二人で一つ
「もう一回最初から」
セレナは書きつけから顔も上げずに言った。
オルセンの研究室の隅を、老教授は二人に貸してくれた。「若い者同士で勝手にやりなさい」と言って、自分は奥で茶をすすっている。あの邂逅から数日。セレナは本当に毎日のように、セイルを「観察」しに来た。
机の上には古い魔晶石がいくつか並んでいる。村の境界石のかけらに似た、まだ磨かれていない原石。セレナがどこからか集めてきたものだった。
「この石に手をかざして」セレナが指で示した。「何か感じたら、感じたまま言葉にして。きれいな言葉じゃなくていい。むしろ生のままで」
セイルは言われたとおり手をかざした。
肌のあのざわつきがすぐに反応した。
「……二つめのが濃い」セイルは言った。「他のは静かだ。けどこの二つめだけ、奥のほうで何かぐるぐる動いてる。渦みたいに」
セレナの筆がすごい速さで走った。
「渦」彼女は繰り返した。「方向は? 時計回り逆回り?」
「……右回りかな。たぶん」
「速さは。一定? それとも強くなったり弱くなったり」
「弱くなったり強くなったり。波みたいに」
セレナは書き留めると、自分の手のひらを二つめの石にかざした。短い詠唱を唱える。探知術式。彼女の周りに、淡い光の網が広がった。
しばらくして彼女は息を吐いた。
「私の術式だと」セレナは悔しそうに言った。「この石にわずかな魔力反応があることまでは、分かる。他の石より少し強いということも。でもそれだけ。『渦』も『右回り』も『波』も――何も捉えられない」
「術式が悪いのか」
「ううん。術式はちゃんと働いてる」セレナは首を振った。「これが学問の限界なの。下級の探知は、魔力が『有るか無いか』『強いか弱いか』しか測れない。中の構造までは見えない。誰がやっても同じ」
セレナは書きつけと石を交互に見た。
「でもあなたには見えてる。私の術式が『強い反応あり』としか言えない、この石の中の渦が」
それから二人は黙々と続けた。
セイルが視て言葉にする。セレナが書き取り、術式で裏を取る。何度も繰り返すうちに、奇妙なことが起きてきた。
セイルの「渦」という言葉が、だんだんただの感覚でなくなってきたのだ。セレナが「右回り? 何回ぐらいで一周する?」と問うたびに、セイルは自分の感じているものをもっと細かく見るようになった。今までただ「濃い」「嫌な感じ」とだけ感じていたものに、向きや速さや形があることに気づいていく。
「あなた最初よりずっと細かく言えるようになってる」セレナがふと顔を上げて言った。
言われてセイルも気づいた。
「あんたが訊くからだ」セイルは言った。「訊かれると、もっとよく視るようになる」
「そう」セレナの目が輝いた。「それよ、それ。あなたが感じて、私が問う。問われて、あなたがもっと深く感じる。それを私が書き留める。――一人ずつじゃできないことが、二人だとできる」
セイルは書きつけを覗き込んだ。
そこには自分の感じたものが、文字になって並んでいた。乱れた生のままの言葉。けれど確かに自分が肌で視たものが、初めて自分の外に形を持って残されていた。
誰にも見えなかったものが。誰にも伝えられなかったものが。
胸の奥が熱くなった。
「これ」セイルはかすれた声で訊いた。「これって学問になるのか」
「まだならない」セレナは正直に言った。「全然足りない。私が書き取れてるのは、あなたが視てるもののたぶん半分以下。言葉にできない部分のほうが、ずっと多い」
半分以下。
またその壁だった。どれだけ言葉を尽くしてもセレナには全部は届かない。
だがセレナは書きつけを大事そうに閉じて言った。
「でもゼロじゃない。今日ゼロだったものが、半分にはなった」彼女はまっすぐにセイルを見た。「ねえ。明日も来ていい?」
セイルは奥で茶をすすっているオルセンを、ちらと見た。老教授は聞こえないふりをしながら、口の端でかすかに笑っていた。
「……ああ」セイルは言った。「来てくれ」




