破片の中で
アルヴォの暴走が残したものは大きかった。
実習場は半壊していた。暴走した魔力が壁を裂き、床を抉っていた。巻き込まれた学徒が数人負傷した。幸い死人は出なかった。だが――それはセイルが暴走の渦を鎮めたからだった。あと少し遅ければ、アルヴォ自身も周りの学徒もただでは済まなかった。
夜が明けても院は騒然としていた。
負傷者の手当て。半壊した実習場の検分。教師たちが青ざめた顔で走り回っていた。そしてその騒ぎの中心に――セイルがいた。
「お前が鎮めたのか」
ダルム・ヴェクセルがセイルの前に立っていた。公理派の長老。かつてセイルを「測れぬ落第者」と断じたあの老人。
その目は混乱していた。
「術式の痕跡がない」ダルムは低く言った。「お前は魔力を流せぬはずだ。なのに竜級の暴走を鎮めた。――どうやった。説明できるか」
「できません」セイルは言った。「術じゃないから。ただ視て――流れを手繰って止めただけです」
「視て手繰って止めた」ダルムはその言葉を繰り返した。理解できないというように。「そんなものは魔法学にはない。記述できぬ。証明できぬ。――だが現にお前は止めた」
ダルムは長いあいだセイルを見ていた。
かつてこの老人は言った。測れぬものは無い。証明できぬものは無いに等しい。だが今、その「無いはず」のものが目の前で竜級の暴走を鎮めて立っていた。ダルムの完璧な体系に、説明のつかないひびが入っていた。
だがダルムはそれを認めなかった。
「……異常な事態だった」ダルムは絞り出すように言った。「だがお前のその力は学問ではない。記録には『原因不明の鎮静』と残す。お前の名は――出さん」
それだけ言ってダルムは背を向けた。
セイルは悟った。
またなかったことにされる。あの未学問領域の女を救ったときと同じ。視て救っても、記録には残らない。学問は自分を記述できない。だから無いことにする。
それでいいと思おうとした。だがその「それでいい」はいつものように寒かった。
「セイル!」
声に振り向くとトビーが駆けてきた。
「無事か! お前あの中に入ったって……無茶しやがって!」トビーは半泣きの顔で言った。「死んだかと思ったぞ! なんでお前が行くんだよ!」
セイルはトビーの顔を見た。
心配していた。本気で。自分の身を。化け物として畏れるのでもなく。ただ友として心配して。
「ごめん」セイルは言った。「でもおれにしか視えなかったから」
「だからって!」トビーは声を荒げた。それからふっと力を抜いて言った。「……まあ無事ならいい。けど今度から無茶する前に一言言えよな」
そのぶっきらぼうな優しさがセイルの胸に染みた。
だがトビーのような者は少数だった。
多くの学徒はセイルを遠巻きにした。竜級を素手で鎮めた化け物。あの暴走の中へ平然と歩み入り、生きて出てきた異常な者。その目は村人と同じだった。気味の悪いものを見るあの目。救ったことへの感謝などどこにもなかった。あるのはただ理解できないものへの畏れだけ。
とりわけ――メイナ・ドルフとクレス・アイゼルの変わり身は露骨だった。
かつてアルヴォにすり寄っていた二人。だがアルヴォが暴走して倒れた今、彼らはもうアルヴォの名を口にしなかった。代わりにセイルを恐れと敵意の混じった目で見ていた。
「あいつやっぱり化け物だ」メイナが聞こえよがしに言った。「魔力もないのに竜級を鎮めた。そんなの人間じゃない。神秘の化け物だ」
「アルヴォ様がああなったのも」クレスが続けた。打算的に声を潜めて。「あいつが何かしたんじゃないか。あいつが来てからおかしくなった」
濡れ衣だった。だが誰も否定しなかった。皆薄々そう思いたがっていた。理解できない異常の原因を、誰か一人に押しつけたかった。そしてその「誰か」にセイルはうってつけだった。
アルヴォはその後療養のため院を離れた。
暴走で器を傷めたのだという。しばらくは魔法を使えない。完璧だったあの天才が自らの飢えに呑まれて崩れた。
去り際セイルは運ばれていくアルヴォと目が合った。
その目にはまだあの屈辱があった。落第者に救われた屈辱。誰よりも高く積んだ自分が、何も持たぬ者に命を拾われた。その事実がアルヴォを苛んでいた。
恨んでいるとセイルは視た。感謝ではなく。恨み。あの剥き出しの飢えが今恨みへと姿を変えていた。
いつかその恨みがアルヴォをどこかへ連れていくのではないか。セイルはそんな不吉な予感を覚えた。だがそれがどんな形をとるのかはまだ視えなかった。
その夜セイルは下宿の屋根裏の一室で一人膝を抱えていた。
救った。アルヴォを。学徒たちを。だが――その結果自分はもっと遠くなった。化け物。神秘の異常者。暴走の原因。
力を示せば示すほど。視ることができればできるほど。自分は人から隔てられていく。
弱いから孤独なのではなかった。異質だから孤独なのだ。そしてその異質さは強くなっても消えない。むしろ深まる。
いつか村を出るとき思ったことがあった。この世界でいちばん魔力に満ちた場所でなら、自分のこの感覚が何かになるかもしれないと。
なった。確かに。だがそれは――化け物になるということだった。
窓の外で都の灯がまばゆく光っていた。その明るさのどこにももう自分の確かな居場所はなかった。




