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視竜 〜最弱の眼、最強を射抜く〜  作者: Studio Yodaca
定理の都

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18/18

鍵のかかる街

落第した者にも夜は来た。そして夜が来れば寝る場所が要った。


 評価の間を追い出されたあと、セイルには行く当てがなかった。村を出るとき、ヴェントは中央まで連れてきてくれた。だが落第した今、いつまでもあの人の世話になるわけにもいかなかった。


「下宿なら心当たりがある」


 そう言ってヴェントが紹介してくれたのが学院街の裏通りにある古い下宿だった。


「あんたがヴェント先生の言ってた子かい」


 下宿の戸を開けたのは、恰幅のいい四十がらみの女だった。マーサと名乗った。値踏みするように、セイルの粗末な身なりを一瞥する。


 またあの目かと、セイルは身構えた。評価の間でも廊下でも向けられた、あの目。家名もない辺境の物乞いを見る目。


 だがマーサはふんと鼻を鳴らしただけだった。


「辺境の出だね。痩せてること。――まあお入り。うちは家柄も学籍も訊かないよ。前金さえきちんと払うならね」


 セイルはハルダの麻袋を握りしめた。中の銭はもういくらも残っていない。前金を払えば、ほとんど底をつく。


「……どれくらいですか」


 マーサが告げた額に、セイルは息を呑んだ。村ならひと月暮らせる銭だった。それがこの街では、半月の宿代にしかならない。


 マーサはその顔を見てまた鼻を鳴らした。


「高いと思うかい。だがこれでも、この界隈じゃ安いほうさ。中央ってのはそういう街だよ。何をするにも銭がかかる。家名があれば、仕送りがある。学籍があれば、奨学の道もある。――あんたみたいに何も持たない子には、いちばん生きにくい街さね」


 その言葉に棘はなかった。ただ本当のことを言っているだけだった。


 あてがわれたのは屋根裏の狭い一室だった。


 それでもセイルには十分すぎた。村の土間の隅で膝を抱えていたころに比べれば。


 荷を置いて窓を開けると、夜の街が見えた。


 通りという通りに、家々の窓に、あの淡い光が灯っていた。中央へ着いた日に、ヴェントが「魔法照明だ」と教えてくれたあの灯り。揺らがず、煤も出さず、ただ静かに闇を照らす光。


 見慣れないとセイルは思った。何度見ても。


 村では日が落ちれば、世界は真っ暗だった。月のない夜は、戸の外へ一歩も出られなかった。なのにここでは――夜が明るい。闇のほうが追い払われている。あの石を人が手なずけて、暮らしの隅々にまで埋め込んでいる。


 当たり前のように灯るその一つ一つがセイルにはまだ不思議でならなかった。


 翌朝、宿代を少しでも浮かせようと、セイルは街でいちばん安い食堂を探した。


 たどり着いたのは、ネルという老婆の切り盛りする小さな店だった。口の悪い婆さんで、入ってきたセイルを見るなり「辺境者かい、痩せてること」と、マーサと同じことを言った。だが出てきた粥は、安い割に温かく量があった。


「あの灯りの石は」セイルは思い切って店の隅で光る灯りを指して訊いた。「どこから来るんですか。あんなにたくさん」


 ネルがけらけらと笑った。


「なんだいそんなことも知らないのかい。ほんとに辺境から来たんだねえ」


 答えてくれたのは、隣の卓にいた寡黙な男だった。ガレンという、魔導具を扱う職人だという。灯りの石のことを訊くと、その寡黙な男が急に饒舌になった。


魔晶石(ましょうせき)ってのは、魔力を溜めておける石だ」ガレンは言った。「だがただ置いときゃ、溜まるってもんじゃない。土地が濃くなきゃならん。中央は魔力が濃い。だから石にたっぷり溜まる。溜めた石を、灯りに、水汲みに、動力に使う。――だが辺境じゃこうはいかんだろう。土地が薄すぎて、石にろくに溜まらん。お前さんの村でも、灯りの一つもありゃせんかったろう」


 セイルは肌でそれを知っていた。村へ近づくほど薄れ、中央へ近づくほど濃くなった、あの土地の魔力の勾配を。その勾配が――こういう形で暮らしに現れていたのだ。


 濃い土地は夜を明るくできる。薄い土地は闇のままだ。


 魔力の濃さが、そのまま豊かさだった。そして自分は、大陸でいちばん薄い土地からいちばん濃い街へ来ていた。


「すげえ顔して灯り見てるな」


 声に振り向くとトビーが笑って立っていた。昨日のあの人懐こい青年。


「あんた、ほんとに何も知らないんだな」トビーは悪気なく言った。「灯りも魔晶石(ましょうせき)も。中央じゃ子どもでも知ってることだぜ」


「……村にはなかったから」


「だよなあ」トビーはセイルの隣に座って、ネルに粥を頼んだ。「でもさ。それってすごいことだと思うぜ。おれたちが当たり前に思ってるものを、あんたは全部初めて見てる。世界がいちいち新しいんだろ。羨ましいぜ、ほんと」


 セイルはトビーの横顔を見た。


 羨ましいと言われたのは初めてだった。何も持たない自分を。何も知らない自分を。


 だがその言葉はほんの少しだけ胸を軽くした。


 灯りに照らされた街をセイルは歩いた。


 明るかった。豊かだった。だが――その明るさのどこにも、自分の場所はなかった。


 家名のある者には家がある。学籍のある者には席がある。この街は、持つ者のためにできていた。鍵のかかる扉がいくつもあって、その鍵を自分は一つも持っていなかった。


 村では薄い魔力ゆえに貧しかった。中央では何も持たぬゆえに、よそ者だった。


 どこにいても自分は世界の隅にいた。


 それでもとセイルは思った。マーサの下宿に、ネルの粥に、トビーの「羨ましい」に。ほんの少しだけ、この街に足をつけられた気がした。


 明日からは――何かできることを探さなければ。崖の縁の、半年の足場の上で。


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