祭の夜
その夜テオレマの街は灯りであふれていた。
いつもの魔晶石の灯りに加えて、色とりどりの紙の提灯が通りという通りに吊るされていた。人々が晴れ着で繰り出している。広場では、楽の音が鳴っていた。
「決別祭だよ」セレナが教えてくれた。彼女に誘われてセイルはその人波の中にいた。「建国の記念のお祭り。共和国ができた日を祝うの」
「建国」
「ええ」セレナは灯りに照らされた街を見渡した。「昔この都は、神秘の僧院の都だった。魔法は血筋と秘儀のもので、選ばれた者だけのものだった。それを学者たちが決別したの。『魔法は誰もが学べる定理だ』って。それで共和国ができた。この祭は、その決別を祝うものよ」
広場の中央で陽気な男が口上を述べていた。
ピーチェという祭の触れ役だった。顔が広く賑やか好きで、毎年この祭を回しているのだという。
「さあさあ! 共和国暦何百年! 我らが学問が迷信の闇を打ち払った、その日を祝おうじゃないか!」ピーチェの声が広場に響いた。「血筋なんぞ糞食らえ! 秘儀なんぞ時代遅れ! 魔法は学ぶものだ! 努力するものだ! 誰にでも、開かれているのだ!」
群衆が沸いた。
セイルはその口上を複雑な思いで聞いていた。
迷信の闇。神秘。選ばれた者だけの秘儀。――それは、自分の生まれ育った辺境のことでもあった。村では神秘を畏れ敬ってきた。ハルダは石の前で祈りを継いできた。その「迷信」を、この都は打ち払うべき闇として祝っていた。
学問の勝利の祭。だがその勝利は自分の故郷の否定でもあった。
「複雑な顔してる」セレナがふとセイルの横顔を見て言った。
「……いや」セイルは言った。「ただ村のことを思い出して。村じゃ神秘を畏れてた。この祭が打ち払おうとしてるその『闇』のほうに、おれは育ったんだなって」
セレナはしばらく黙っていた。それから静かに言った。
「学問が全部正しいわけじゃないと思う」セレナは言った。「神秘をただの迷信だって切り捨てるのは、たぶん傲りよ。だって――あなたが視てるものは、学問ではまだ説明できない。でも確かに在る。神秘の人たちが感じてきたものの中にも、本物があったはずなの」
セイルはセレナの横顔を見た。
祭の灯りが彼女の頬を照らしていた。学問の側にいる人。記述を信じる人。なのにこの人は学問の傲りを傲りだと言える人だった。
「だから」セレナはまっすぐに前を見たまま言った。「私はあなたの視てるものを、記述したい。学問の言葉で。神秘が感じるだけで終わらせてきたものを、誰もが学べる形にしたい。――そうすれば、学問と神秘のその真ん中に、新しい場所ができるかもしれない」
真ん中。狭間。
その言葉がセイルの胸に奇妙に残った。
二人はしばらく祭の人波の中を歩いた。
屋台の温かい食べ物。子どもらのはしゃぐ声。楽の音。色とりどりの灯り。セイルには、何もかもが初めての光景だった。村にはこんな祭はなかった。あったとしても、もっとひそやかで、畏れに満ちた神への祈りだった。こんな明るく賑やかな祝祭は、知らなかった。
奇妙な心地だった。
ここにいていいのだろうかと、セイルは思った。落第者の、辺境者の、化け物と呼ばれかけている自分が。この明るい祭の人波の中に。
だが――セレナが隣にいた。トビーもどこかではしゃいでいるはずだった。オルセンの研究室には、自分の居場所があった。ガウェルは自分の視る力を認めてくれた。
いつのまにかこの都に、少しずつ自分の足場のようなものができかけていた。
村を出たときには、想像もできなかったことだった。あんなによそ者だったこの都に。
「楽しい?」セレナが訊いた。
「……ああ」セイルは正直に言った。「楽しい」
言ってから少し照れた。楽しいなんて村を出てから一度も思ったことがなかった。
セレナがふっと笑った。何も言わずに。ただその笑顔が祭の灯りより温かかった。
その夜のことをセイルは後に何度も思い出すことになる。
まだそのときは知らなかった。このささやかな足場が、この温かい夜が、いつか自分の手からこぼれ落ちることを。学問の影が、神秘の手が、そして村の石が、自分をこの明るい祭から引き剥がしていくことを。
だが今は。
今だけはセイルは、その祭の灯りの中にいた。隣に、半分だけ自分を分かろうとしてくれる人と並んで。失うことをまだ知らずに。
その夜の灯りは、不思議といつまでも胸の奥で消えなかった。




