石の言い伝え
その夜、ハルダの家にゴルド爺が訪ねてきた。
冬支度の采配の相談だった。村でいちばんの年寄りと二番目の年寄りが、囲炉裏端でぼそぼそと話し込む。セイルはその傍らで薪をくべていた。
話が一段落すると、ゴルド爺の目がふと、土間の隅の古い祭壇のようなものに留まった。
「ハルダ」ゴルド爺は言った。「おまえまだあの祈りを継いでるのか。石の」
「継いでるよ」ハルダは頷いた。「ばあさまから教わったとおりに。月の変わり目には、石の前で」
石。視る石。村はずれの斜面に立つあの黒ずんだ石柱のことだと、セイルはすぐに分かった。
「石の祈りって」セイルはつい訊いた。「あれは何の祈りなんだ」
二人の年寄りがちらと顔を見合わせた。
「さあてなあ」ゴルド爺はしわがれた声で言った。「何の祈りかなんてのは、誰も知らんよ。ただ唱える言葉と畏れることだけが、ばあさまのそのまたばあさまから伝わってきた。中身はとうに忘れられてる」
「忘れられてる?」
「ああ」ゴルド爺は頷いた。「あの石はな、ずっと昔からあそこに立っている。村ができるもっと前から。神秘時代の――学問なんてものが影も形もなかったころの、何かの名残だと言われとる。だがそれが何なのかは、誰も知らん。ただ畏れろ、近づくなと。それだけが伝わってきた」
神秘時代の名残。
その言葉がセイルの胸に奇妙に響いた。
「なんで」セイルは訊いた。「畏れなきゃならないんだ。ただの石なのに」
「ただの石じゃないからさ」ハルダが静かに言った。「あの石はな、たまに――ほんのたまに何かをするんだ」
「何かを?」
「光ると言う者もいる」ゴルド爺が声を落とした。「うんと昔、村のずっと昔の年寄りが見たそうだ。あの石がひとりでに、ぼうっと光ったのを。何の前触れか、何が起きるのか、誰にも分からん。ただ光った年は――村に何かが起きたとも言うし、何も起きなかったとも言う。話は伝わるうちに、ぼやけちまう」
セイルは息を呑んだ。
石がひとりでに光る。
その話に、なぜか肌がざわついた。自分があの石の前に立つと肌の奥が騒ぐ、あの感覚。それとどこかで繋がっている気がした。
「セイル」ハルダがふとセイルを見た。「おまえはあの石が好きだろう」
図星だった。セイルは答えに詰まった。
好きというのとは違った。だが惹かれていた。村の者が皆畏れて近づかない、あの石に。なぜか自分は引き寄せられた。気づくと、斜面のてっぺんであの石をじっと見つめていることがあった。そしてそのたびに、村の者の目が変わった。視る石みたいな子だと。
「好きってわけじゃ」セイルは口ごもった。「ただなんか――気になるだけだ」
ゴルド爺がしばらくセイルを見ていた。その目に、いつもの村の者の気味悪がる色はなかった。代わりにあったのは――どこか案じるような色だった。
「気をつけな」ゴルド爺は低く言った。「あの石にあんまり近づくんじゃないよ。畏れろってのはたぶん――近づくなってことなんだ。中身も知らんものに、軽々しく近づくのはよくない。昔の人がそう伝えてきたんだ。きっと理由があったんだろう」
ハルダも頷いた。
「おまえは」ハルダはぽつりと言った。「あの石に似てるところがあるからね。気をつけるんだよ」
ゴルド爺が帰ったあと、セイルは寝床でその言葉を何度も転がした。
あの石に似てる。ハルダはそう言った。中身を誰も知らない神秘時代の名残。ひとりでに光る石。それと自分が似ている。
どういう意味だろうと、セイルは思った。だがハルダはそれ以上は言わなかった。ハルダ自身もおそらく、はっきりとは分かっていないのだ。ただ長年孫を見てきた者の直感として、そう感じている。この子はあの石とどこか似ていると。
畏れろ。近づくな。中身を知らないものに。
古い言い伝え。だがその「中身を知らないもの」に、自分は惹かれていた。畏れながら惹かれる。村の者が皆避けるその石に、自分だけが引き寄せられる。
なぜだろうと、セイルは闇の中で思った。
その問いの答えは、まだどこにもなかった。ただ明日もまた、自分はあの斜面へ足を向けてしまうのだろう。畏れと惹かれの、その狭間で。いつものように。




