測って、視て
セレナは本当に毎日来た。
翌日もその翌日も。オルセンの研究室の隅は、いつのまにか二人の仕事場のようになっていた。机の上にはセレナの集めてきた原石が並び、その脇に、彼女の書きつけが日ごとに厚くなっていった。
作業は地味だった。セイルが石に手をかざし、感じたものを言葉にする。セレナが書き取り、探知術式で裏を取り、また問いを重ねる。それを来る日も来る日も繰り返した。
だがその地味な繰り返しの中で、確かに何かが積み上がっていった。
「あなたの『濃い』には」ある日セレナが言った。書きつけを何枚もめくりながら。「少なくとも三種類ある」
「三種類?」
「ええ」セレナは書きつけを示した。「最初のころ、あなたはただ『濃い』としか言わなかった。でも今は違う。『ぐるぐる濃い』『重く濃い』『ちりちり濃い』――無意識に言い分けてる。そしてその三つは、私の術式の反応ともちゃんと対応してるの」
セイルは驚いて書きつけを覗き込んだ。
言われてみればそうだった。最初はただ気味の悪い「濃さ」としか感じられなかったものが、今はいくつもの種類に分かれて感じられた。セレナに問われ続けるうちに、自分の感覚が勝手に細かくなっていた。
「あんたが訊くからだ」セイルは言った。
「そうかもしれない。でも」セレナは首を振った。「訊いても、答えられない人には答えられない。あなたが視えてるから、答えられるの。私の問いは、あなたの視てるものを引き出してるだけ。――やっぱり二人で一つなのよ」
「おなんか面白そうなことしてんね」
間延びした声に振り向くと、戸口に見覚えのある顔が寄りかかっていた。講義で何度か目にしたことがある同期だった。いつも窓際で退屈そうにしている、掴みどころのない男。話したことはなかった。ニケ・ソルンという名は、セレナが苦々しげに呼んだので知った。
「ニケ」セレナが顔をしかめた。「何しに来たの」
「いやぁ、オルセン先生の部屋から毎日人の気配がするからさ。気になって」ニケは勝手に入ってきて、机の石を覗き込んだ。「へえ。落第のセイル君と優等生のセレナさんがつるんでる。妙な取り合わせだ」
「悪いか」セイルは身構えた。
「いやいや」ニケはへらへらと笑った。「むしろいいね。おれ、公理派の『測れないものは無い』ってやつ、昔からしらけてんだ。だってさ、世の中測れないもののほうが多いだろ。それを全部『無い』ことにしてたら、世界すかすかになっちまう」
セイルはニケの顔を見た。
この同期もニケ・ソルン。講義ではいつも気だるげで、何を考えているのか分からなかった。だが今の言葉には、妙な芯があった。
「あんたも」セイルは訊いた。「視えるのか。祖型の相が」
「まさか」ニケは肩をすくめた。「おれは視えない。ただ『視えるやつがいるかもしれない』って思ってるだけ。公理派はそれすら認めないけどね。――まあおれは傍流の家の出だから。どうせ出世はしないし。好きなこと言ってられるのさ」
「ねえ」ニケはセレナの書きつけを勝手にめくった。「これ面白いな。セイル君の感じたことを、セレナさんがぜんぶ書き取ってんのか。――おれにも手伝わせてよ」
「あなたに?」セレナが訝しげに言った。
「おれ視えないけど、記録は得意だぜ」ニケはにやりと笑った。「視えないやつが二人がかりで記録すれば、セレナさん一人よりこぼれ落ちるものが減るかもしれない。だろ?」
セレナはしばらくニケを見ていた。それからふっと、肩の力を抜いた。
「……まあいいわ」セレナは言った。「人手は多いほうがいい。でも、ふざけたら追い出すから」
「へいへい」
こうして研究室の隅の作業に、もう一人加わった。
セイルが視て、セレナが問い、ニケが別の角度から書き取る。三人になると、作業は少しだけ賑やかになった。そしてセレナ一人のときより、確かに書き取れるものが増えた。
セイルは奇妙な心地でその光景を眺めた。
村では自分の感覚は、独りで抱えるものだった。誰にも言えず、ただ気味悪がられるよけいなもの。それが今ここでは――二人の人間がそれを「面白い」と言い、書き留めようと額を寄せている。
まだ半分も伝わってはいない。だがその「半分」を少しずつ増やそうとしてくれる者が、増えていく。
学問の都は自分を落第と裁いた。だがその同じ都の片隅で、自分の感覚を初めて独りで抱えなくてよくなりつつあった。
その夜、下宿へ帰る道でセイルはふと思った。
これを続ければ、いつか自分の視ているものをもっと多く人に伝えられる日が来るのかもしれない。半分が六割になり、七割になり――決してすべてにはならないとしても。
奥で茶をすすっていたオルセンが帰りぎわにぽつりと言った言葉がよみがえった。
――わしが何十年かけてもできなかったことだ。視たものを人に渡すというのは。お前たちはひょっとするとその入口に立っているのかもしれんな。
入口。
まだ何者にもなれていない。落第者のままだ。だがその入口に確かに立っている気がした。




