祟りの噂
その夜、セイルはほとんど眠れなかった。
家に戻ったあとも、肌に残る引かれる感触が消えなかった。寝床で目を閉じても、まぶたの裏にあの光が滲む。石の奥にあった、途方もなく古い気配。あれは何だったのか。考えれば考えるほど、答えから遠ざかっていく気がした。
夜明け前、ようやくうとうとしかけたところで外が騒がしくなった。
人の声だ。それも一人や二人ではない。セイルは寝床から飛び起きた。腹の底に、何か固いものが落ちてくる心地がした。
板戸を細く開けて外をうかがう。
村の者たちが村はずれの斜面のほうを指さして、口々に何か言い合っていた。早朝の畑仕事に出た誰かが、夜のうちに変わったものを見たのだろう。あるいは斜面に残る何かに、気づいたのか。
「光ったって言うんだ、あの石が」
「ばかな。石が光るものか」
「だがゆうべ確かに見たって者が……」
切れ切れに届く言葉に、セイルは板戸の端を握ったまま動けなくなった。
やはり知られた。
「セイル」
背後から、しわがれた声がかかった。ハルダがいつのまにか起きて、土間に立っていた。皺の刻まれた顔に、いつもの眠そうな気配はない。その目はまっすぐにセイルを見ていた。
「おまえ、ゆうべあそこにいたね」
問いではなかった。確かめる言葉ですらない。ただ知っているという響きだった。
セイルは何も言えなかった。否定の言葉も肯定の言葉も、喉の奥でつかえたまま動かない。
ハルダはそれ以上問わなかった。代わりにゆっくりと外の騒ぎのほうへ目を向け、低く呟いた。
「祟りじゃないよ、あれは」
セイルは思わず祖母の顔を見た。
「……ばあちゃん?」
「あの石は悪いものじゃない」ハルダの声は静かだった。「昔からそう聞いてる。あれは視る石だ。ばあさまのそのまたばあさまの頃から、ずっとそう呼ばれてきた。……なんで視る石と呼ぶのかは、知らないよ。ただそう呼ぶんだと、そう教わってきただけさ」
視る石。
その呼び名が、ゆうべの感覚と重なった。石の奥の何かが、ただ今夜だけこちらを向いた。ずっとそこに在ったものが――。
「ばあちゃんは」セイルは掠れた声で訊いた。「あの石が何なのか知ってるのか?」
ハルダはしばらく黙っていた。それからゆっくりと首を横に振った。
「いいや。何も知りゃしないよ。ただ唱える言葉と畏れることだけを、教わってきた。中身が何かなんて、ばあさまもそのまたばあさまも知らなかったろうさ」
知らない。ただ畏れることだけを継いできた。
その答えは、セイルを安心させはしなかった。むしろ何かが、足の下から抜け落ちた。何百年も唱えられてきた言葉の中身を誰も知らない――その石がゆうべ、自分の前で光ったのだ。
「外には当分出るんじゃないよ」ハルダはそう言って、竈のほうへ向かった。「噂が静まるまで家にいな」
だが噂は静まらなかった。
昼を過ぎる頃には、村中がその話で持ちきりになっていた。井戸端で、畑の畦で、人々はひそひそと囁き合う。石が光った。祟りだ。いや何かの前触れだ。誰かが余計なことをしたんじゃないか――。
そしてその「誰か」として、ある名前が囁かれ始めるのに長くはかからなかった。
視る石みたいなあの子。
セイルにははっきりと分かった。窓の外を通る村人が、この家のほうを見て足を速める。目が合うと、気まずそうにそらす。便利な勘を頼りにしていたときの目とは、まるで違う。あれは――気味の悪いものを見る目だった。
昨日まで、ここは自分の村だった。生まれてからずっと、ほかのどこも知らない自分の居場所だった。
それがたった一晩でこんなにも遠くなる。
セイルは土間の隅に膝を抱えた。祟りじゃない――誰も中身を知らない――視る石だ。ハルダの言葉が順番を失って、ただ頭の中をぐるぐると回り続けた。
ならばその石に視られた自分は、いったい何なのだろう。
夕暮れ、戸を叩く音がした。
村人ではなかった。戸口に立っていたのは、ゆうべの男――ヴェント・サージュだった。村の宿に泊まっていたらしい。外套の肩に、夕日が当たっている。
「少し話せるか」とヴェントは言った。「君と君の家の人に。……大事な話だ」
セイルの後ろでハルダが静かに立ち上がる気配がした。




