冬支度の村
冬が近づくと村は慌ただしくなった。
長い辺境の冬を越すには蓄えが要る。薪を集め、根菜を干し、家畜の囲いを補強する。日が短くなるぶん、明るいうちの仕事は増える一方だった。セイルもハルダの家の支度を終えると、村の手伝いに駆り出された。
魔力もなく術も使えぬ自分にできるのは、こうした手の仕事だけだった。だがそれは嫌いではなかった。理屈のいらない、手順どおりにやれば応えてくれる仕事。火を起こすのと同じだった。
村の広場では鍛冶のダルケが鍬や鎌の刃を打ち直していた。
無口な男だった。火と鉄を相手にするときだけ、その背中に揺るがぬ確かさが宿る。セイルが欠けた鎌を持っていくと、ダルケはちらとそれを見て頷いた。
「置いてけ」ダルケはそれだけ言った。「夕方には直る」
セイルはダルケの仕事をしばらく眴めた。真っ赤に灼けた鉄を槌で打つ。火花が散る。その火花の散り方を、セイルは肌で視ていた。ダルケの打つ鉄には迷いがなかった。どこをどう打てば刃が立つか。長年の手が知っている。
あれも一種の勘なのだろうと、セイルは思った。学問でも神秘でもない。ただ火と鉄に向き合い続けた者の、体に刻まれた勘。
「ダルケさんは」セイルはつい訊いた。「鉄のいいとこ悪いとこが見て分かるのか」
「見るんじゃねえ」ダルケは槌を止めずに言った。「感じるんだ。鉄が、どう打たれたがってるか。――まあお前にゃ、分からん話だろうがな」
セイルは何も言わなかった。だが内心思った。分かる気がすると。
井戸端では女たちが根菜を洗っていた。
ティナとその友のメグが、笑いながら泥を落としている。メグは明るくよく働く娘だった。ティナと並ぶと、村の井戸端がぱっと賑やかになる。
「セイル!」メグがセイルを見つけて手を振った。「ちょうどいい。この甕運ぶの手伝ってよ。重くてさ」
セイルは水を張った重い甕を抱え上げた。村の暮らしで鍛えられた腕だけは人並みにあった。
「相変わらず力だけはあるね」メグがけらけらと笑った。悪気はなかった。村の者は皆そう言う。力だけは。魔力はないけれど。
ティナがちらとセイルを見た。何か言いたげに口を開きかけて――やめた。メグの前では、言えないこともある。セイルの「変なところ」のことは。
村のはずれでは猟師のロウが山から下りてきたところだった。
肩に兎を数羽提げている。寡黙な男で、村の者ともあまり口をきかない。山に入り、獣を追う。村と外の山林の境を、誰よりもよく知る者だった。
「ロウさん」セイルは声をかけた。「今年の山はどうだ。獲物は」
ロウはしばらくセイルを見ていた。それからぽつりと言った。
「妙だ」ロウは言った。「獣が少ない。逃げてる。山の奥のほうから。――何かを嫌がってるみたいにな」
セイルの肌がわずかにざわついた。
「何かって」
「分からん」ロウは首を振った。「ただ山の気配が、いつもと違う。獣はおれよりそれに敏い。逃げる獣は嘘をつかねえ。――まあ気のせいかもしれんが」
ロウはそれきり家のほうへ歩いていった。
セイルはその背を見送った。山の気配が違う。獣が逃げる。ロウの言葉が、なぜか胸の奥に引っかかった。だがそれが何なのかは分からなかった。
日暮れ前、村の寄り合いがあった。
村長のゴルド父が皆を集めた。村でいちばんの年寄り。村の決め事を取り仕切る者だった。皺だらけの顔で、ゴルド爺は冬の蓄えの配分を割り振っていった。誰の家に薪がいくつ。根菜がどれだけ。長い冬を村全体で越すための采配。
その采配は、長年の経験に裏打ちされていた。どの家に何が足りないか。どの家の年寄りが弱っているか。ゴルド爺は村のすべてを把握していた。
寄り合いの隅でセイルはその光景を見ていた。
貧しい村だった。豊かさも華やかさもない。だが――ここには確かに暮らしがあった。ダルケの鉄。メグの笑い。ロウの山。ゴルド爺の采配。皆がそれぞれの場所で、それぞれの役目を果たしている。村という一つの生き物のように。
その中に自分もいた。力仕事のできる者として。便利な勘のある者として。
だが――その「便利な勘」が度を越せば、皆の目が変わることをセイルは知っていた。井戸が涸れる前に気づくのは頼りにされる。だが誰も見ていない石をじっと見つめていると、気味悪がられる。その境目は、いつもひどく曖昧だった。
寄り合いの帰り、ティナが隣に来た。
「ねえ」ティナはぽつりと言った。「あんたさっきロウさんと何話してたの」
「山の気配が変だって」セイルは言った。「獣が逃げてるって」
「ふうん」ティナは首をかしげた。「ロウさんも変なこと言うね。あんたと気が合いそう」
ティナはからからと笑った。悪気はなかった。
だがセイルはふと思った。ロウの勘とダルケの勘と自分の勘。それらはもしかしたら、根のところで同じものなのかもしれないと。土地に向き合い続けた者の、体に刻まれた感じ取る力。ただ自分のそれは――少し度を越しているだけで。
西の空に日が沈みかけていた。村のはずれの斜面のてっほんに、あの黒ずんだ石が立っているのが見えた。
なぜかその石が、いつもよりこちらを見ている気がした。




