視られる日々
翌日から聴講の席に見慣れぬ者が混じるようになった。
灰色がかった地味な佇まいの男だった。学徒のふりをして後ろの席に座り、講義を聞いている。だが――ノートを取らない。視線が講師ではなく、セイルの後頭部にずっと向けられている。
肌がそれを捉えていた。冷たく計算され尽くした気配。あの夜路地で自分を囲んだあの連中と同じ質の。
記録に残らぬ影が、もう隠れることすらやめていた。公然とセイルのそばに座っている。逃げられはしない。ただ視られている。それを知らしめるために。
日々のあらゆる場所が少しずつ狭くなっていった。
文書館でいつもの書架の鍵を借りようとすると、係の者が目を逸らした。「その区画は当面、閲覧を止めております」――昨日まで開いていた区画だった。
廊下を歩けば学徒たちが道を空けた。礼儀としてではない。穢れたものから身を引くように。
講義で手を挙げても、講師はセイルを見なかった。質問は宙に浮き、誰にも拾われず落ちた。
化け物。――その言葉はもう、噂の中だけのものではなかった。実害として、セイルの周りから一つまた一つと足場を削り取っていった。
それでもトビーだけは変わらず隣に来た。
「気にすんなって」トビーはわざと明るく言った。「あいつら、ただのことなかれ主義さ。君がすごいことを僻んでるんだ」
セイルは何も言えなかった。トビーのその変わらなさが、ありがたく、そして恐ろしかった。
その日の夕刻、講堂を出たところで――それは起きた。
灰色の男がトビーの前に立ち塞がった。
「君。ロウラント君とは親しいのかね」男は穏やかに訊いた。感情のない声で。「出身は。家は。誰の紹介で、ここへ」
トビーの顔から血の気が引いた。普段の軽口はどこにもなかった。ただ震えながら、問いに答えていた。逆らえば自分までどうなるか分からない。そういう相手だと、本能で悟ったのだ。
「やめろ」
セイルは思わず間に割って入っていた。
「この男は関係ない。ただの同期だ。おれに用があるなら――おれに言え」
灰色の男はゆっくりとセイルを見た。その目に感情はなかった。ただ、一つの事実を記録するような。
「ほう」男はわずかに首を傾げた。「庇うのか。――では覚えておこう。この者が君の弱みだと」
弱み。
その一語がセイルの胸を刺し貫いた。
男はそれだけ言うと、何事もなかったように踵を返し、人混みに消えていった。
トビーはまだ震えていた。
「……なあ」トビーは掠れた声で言った。「あいつ、何なんだ。なんでおれの家のことまで」
セイルは答えられなかった。お前もおれといると危ない。――その言葉が喉まで出かかった。だが言えなかった。それを言えば、たった一人の友すら自分から突き放すことになる。
その夜、セイルは下宿の窓辺に座っていた。
目を閉じ、絞って向ける。オルセンに教わったとおりに。都の闇に張り巡らされた監視の流れを視た。
視えた。
下宿の向かいの暗がり。路地の角。屋根の上。――いくつもの目が自分を囲んでいた。整然と配置された学問の術。どこに目があるかは視える。だが、視えたところでどうにもならなかった。逃げ場の地図が視えるだけ。その地図のどこにも――出口はなかった。
視えているのに無力だ。
その感覚が何よりこたえた。
ふと肌の別の場所がざわついた。
監視の冷たい流れとは違う。もっと古く、重く――血の匂いのするあの感じ。神秘の力。
屋根のさらに上。月明かりの届かぬ闇に、一瞬、誰かの気配がよぎった。不機嫌そうな若い影。こちらをじっと見ているような。
だが瞬きの間にそれは消えた。
学問の影に囲まれている。そのほんの隙間に――今度は、神秘の手が忍び寄ろうとしている。
足元の地面がまた一段崩れた気がした。




