表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
視竜 〜最弱の眼、最強を射抜く〜  作者: Studio Yodaca
定理の都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/75

沢の主の影

それに気づいたのは討伐の帰り際だった。


 その日も演習地の沢で灰喰いを討った。いつもどおり淡々と。セイルは相変わらず教官の後ろで、群れの向きを視ていた。討伐は滞りなく終わった。


 だが坑道を奥へ詰めて灰喰いの巣を焼き払ったあと。セイルの肌がざわついた。


 灰喰いとは違う気配。魔物の生々しい蠢きではない。もっと静かで、もっと深い何か。坑道のさらに奥。岩の裂け目のその向こうに――土地そのものが、薄くざわめいていた。


「先生」セイルは思わず声をひそめた。「奥に何かいます。でも――魔物じゃない」


 ガウェルが足を止めた。


「探知に出たか」教官は探知役の学徒に訊いた。


「いえ」学徒が首を振った。探知術式の光が裂け目の前で揺れていた。「何も。魔物の反応はありません。空っぽです」


「探知に出ない」ガウェルが低く繰り返した。


「でもいるんです」セイルは言った。「いるっていうか――土地がざわついてる。裂け目の向こう。何かに繋がってる。探知術式じゃ捉えられない。けど、視えるんです」


 ガウェルの武骨な顔が、わずかにこわばった。


 ヨルグが青い顔で囁いた。


「沢の主だ……」ヨルグの声が震えていた。「ここの古い人らが言うんだ。この沢の奥には、主がいるって。魔物じゃない。狩れもしない。ただいる。学問でも説明できない。触れたらいけないものだって」


 セイルは裂け目の奥を視た。


 視るつもりはなかった。だが肌が勝手に引き寄せられた。


 そこには形がなかった。魔物のような輪郭はない。ただ――土地が薄く、どこかへ繋がっていた。岩のその下。さらに深いどこか。学問の言葉では、何も言えない場所。探知術式の届かぬ空白の奥。


 そしてその繋がり方が――覚えのある質をしていた。


 古い。途方もなく古い。底へ吸い込まれるような奥行き。


 村の視る石(みるいし)と。あの遺物のかけらと。同じ質の。


 セイルの背筋が凍った。


 まただ。また同じ奥行き。村の石。沢で出た遺物。そして今この名もなき土地の淀み。すべて同じ場所へ繋がろうとしている。底の底のどこかへ。


 学問が踏み込めない空白へ。


「ロウラント。退け」


 ガウェルの声が鋭く響いた。


 セイルははっと我に返った。気づけば裂け目のほうへ一歩踏み出していた。引き寄せられるように。視ることに呑まれかけていた。


「踏み込むな」ガウェルはセイルの肩をつかんで引き戻した。「ここは学問の地図にない。何があるか誰も知らん。狩れもせん。だったら――退く。それが、討伐者の流儀だ」


 退く。勝てぬ相手から退く。


 いつかヨルグが語ったガラムの言葉だった。無茶をしない。勝てないと思ったら引く。それを恥としない。だから長く生き延びる。


「だが先生」ヨルグが青ざめたまま言った。「あれ放っておいていいんですか。何かいるなら」


「いるが動かん」ガウェルは短く言った。「何百年もここに、ただある。害もなさん。突けばどうなるか、誰も知らん。――学者でも討伐者でもない。触れずにおくのが、いちばんだ。古い人らが言うとおりにな」


 ガウェルは踵を返した。


「行くぞ。ここはもう見なかったことにする」


 帰り道。


 セイルは何度も振り返りそうになる自分を抑えた。


 あの裂け目の奥。あの奥への繋がり。あれはいったい何だったのか。魔物でもない。遺物でもない。ただ土地が薄くどこかへ繋がっている、それだけの淀み。学問はそれを捉えられない。名づけることもできない。ただ「主」と呼んで、触れずにおく。


 だが――その繋がりの質は。村の石と同じだった。


 セイルは考えるのをやめようとした。いつものように。今は目の前のことだと。だが今度は、うまくいかなかった。


 村の石。遺物。沢の淀み。三つの点が。頭の中で薄い線で、結ばれかけていた。すべて同じ底へ。学問の届かぬ空白の奥へ。


 そしてその空白に触れられるのは――肌で視られるのは、たぶん自分だけだった。探知術式にも出ない。学者にも視えない。ただ自分のこの気味の悪い目だけが、その繋がりを捉えてしまう。


 それが力なのか。呪いなのか。セイルにはまだ分からなかった。


 ただ――誰にも視えないものが視えてしまうということは。誰ともそれを分かち合えないということでもあった。隔てられる。また一つ深く。視えてしまうというだけで。


「ロウラント」


 学院の門の前でガウェルがぽつりと言った。


「お前のその目はたぶん、いつかもっと深いものに触れる。沢の主どころじゃない何かに」教官の声は低かった。「そのとき――退けるか。視ることに呑まれずに、退けるか。それがお前の生き死にを、分けるかもしれん」


 セイルは答えられなかった。


 さっき裂け目に引き寄せられた自分を、思い出した。一歩踏み出していた。呑まれかけていた。退いたのは自分ではなく、ガウェルの手だった。


 退けるか。


 その問いは答えのないままセイルの胸の奥に沈んでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ