破片を拾う
暴走から数日が過ぎても。
半壊した実習場はまだ片付いていなかった。裂けた壁。抉れた床。砕けた術式の媒晶。教師たちは原因の検分に追われ、後始末まで手が回らずにいた。
セイルはその実習場へ一人足を運んだ。
誰に頼まれたわけでもなかった。ただ――あの夜自分が鎮めきれなかった破片が、まだそこに散らばっていることが気にかかった。せめて片付けよう。視ることしかできなかった自分にできるのは、それくらいだった。
砕けた媒晶を一つずつ拾い集める。
地味な作業だった。だがセイルは黙々と続けた。破片の一つ一つに、まだ暴走の魔力の淀みが薄く残っていた。それを視ながら、淀みの強いものは別に分けて。危なくないように。
しばらくすると足音が聞こえた。
顔を上げると、一人の同期が戸口に立っていた。あの夜暴走に巻き込まれて腕を負傷した学徒だった。包帯を巻いた腕で松葉杖をつき。実習場の様子を見に来たらしかった。
セイルと目が合った。
その同期の顔がこわばった。あの村人と同じ畏れの目。化け物を見る目。だが――その奥に別のものもあった。セイルには視えた。畏れと混じり合った何か。後ろめたさのような。
同期はしばらく立ち尽くしていた。それからおずおずと口を開いた。
「お前が……片付けてるのか」
「ああ」セイルは手を止めずに言った。「危ない破片がまだある。淀んでるやつが。触るとよくない。だから――分けてる」
同期は松葉杖をつきながら近づいてきた。砕けた媒晶の山を見た。それからセイルが別に分けた淀みの強い破片の山を。
「これ……お前には分かるのか」同期は低く言った。「どれが危なくてどれが安全か」
「視えるんだ」セイルは言った。「淀みが。残ってるやつはまだ危ない」
同期は黙ってその山を見ていた。
「あのさ」やがて同期は言った。声が少し震えていた。「あの夜……おれ巻き込まれて動けなかった。魔力の渦の真ん中で。もうだめだと思った。――そしたら誰かがその渦を止めた。一瞬で静かになって。それでおれは助かった」
セイルは手を止めた。
「あれお前だったって聞いた」同期は続けた。うつむきながら。「お前があの中に入って。渦を鎮めた。――おれを助けてくれた」
沈黙が落ちた。
同期は何かを言おうとして口を開いた。だがその言葉は出てこなかった。喉のあたりでつかえていた。ありがとうと。たったその一言が。
セイルには視えた。同期の中で二つのものがせめぎ合っていた。
助けられたという感謝。それは本物だった。だが同時に――化け物への畏れも本物だった。魔力もないのに竜級を鎮めた異常な者。その得体の知れなさが怖い。感謝したい。でも怖い。その二つが同期の中でぶつかり合って、言葉を堰き止めていた。
「いいよ」セイルは静かに言った。「無理に言わなくて」
同期がはっと顔を上げた。
「お前が怖いのは分かる」セイルは破片を拾いながら言った。「魔力もないのに変なことができる。気味が悪い。――村でもずっとそう言われてきた。だから慣れてる。お前がおれを怖いと思うのは当たり前だ。それでいい」
「でも」同期は口ごもった。「お前はおれを助けて」
「助けたのと」セイルは言った。「怖いのは別のことだ。両方あっていい。――おれだって自分の力が怖いんだ。だからお前が怖がるのも分かる」
同期はしばらくセイルを見ていた。
それから――松葉杖をつきながらゆっくりとしゃがんだ。負傷していない片方の手で近くの破片を一つ拾った。
「手伝う」同期はぼそりと言った。「片付け。お前一人じゃ大変だろ。――どれが危ないか教えてくれ。おれは視えないから」
セイルは目を見開いた。
二人はしばらく黙って破片を拾った。
セイルが淀みを視て危ないものを選り分ける。同期が安全なものを片手で集める。会話はほとんどなかった。同期はまだセイルを怖がっていた。それは視えていた。完全には打ち解けていない。たぶんこれからも。
だが――それでも隣で破片を拾っていた。
怖がりながら。感謝しながら。その二つを抱えたまま。完全には分かり合えない。怖さは消えない。だが消えない怖さを抱えたまま、それでも隣で同じ作業をしてくれる者がいた。
半分だけ届いていた。あの「ありがとう」は最後まで言葉にならなかった。だが破片を拾うその手が、言葉の代わりに何かを伝えていた。完全には分からない。でも無いことにはしない。お前が助けてくれたことを。
それは感謝の言葉よりずっと不器用で。そしてずっと本物だった。
日が暮れかけたころ。
破片の山はずいぶん片付いていた。同期は松葉杖をつき直して立ち上がった。
「じゃあ……おれ行く」同期はぎこちなく言った。最後までありがとうとは言わなかった。だがその代わりにこう言った。「お前また片付けるなら……呼べよ。手伝う」
それだけ言って同期は去っていった。
セイルはその背を見送った。
化け物扱いは変わらなかった。畏れも消えなかった。だが――その畏れの中にぽつりと何かが芽生えていた。半分だけ分かろうとする何か。完全には渡ってこられない。でも岸に立ってこちらを見てくれる。破片を一緒に拾ってくれる。
ニケが言った言葉を思い出した。島の言葉でもさ岸に立ってる奴が一人くらいはいるんじゃないの。
その通りだった。化け物の島にも。岸に立つ者がぽつぽつと現れていた。トビーが。セレナが。今この名も知らぬ同期が。
完全に分かり合うことはないだろう。孤独は消えない。だが――その孤独を独りで抱えなくてよくなりつつあった。半分だけ分かろうとする者たちが、一人また一人と岸辺に立ち始めていた。
窓の外で都の灯が灯り始めていた。その明るさはもうまったくのよそ者の光ではなかった。まだ居場所とは呼べない。だがまったくの孤独でもなかった。
その夜セイルは片付け終えた実習場を後にした。手にはまだ破片の冷たい感触が残っていた。だがその冷たさの奥に、ほんの少しだけ温かいものが灯っていた。




