弾かれた者
数日後ヨナがまた訪ねてきた。
今度はカインの使いではなかったらしい。下宿の戸口に一人で立って、不機嫌そうに目を逸らしていた。
「べつに用はないけど」ヨナはぶっきらぼうに言った。「カインさんがあんたを放っておくなって。気が変わるかもしれないから様子を見てこいって。――それだけだ」
セイルはヨナを下宿の近くのネルの食堂へ誘った。ヨナはしぶしぶついてきた。
粥を二人ですすった。
しばらくヨナは黙っていた。それからぽつりと言った。
「あんたいいよな」ヨナは粥を見つめたまま言った。「魔力もないのに。学問にも神秘にも欲しがられて」
その声に棘があった。羨望と、それから納得のいかなさの混じった棘が。
「いいことなんかない」セイルは言った。「学問には化け物って呼ばれてる。神秘には――再来だなんておれじゃないものにされようとしてる」
「それでも」ヨナは顔を上げた。「欲しがられてる。おれは――誰にも欲しがられなかった」
「おれもとは」ヨナはぽつりぽつりと語り出した。「中央の魔法塾にいたんだ。学問魔法を学んでた。家は貧乏だったけど、なんとか月謝を工面して」
セイルは黙って聞いた。
「でもだめだった」ヨナは自嘲した。「魔力が足りなかった。術式は覚えたよ。誰よりも必死に。なのに流せる魔力が足りない。下級の灯りすらまともにともせなかった。――塾の先生に言われたよ。お前には才能がない。月謝の無駄だって」
その話は、どこかで聞いた話と似ていた。ピル。あのただ足りない者。聴講をやめて、静かに消えていった気弱な青年。
だがヨナは消えなかった。
「それで放り出されて」ヨナは続けた。「行く当てもなくて。大路で野垂れ死にかけてた。そのとき――カインさんが拾ってくれたんだ」
「カインさんは」ヨナの声が初めて熱を帯びた。「言ってくれた。お前は無能なんかじゃないって。学問の物差しがお前を測れなかっただけだって。神秘には別の道がある。書く魔法じゃなく唱える魔法が。お前にもできる魔法があるって」
セイルははっとした。
学問の物差しが測れなかっただけ。それは――リーゼルが自分に言ってくれた言葉と同じだった。学問側の若い講師。そして神秘側の鍵守。立場のまるで違う二人が、弾かれた者に同じ言葉をかけていた。
「神秘の魔法は」ヨナは言った。「魔力の量じゃない。古語の真名を声で唱える。祖型に語りかける。それは――修めれば誰にでもできる。おれみたいな魔力の足りない者にも。だからおれは救われた。初めて自分にもできることがあった」
ヨナは低く古語の一節を唱えた。
セイルの肌がざわついた。その書けない言葉の響きの奥に、確かに祖型へ通じる細い流れが生まれるのが視えた。学問の術式の整然とした流れとは違う。もっと生々しく古い。声で紡がれる魔法。
「すごい」セイルは思わず言った。「今の視えた。あんたの声から祖型へ流れが伸びてた」
ヨナの動きが止まった。
「……視えた?」ヨナは信じられないという顔をした。「おれの詠唱の流れが?」
「ああ」
ヨナの顔がゆがんだ。羨望と、悔しさと、それから――どうしようもない納得のいかなさで。
「ほら、それだよ」ヨナは吐き捨てた。「おれが何年も修行してやっと唱えられるようになった魔法。その流れを、あんたはただ視ちまう。生まれつき。何の修行もなしに。――おれが一生かけても届かないものを」
ヨナの目に涙が滲んでいた。
「ずるいよ」ヨナは言った。子どものような声で。「おれはこんなに欲しがってるのに。あんたはそれを持ってて――しかも神秘を選ぼうともしない」
その言葉は、いつかアルヴォが言ったことと同じだった。なぜお前なんだ。持たざる自分が持っている。持っているほうは、それを当たり前のように抱えている。
学問の天才も神秘の見習いも。同じ言葉を自分にぶつけていた。
「悪い」セイルはぽつりと言った。「おれにも分からないんだ。なんでおれにこんな力があるのか。誰も教えてくれない。自分でも分からない。――欲しくて手に入れたものじゃないんだ」
ヨナはしばらく黙っていた。それからぐいと涙を拭った。
「……分かってるよ」ヨナはぶっきらぼうに言った。「あんたが悪いわけじゃない。分かってる。ただ――八つ当たりだ。悪かった」
その率直さがセイルの胸に染みた。
この青年は純粋だった。羨望を隠さない。だがそれを相手のせいにもしない。そういうまっすぐさがあった。
「あのさ」帰り際ヨナはふと声を落とした。「房にはいろんな奴がいる。おれみたいにただ救われて感謝してる奴もいれば――学問を本気で憎んでる奴もいる。リノって奴とか。あいつは神秘を守るためなら禁制でも何でもやる。――気をつけろよ。神秘は優しいだけじゃない」
それだけ言うとヨナは闇の中へ戻っていった。
セイルはその背を見送った。
神秘の側にも、ただの人がいた。弾かれて、救われて、感謝して、羨んで。セレナが学問の側で自分に寄り添ってくれるように。ヨナは神秘の側にいた。
もし自分が神秘を選んでいたら。ヨナは仲間になっていたのかもしれない。だが自分は――どちらも選べずにいた。半分ずつのまま、どちらの淵にも足を踏み出せずに。




