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視竜 〜最弱の眼、最強を射抜く〜  作者: Studio Yodaca
再び灯る石

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文献の闇

翌日もセイルは古文書庫を訪れた。


 ヴェスパ翁はまた巻物の山に埋もれていた。だがその日はなぜか機嫌が悪かった。セイルがヴァルダの古い断片をもっとと求めると、老人はしばらく黙り込んだ。


「……もうないな」やがてヴェスパ翁はぼそりと言った。「お前に見せられるものは。あれで全部だ」


 その口ぶりにセイルは引っかかった。


 全部だと言った。だが――「見せられるもの」はとわざわざ断った。見せられないものがあるということだった。


「先生」セイルは低く訊いた。「ほかにもあるんですね。ヴァルダのことを書いた文献が。見せられないものが」


 ヴェスパ翁の濁った目が泳いだ。


「……何のことだ」


「視えるんです」セイルは言った。「先生が何か隠してるのが。さっきから――そこの棚の奥のほうを気にしてる。おれが近づくと目で追ってる」


 老人の痩せた肩がこわばった。


 セイルには視えた。ヴェスパ翁の中で二つのものがせめぎ合っていた。記録への執着。すべてを知りたい伝えたいという本能。そして――それを上回る何かへの畏れ。口をつぐませる力への恐怖。


「やめておけ」ヴェスパ翁は低く言った。「小僧。お前が首を突っ込んでいいことではない」


「教えてください」セイルは引かなかった。「おれは知りたいんです。ヴァルダのことを。――おれ自身のことに関わるかもしれないから」


 ヴェスパ翁は長いあいだセイルを睨んでいた。それからふっと肩の力を抜いた。諦めたように。


「……ついてこい」老人は立ち上がった。


 古文書庫のいちばん奥。鍵のかかった鉄の扉の向こう。そこに別の小さな書庫があった。封じられた書庫だった。


「ここは」ヴェスパ翁は低く言った。「禁帯出の書庫だ。公理院の許しなくば入れぬ。わしは番人ゆえ入れる。だが――お前を入れたことが知れたらわしの首が飛ぶ。見るだけだ。何も持ち出すな。何も書き写すな。いいな」


 書庫の中はひどく埃っぽかった。


 ヴェスパ翁が一冊の古い冊子を抜き出した。ヴァルダのもっとも古い記録の一つだという。だが――それを開いてセイルは息を呑んだ。


 ところどころが削られていた。


 文字が塗り潰され。頁が破り取られ。意図的に消されていた。ヴァルダの生涯のある一点から先が。まるごと誰かの手で抹消されていた。


「これは」セイルは低く言った。「誰が消したんですか」


「分からん」ヴェスパ翁は首を振った。「だが――古い。少なくとも百年は前だ。公理院ができてから間もないころ。誰かがこの記録の都合の悪いところを消した。そしてこの冊子ごと封じた。誰にも読ませぬように」


 セイルはその削られた頁を視た。


 文字はもう読めなかった。だが――肌で感じた。消された箇所に染み込んでいた、消した者の感情を。それは畏れだった。そしてもう一つ――隠蔽の意志。これを世に出してはならぬという強い決意。


 何が書かれていたのか。消された頁には。ヴァルダの最期に関わる何か。竜を討つ者が竜に近づいていくその果ての何か。あまりに恐ろしくて消さねばならなかった何か。


 恐怖がセイルの背を這い上がった。だがその中身は視えなかった。消されていたから。輪郭だけが黒い空白としてそこにあった。


「学問は」セイルは呆然と言った。「真実を求めるんじゃなかったんですか。なのに――都合の悪い記録を消してる。神秘を迷信だと笑いながら。自分たちは本当のことを隠してる」


「学問とて」ヴェスパ翁は低く言った。「人の営みだ。都合の悪いものは消す。怖いものは封じる。神秘を周縁に追いやったのも――半ばはその怖さゆえかもしれん。分からぬものは消すか笑うか利用するか。学問も神秘も根は同じだ。分からぬものを分からぬまま扱えぬ。それが人だ」


 セイルは唇を噛んだ。


 学問も。神秘も。どちらも分からないものを消し、笑い、物語に押し込め、利用してきた。そして――自分も村の石も。その分からないものの一つだった。いつか消される側になるかもしれない。都合が悪ければ。


 古文書庫を出て。


 セイルはしばらく地下の暗がりに立っていた。


 ふと村の石のことがよぎった。辺境では知られた古い物語。中身を誰も知らない神秘時代の名残。――あれももしかしたら。誰かに伏せられてきたのかもしれない。消された頁のように。都合が悪いから。恐ろしいから。だから辺境の片隅に追いやられて。中身を誰も知らないまま。


 まさかと思った。だがその「まさか」を否定する根拠もなかった。すべては宙吊りのまま。ヴァルダの消された最期。村の伏せられた石。自分の分からない力。三つの空白が暗がりの中で、薄く繋がりかけていた。


 だがセイルはそれ以上考えるのをやめた。考えれば足元が崩れそうだった。今は分からないというところで止めておく。ヴェスパ翁の言葉が耳に残った。分からぬものは分からぬまま扱えぬ。――せめて自分だけは。分からないものを分からないまま抱えていたかった。消しも笑いもせずに。


 地下の階段を上りながらセイルは思った。学問のまばゆい光のその奥に。こんな黒い空白が封じられている。光が強ければ強いほど。消された闇もまた深いのかもしれなかった。


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