測られる予感
その先輩に声をかけられたのは学院の裏手の回廊だった。
「ロウラント君だね」
振り返ると、二十代の後半ほどの男が立っていた。学院の身なりではない。地味だが仕立てのいい、灰色がかった外套。どこか見覚えのある顔だった。
「覚えていないか。ナディ・コルプ。何年か前までこの院にいた」男は薄く笑った。「今は――別のお役所に勤めている」
別のお役所。その言い方が奇妙に引っかかった。
ナディと名乗った男の周りの空気をセイルはつい視た。
ぞくりとした。
かつてこの男にも、学生らしい熱があったのだろう。だが今、その熱はすっかり別のものに置き換わっていた。冷たく整然とした組織の翳。人を人として見ない、あの計器のような気配。都の路地でいつか感じることになる、あの種類の――。
「君のことは」ナディは世間話のように言った。「少し聞いている。落第したのに聴講に残った辺境の子。オルセン先生に見出されたとか」
「……はい」
「観相派の老師にね」ナディは薄く笑った。「珍しいことだ。あの先生が誰かをあれほど買うのは。――よほど面白いものが視えるんだろうね、君には」
セイルは身構えた。
視える。その言葉を、この男はなぜ知っている。落第者が何かを視るということを。学院のほとんどの者は、それを知らないはずだった。知っているのは、オルセンやセレナやごく一部の者だけ。
「なんで」セイルは訊いた。「それを」
「さあ」ナディははぐらかした。「噂はいろいろ流れてくるものでね。私のところには、特に。――辺境で石が独りでに灯った話とか。その村から出てきた妙な子の話とか」
セイルの心の臓が跳ねた。
石が灯った話。その村から出てきた子。この男は――知っている。それが自分のことだと。書肆で聞いたあの噂を、この男は自分と結びつけている。
「ナディさんは」セイルは声を絞り出した。「どこのお役所に勤めてるんですか」
ナディの笑みがわずかに深くなった。
「言っても君は知らないだろうね」ナディは言った。「表には出ない役所だ。未学問領域を――学問がまだ追いついていない領域を、国家のために研究している。竜級だとか。祖型の深いところだとか。そういう危ないものを扱う」
危ないものを扱う役所。
ヴェントの言葉がよみがえった。君の才を欲しがるのは私だけじゃない。光の強いところほど影も濃い。
これかとセイルは思った。これがあの「影」か。
「君のような子は」ナディは続けた。穏やかに。だがその目は、まったく笑っていなかった。「私たちの役所にとって、とても興味深い。学問では説明できないものを視る。測れないものを感じ取る。――私たちが何十年も探してきたものだ」
「おれは」セイルは後ずさった。「道具じゃない」
「道具」ナディはその言葉を味わうように繰り返した。「誰もそんなことは言っていないよ。ただ――君のような才は、放っておかれないということだ。それは覚えておくといい。学院の片隅で静かに視ているうちはいい。だがその才がもっとはっきりした形を見せたとき。私たちは、もう一度君に会いに来る」
「これは私の個人的な忠告だ」
ナディは去り際にふと、声を落とした。その一瞬だけ、組織の翳の奥からかつての学生だったころの顔が覗いた気がした。
「私もこの院にいたころは、ただの学生だった。少し変わったものに興味があった。それだけで――気づいたら、あの役所にいた。引き返せとは言わない。私にはその資格もない。だが――気をつけろ。深入りすると、戻れなくなる」
その言葉がセイルの背に冷たく刺さった。
戻れなくなる。深く視るなと言ったオルセンとガウェルと、同じ言葉だった。だがナディのそれは、もっと生々しかった。なぜならこの男自身が――戻れなくなった者の顔を、していたからだ。
ナディは灰色の外套を翻して回廊の奥へ消えていった。
一人残されたセイルは自分の腕を抱いた。
寒けが消えなかった。
あの男はかつて、ただの学生だった。少し変わったものに興味があっただけの。それがいつのまにか、人を計器のように見るあの組織の一員になっていた。
そしてその組織が今、自分を見ている。
学院の片隅で静かに視ているうちはいい。だがその才がもっとはっきりした形を見せたとき――もう一度会いに来る。
いつか自分の「視る」が力としてはっきりと現れたとき。それは誰かを救うかもしれない。だが同時に――あの組織の手が自分に伸びてくる、合図にもなるのだ。
視えることは福音か。それとも罠か。
セイルにはまだ分からなかった。ただ足元の地面がまた少し不確かになった気がした。




