表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
視竜 〜最弱の眼、最強を射抜く〜  作者: Studio Yodaca
定理の都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/73

書肆の一冊

観相派(かんそうは)の古い論文?」


 書肆のエルクは帳場から、胡乱げにセレナを見た。偏屈そうな初老の男だった。学院街の片隅のその古い書肆は、床から天井まで本と巻物で埋まっていた。


「ええ」セレナは臆さずに言った。「ガイル先生より前の観相派(かんそうは)の。感受の相を記述しようとした試みの記録があれば」


観相(かんそう)なんぞ」エルクは鼻を鳴らした。「今どき誰も読まん。売れんから、奥に埃をかぶって積んである。――まあ待ってな」


 ぶつぶつ言いながらも、エルクは奥の棚へ消えていった。客の探す一冊を必ず探し当てる。それがこの偏屈な店主の、唯一にして絶対の自負らしかった。


 待つあいだセイルは店の中を見回した。


 膨大な本。村には一冊もなかったものだ。文字すらろくに読めなかった村の暮らしからは、想像もつかない量の知。それがここには、無造作に積まれていた。


 ふと帳場の近くで、数人の学生が声をひそめて話しているのが聞こえた。


「――でさ辺境のほうで石が独りでに光ったって話聞いたか」


 セイルの肩がびくりと跳ねた。


「なんだそりゃ」


境界石(きょうかいせき)ってやつだよ。古い神秘時代の遺物だ。普段はただの石柱なんだが、ごく稀に独りでに灯ることがあるらしい。で、半年だか前にどっかの辺境の村で、それが起きたって」


「眉唾だな」


「おれもそう思う。辺境の連中の与太話さ。だが第七公理庁(だいななこうりちょう)が調べに動いたって噂もあって――」


 学生たちはそれきり別の話題に移った。


 だがセイルは動けなかった。


 石が独りでに光った。


 半年前。辺境の村で。


 それは――自分の村のことだった。


 まさかと思った。中央のこんな書肆で、学生たちの世間話の中で、自分が村を出るその発端となったあの夜の出来事が、遠い辺境の眉唾な噂として語られている。


 石が独りでに灯った。誰もがそれを「辺境の与太話」と笑う。だがセイルは知っていた。あれが与太話などではないことを。自分がその光の奥を、確かに視たことを。


 第七公理庁(だいななこうりちょう)が調べに動いた。その一言も胸に引っかかった。中央の国の機関が、あの薄魔力の最果ての村の石に関心を持っている。なぜ。


 言おうかと思った。あれは自分の村のことだと。自分がその石の前にいたのだと。


 だが――言えなかった。


 言えば、またあの目で見られる。気味の悪いものを見る目で。せっかくここではまだ、化け物とは呼ばれていない。セレナもニケも、自分を普通に扱ってくれている。その関係を壊したくはなかった。


 セイルは口をつぐんだ。胸の奥にその引っかかりをしまい込んで。


「あったぞ」


 エルクが奥から薄い冊子を数冊抱えて、戻ってきた。埃にまみれた、古い論文の綴りだった。


「ガイルの二代前。ヴェスパ翁の写しもある」エルクは帳場にそれを置いた。「観相(かんそう)をなんとか記述しようとした、もの好きどもの記録さ。――結局誰も成功しなかったがな」


 セレナの目が輝いた。冊子を大事そうに手に取る。


「これだわ。探してた。――いくら?」


 エルクが告げた額に、セレナは迷わず銭を払った。セイルにはとても払えない額だった。だがセレナは、惜しげもなかった。


「研究の元手よ」セレナはセイルの視線に気づいて言った。「あなたの視てるものを記述する。その先人の記録なら、安いものよ」


 セイルはその横顔を見た。


 この少女は本気だった。自分の感覚を記述するという、誰も成功したことのない道に、本気で銭と時間を注ごうとしていた。


 書肆を出て二人は夕暮れの学院街を歩いた。


 セレナは買ったばかりの冊子を嬉しそうにめくっていた。その隣でセイルはまだ、さっきの噂を胸の奥で転がしていた。


 辺境で石が灯った。第七公理庁(だいななこうりちょう)が動いた。


 遠い対岸の火事のような噂。誰もそれが、隣を歩くこの落第者の故郷の話だとは知らない。セイル自身さえ、それがこれから自分にどう関わってくるのかを、まだ知らなかった。


 ただ漠然と、胸の奥がざわついていた。あの村の石。視る石(みるいし)。あれは本当に、ただの村の言い伝えだったのだろうか。


 考えるなと、セイルは自分に言い聞かせた。今は目の前のことだ。聴講の半年で何かを示すこと。セレナとの記述の仕事。それだけで手一杯だった。村のことは――村の石のことは、いつか考えればいい。今は蓋をしておく。


 そう胸の奥に押し込めた。だがその蓋がいつまでもつかは、セイル自身にも分からなかった。


 夕日が学院街の屋根を赤く染めていた。セレナの冊子をめくる音だけが、静かに響いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ