最初の魔物
初めての討伐演習はテオレマの郊外の小さな沢で行われた。
学院から半日。街道を外れた湿った窪地。ガウェルが聴講生を含む十数人を引き連れて、向かった先だった。
「この沢には」ガウェルは窪地を見下ろして言った。「毎年灰喰いが湧く。霊脈の淀みだ。魔力が溜まりすぎて、澱む。そこに魔物が生まれる」
セイルは窪地を見た。
何の変哲もない湿った沢に見えた。だが――肌がざわついていた。中央へ来る道中で漂気虫の藪を察したときと、同じ感覚。土地そのものが淀んでいる。澱んだ魔力の奥で、何かが蠢いていた。
「灰喰いは」ヨルグが横で解説してくれた。「灰色の小さい虫みたいなやつだ。一匹ならどうってことない。けど群れると、厄介でさ。魔力を喰らうんだ。群れに巻かれると、魔力を吸われて動けなくなる」
「組を作れ」ガウェルが指示した。「三人一組。一人が探知、二人が討滅にあたる。聴講生は――」
ガウェルの目がセイルへ向いた。
「ロウラント。お前は組まず私の後ろにいろ」
セイルは唇を噛んだ。
組めないということだった。魔力を流せぬ自分は、探知も討滅もできない。三人組の足手まといにしかならない。だから教官の後ろで見ていろと。それは温情であると同時に、はっきりとした線引きだった。お前は戦力ではないという。
学徒たちが組を作り、窪地へ降りていった。セレナは探知役として、別の組に入った。アルヴォの姿はなかった。
「アルヴォ先輩は」ヨルグが肩をすくめて教えてくれた。「こういう実習来ないんだ。『下級の魔物狩りなど時間の無駄だ』ってさ。座学と精霊級の演習にしか出ないんだって」
セイルはガウェルの後ろからそれを見ているしかなかった。
討伐は最初順調だった。
窪地に降りた学徒たちが、灰色の虫の群れを見つけ術式で焼いていく。下級の火術式。系統の相性がいいらしかった。灰喰いは炎に弱く、面白いように討たれていった。
だがセイルの肌がざわついた。
窪地の奥のほう。学徒たちが気づいていない岩陰。そこに、もっと大きな群れの「中心」があった。これまで討たれていたのは、群れのほんの外縁にすぎなかった。本体は――奥に潜んでいた。そしてその本体が今、ざわざわとこちらへ向かって動き始めていた。
学徒たちは目の前の散らばった虫を焼くのに夢中で気づいていない。
「先生」セイルは思わず声を上げた。「奥の岩陰。あそこに、大きな群れの中心がいる。今こっちへ動いてる。学徒たちの背後に回り込もうとしてる」
ガウェルが鋭くセイルを見た。
「見えるのか」
「見えない。けど――視える。肌で。群れの向きが変わった。奥から回り込んでくる」
ガウェルは一瞬迷った。探知役の学徒たちは何も報告していない。彼らの術式は岩陰の奥までは届かない。セイルの言葉だけがその「本体」を告げていた。
ガウェルは賭けた。
「全員退け!」教官の声が沢に響いた。「岩陰から本体が来る! 散開して囲め!」
学徒たちが慌てて退いたその直後。
岩陰から灰色の奔流が噴き出した。
それまでの散らばった虫とは、桁違いの密度だった。群れの本体。もしあのまま学徒たちが背後を取られていたら――何人かは魔力を吸われて、昏倒していただろう。
だがガウェルの指示で、学徒たちは散開していた。本体は囲まれ、四方からの火術式で焼かれていった。混乱もなく、怪我人もなく。討伐は終わった。
ガウェルが奔流の出てきた岩陰を確かめた。それからセイルを振り返った。
「お前の言ったとおりだった」ガウェルは短く言った。「探知役の術式も捉えていなかった。お前だけが、本体の動きを読んでいた。――どうやった」
「うまく言えない」セイルは言った。「ただ群れの向きが視えるんだ。一匹ずつじゃなくて、群れ全体がどっちを向いてるか。中心がどこにあるか。それが――肌で視える」
ガウェルはしばらくセイルを見ていた。武骨な顔は相変わらず読めなかった。だがその目に、初めてはっきりとした何かが宿った。
「探知術式は有るか無いかしか測れん」ガウェルは言った。「だがお前は、群れの『意志』を捉えた。探知の術式とは別のものだ。――お前のそれが何なのかは知らん」
帰り道、ヨルグが興奮した顔でセイルに駆け寄ってきた。
「すげえよセイル! あんた本体の動き当てたんだろ! ブラント先生が感心してた。先生が感心するなんてめったにないんだぜ!」
セイルは曖昧に頷いた。
役に立った。初めて討伐の現場で。魔力を流せぬ自分が視ることで、誰かの役に立った。
その手応えは確かに嬉しかった。だが――同時に、奇妙な寒さもあった。
自分は視ただけだった。本体を討ったのは学徒たちだった。自分は戦力にはなれない。ただ視て、教えるだけ。視えを誰かが実行する。自分はその輪の外にいる。役に立っても――組の一員にはなれない。
便利な視る目。だがそれは、自分を皆の中に入れてはくれなかった。村で崖崩れを言い当てたときと、同じだった。頼りにされても、隣にはいられない。
欠陥が力になりかけている。だがその力は――また自分を隔てる種にも、なりかねなかった。
演習から幾日かが過ぎた。
その手応えと寒さを胸の奥で持て余したまま、セイルはいつもどおり、聴講とオルセンの研究室に通う日々へ戻っていった。視ることが力になるのなら。それはいったい、どこまで視えるものなのか。その問いが、ふとした折に頭をもたげるようになっていた。




