ガラムの遺風
討伐演習の前の夜だった。
翌日、初めて魔物のいる場所へ行く。そう告げられた聴講生たちは、宿舎で思い思いに夜を過ごしていた。落ち着かぬ者。早々に眠った者。セイルは寝つけずに中庭へ出た。
月の下でヨルグが剣の素振りをしていた。
「あ、ロウラントさん」ヨルグは振り向いて白い息を吐いた。「眠れない? おれもだよ。明日、初めての実地だからさ」
セイルは隣に腰を下ろした。剣を握ったヨルグの手は、まだ細く頼りなかった。だがその目だけは、明日を待ちきれずにいた。
「ヨルグは」セイルは訊いた。「どうして討伐者になりたいんだ」
「ガラムだよ」ヨルグは即座に言った。まるでその名が合言葉ででもあるかのように。「討伐者ガラム。知らない?」
セイルは首を振った。村では聞いたこともない名だった。
「すごい人なんだ」ヨルグは剣を下ろして座り直した。「興隆期でいちばんの討伐者って言われてる。何十何百って魔物を狩ってきた。それも――ただ強いんじゃないんだ。むしろ力押しはしない人なんだ」
「力押しをしない」
「うん」ヨルグはうなずいた。「魔物にはさ、それぞれ苦手なものがある。災厄の祖型に繋がったやつ、変容のやつ、捕食のやつ。系統で弱点が違う。ガラムはそれをぜんぶ見極めるんだ。どの魔物にどの属性が効くか。どこに罠を張れば、確実に仕留められるか。地形を味方につけて誘い込む。――力でねじ伏せるんじゃなくて、頭で勝つ」
セイルは黙って聞いていた。
「それでさ」ヨルグの声が少し低くなった。「いちばんすごいのは――勝てない相手からは退くんだ」
「退く」
「うん。無茶をしない。勝てないと思ったら引く。それを恥だと思わない。だからあの人は、長く生き延びた。討伐者なんてたいてい若くして死ぬんだ。でもガラムは違った。慎重だから、生きてる。――かっこいいだろ」
セイルの胸の奥のほうで、何かが静かに動いた。
力で勝つのではなく。
相手の弱いところを見極めて。確実に退きどころを知って。
それは――術で戦えない自分にも、できることがあるのかもしれないという。そんなひそやかな予感に似ていた。
「ガラムの話か」
声がして二人は振り返った。ガウェルが暗がりから歩いてきた。眠れぬ聴講生を見回りに来たらしかった。
「先生っ」ヨルグが跳ねるように立った。「ブラント先生もガラムに会ったことがあるんですよね」
ガウェルは答えなかった。ただ二人の傍らに立った。月を見上げた。
「あの人は」やがてガウェルは短く言った。「英雄じゃない。職業人だ。そこを履き違えるな」
「職業人?」
「神話の英雄は」ガウェルは淡々と続けた。「祖型に直接触れた。人を超えた力で竜を屠った。だが――その力は、その人一代で終わる。誰にも継げない。再現できない。だから英雄なんだ」
ガウェルの声はいつもどおり武骨だった。だがその奥に、何か確かなものがあった。
「ガラムは違う」ガウェルは言った。「あの人の技は原理だ。学べる。継げる。系統の弱点。連携。罠。地形。――どれも教えられる。だからおれは、それをお前たちに教える。英雄にはなれない。だが職業人にはなれる。生きて帰る術は、継げるんだ」
ヨルグは目を輝かせて聞いていた。
だがセイルの胸には別の何かが引っかかった。
継げる技と継げない力。
学べる職人と再現できない英雄。
村で一度だけ聞いた祖喰いの伝説を、ふと思い出した。祖型に直接触れて竜を討ったという、遠い昔の英雄。その力は誰にも継がれなかった。再現できなかった。――英雄とはそういうものらしかった。
なぜそれをいま思い出したのか。セイルには分からなかった。ただ継げないものと継げるものの、その境目が自分のどこかに引っかかっただけだった。
「お前は」
ガウェルが不意にセイルを見た。
「術では戦えない。魔力がないからな」ガウェルは淡々と言った。「だがガラムの技のうちいくつかは、力がなくてもできる。弱いところを見極めること。退きどきを知ること。――明日見てみろ。お前の目が、どこまで使えるか」
セイルは息を呑んだ。
座学では誰も、自分にそんなことを言わなかった。お前の目が使えるかもしれないなどと。ダルムは測れぬものは無いと切り捨てた。だがこの武骨な教官は――力のない自分にも、戦場での役割があるかもしれないと言っていた。
ガラムの流儀で。力で勝たず見極めて確実に。
「……はい」セイルはそれだけ言った。
ガウェルはふんと短く息を吐いて背を向けた。
「早く寝ろ。明日は実地だ」
その夜セイルはなかなか眠れなかった。
怖さもあった。初めての魔物。だがそれ以上に――明日、自分の「視る」が何かの役に立つかもしれない。その予感が、胸の奥で小さく灯っていた。
力で勝つのではなく。
視て、見極めて、確実に。
遠い昔の英雄にはなれない。だがガラムのような職業人の流儀でなら――術を持たぬ自分にも、立てる場所があるのかもしれなかった。
月は白く冴えていた。明日の沢には灰喰いが湧くという。セイルはまだ見ぬその魔物の気配を想い描きながら、ようやくまぶたを閉じた。




