問い始める
ヨナが去ったあと。セイルはしばらく眠れなかった。
学問は自分を化け物と呼んだ。神秘は自分を再来と呼んだ。どちらもただの「セイル」を見てはいなかった。
そして――どちらにも自分は属せなかった。
学問に与すれば。観測器として解剖される。神秘に与すれば。器として誰かの物語の続きにされる。どちらを選んでも自分は消える。ただのセイルではいられなくなる。
だが選ばなければ――どこにも居場所がない。
学院の片隅に、オルセンの研究室に、セレナとの仕事に。ささやかな足場はできかけていた。だがそれはいつまでもつのだろう。化け物と畏れられ、観測器として狙われ、再来として誘われる身で。
セイルは自分の両手を見た。
この手の中に何があるのか。なぜ自分にだけ視えるのか。学問の天才も神秘の見習いも欲しがってやまないこの力が。なぜよりにもよって魔力もない辺境の落第者の自分に。
分からなかった。
そしてその「分からなさ」こそが――誰もが自分に好きな物語を貼りつける隙間だった。分からないから化け物にされる。分からないから再来にされる。自分が何者か分かっていないから。
その夜ふと村のことがよみがえった。
村を出る前の夜。ハルダが語ってくれた古い話。祖喰いのヴァルダ。祖型を喰らって竜を討った英雄の話。
なぜ今それを思い出したのか分からなかった。だが――あの話を聞いたとき肌がざわついたのを覚えていた。あの石の前に立ったときと同じように。まるでずっと昔から知っている話をもう一度聞かされたような。
ヴァルダ。祖型を喰らった者。
その名がなぜか胸の奥で引っかかって離れなかった。
自分のこの「視る」力。祖型へ通じるこの感覚。それと祖型を喰らったというあの英雄の伝説。何か繋がりがあるのだろうか。
まさかと思った。村の古い昔語りだ。子どもを寝かしつけるための英雄譚に過ぎない。自分の力と結びつけるなんて馬鹿げている。
だが――肌のざわつきは嘘をつかなかった。あの話には何かある。自分に関わる何かが。
知りたいとセイルは思った。
怖いくせに。
自分が何者なのか。なぜこの力があるのか。あのヴァルダの伝説と自分の間に何があるのか。
知れば――誰かに定義される前に自分で自分の正体を掴めるかもしれない。化け物でも再来でもない本当の自分を。
いやとセイルは思い直した。本当の自分が何なのかは分からない。知ったところで化け物よりももっと恐ろしいものかもしれない。祖型を喰らった英雄。その英雄は竜を討つほど竜に近づいたという。もし自分がその英雄と同じ血を引いているなら――。
怖かった。
だが分からないまま誰かの物語に回収されていくのはもっと嫌だった。
知らないまま化け物にされ、再来にされ、観測器にされて消えていく。それよりは――たとえ恐ろしい答えだとしても。自分で自分の出どころを確かめたかった。
翌日セイルはヴェントを訪ねた。
ヴェントは庁に近い立場で揺れていた。完全な味方ではないかもしれない。だが文書館の古い記録に通じているのはこの人だった。そして自分の異才を誰よりも早く見出してくれた人でもあった。
ヴェントの前に立ったとき、セイルの胸の中で夜のあいだぐるぐると回り続けていた問いが、ようやく一つの言葉になった。
知りたい。自分が何者なのかを。誰かに定義される前に。
その問いを口にするのは勇気が要った。口にすればもう後戻りはできない。怖い答えが待っているかもしれないその道を歩き始めることになる。
だがセイルはもう決めていた。
息を吸った。そして口を開いた。




