ただ足りない者
聴講の手続きを待つ廊下で、セイルはもう一人の落第者と出会った。
ヴェントが聴講の籍を手配してくれるという。その書類が整うまで、セイルは事務方の小部屋の前の長椅子で待たされていた。隣にもう一人、うつむいて座っている痩せた青年がいた。
その青年の手元の書類がちらと見えた。「聴講許可申請」。自分と同じだった。
「……あんたも落ちたのか」
思わずそう訊いていた。青年はびくりと顔を上げた。気の弱そうな、自信なげな目だった。
「うん」青年は小さく頷いた。「ピル。ピル・ハーロウ。ハーロウの近くの町から来た。あんたは」
「セイル。辺境の灰櫟村から」
「辺境」ピルは目を丸くした。「すごい遠くだ。……でも辺境って魔力が薄いんだろ。よく評価まで受けに来たね」
「あんたは」セイルは訊いた。「なんで落ちたんだ」
ピルは力なく笑った。
「魔力が足りないんだ」ピルは言った。「ずっとそうだった。町の魔法塾でも、いちばん下だった。術式の組み方は覚えた。等級も系統もぜんぶ頭には入ってる。なのに流せる魔力が足りない。下級の灯りひとつ、まともにともせない」
セイルは息を呑んだ。
それは――まるで自分のことだった。
「おれも同じだ」セイルは言った。「石ひとつ灯せなかった。魔力がない」
「だよね」ピルは力なく笑った。「辺境の薄い土地で育ったんだ。仕方ないよ。おれはふつうの町の出なのに、これだもの。生まれつき足りないんだ」
二人はしばらく並んで座っていた。同じ落第者として。同じ魔力の足りない者として。
奇妙な安堵があった。中央に来てからずっと、自分だけがはぐれ者だと思っていた。家名もなく、魔力もなく、何もできないただ一人。だがここに同じような者がいた。落ちこぼれにも仲間がいた。
なのに――その安堵の中で、セイルはふと奇妙な引っかかりを覚えた。
ピルはただ魔力が足りないだけだった。術式は覚えている。組み立ても分かる。ただ燃料が足りない。だから灯せない。それだけだった。
自分は違った。
燃料が足りないのは同じだ。だが自分には――別の何かがあった。石の奥が視えてしまう、あの感覚。村で気味悪がられた、あの「変さ」。ピルにはそれはない。
ピルはただ足りない者だった。自分は足りないうえに、何かよけいなものを抱えた者だった。
「ピルは」セイルはおそるおそる訊いた。「石を見て――何か感じたりはしないか。奥に何かあるみたいな」
「奥?」ピルはきょとんとした。「石の奥に何が。ただの石だろ。光らせるための」
「……そうだよな」セイルは言葉を濁した。「いやなんでもない」
やはりピルにはないのだ。あの感覚は。
ピルはただ足りないだけ。だからピルは、いつか埋もれていける。中央の片隅で目立たぬ落ちこぼれとして、ひっそりと。誰にも気味悪がられず。化け物とも呼ばれず。ただ平凡に足りないまま。
それは――ある意味で羨ましいことだった。
自分にはできない。自分は足りないうえに、異質だった。村でそうだったように。便利な勘と気味の悪い勘。その境目で、いつも線を引かれた。ただ弱いだけなら、埋もれられた。だが弱くてなお異質だから――埋もれることができない。
弱ければ隔絶しないわけではなかった。弱くてなお異質な者は、いちばん隔絶する。
その予感がふいに胸に冷たく落ちた。
「あのさ」ピルがためらいがちに言った。「もしよかったら……聴講の間、隣に座らないか。おれ一人だと心細くて。同じ落第同士さ」
セイルはピルの自信なげな顔を見た。
この青年は自分を同類だと思っている。同じ落ちこぼれだと。それは半分本当で――半分違った。だがその「半分違う」を、ピルに言うことはできなかった。言えば、ピルの目の色もいつか変わるかもしれない。村人と同じものに。
「ああ」セイルは言った。「座るよ」
嘘ではなかった。ただ言えなかったことが、一つあっただけだ。
ピルはほっとしたように笑った。その笑顔は無邪気で、屈託がなかった。ただ足りないだけの者の、平穏な顔。
セイルはその顔を少しだけ眩しく思った。
ほどなく事務方からセイルの聴講許可が下りた。
崖の縁の半年の足場。それが正式に、自分の足の下に置かれた。ここから半年で何か――自分にしかできない何かを示さなければ。さもなければ、本当にただの落第者になる。ヴェントはそう言った。
ピルにはたぶん、その「何か」はない。ただ足りないまま半年を過ごし、静かに消えていくのだろう。
自分には――あるのかもしれない。あの視る感覚が。だがそれは力なのか。それともまた、自分を隔てるよけいなものに過ぎないのか。
まだ分からなかった。
翌日から、セイルは聴講の席に着くことになった。すり鉢の底のような講義の間の、いちばん後ろの隅に。




