全体が一様に帯びる、坂のような濃さだった。これは――違う。一様ではない。前方のずっと先。村のある方角。そこから何かが糸のように細く、こちらへ伸びてきている。


 セイルは足を止めた。


 肌のある一点だけがざわついていた。村のほうを向くと強くなる。背を向けると弱まる。間違いない。何かが、村の方角からにじみ出している。


 覚えのある感覚だった。ずっと昔。あの石が独りでに灯ったあの夜。光の奥を視たときのあの――。


 背筋が冷たくなった。


 まさかとセイルは思った。あの石が。また。


 いや、まだ分からない。遠すぎてはっきりとは視えない。ただ何かが村のあたりで起きかけている。あるいはもう起きている。それだけは確かだった。


 不作。家畜がわけもなく弱る。宿場で聞いた話がよみがえった。あれはただの不作ではなかったのかもしれない。


 セイルは空を見上げた。辺境の低く垂れこめた雲。その下に生まれ育った村が沈んでいる。


 急がなければと思った。


 逃げるためではない。今度は向かうためだった。あの糸の伸びてくる先へ。すべてが始まったあの石の前へ。


 セイルは荷を背負い直し、薄れた肌のざわつきのただ一点だけが指し示す方角へ足を速めた。


 下りの道はもう終わりに近かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。