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視竜 〜最弱の眼、最強を射抜く〜  作者: Studio Yodaca
定理の都

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測れぬもの

評価の間は天井が高かった。


 石造りの広間に長机が一列。その向こうに、数人の老学者が並んで座っている。中央大魔法院ちゅうおうだいまほういんの入学評価。大陸中から集まった学徒が、ここで魔法の素養を測られ序列を与えられる。村を出るときには、想像もできなかった場所だった。


 順番を待つ列で、セイルの前に仕立てのいい上着の青年が並んでいた。退屈そうに振り返り、セイルの粗末な身なりを上から下まで眺める。


「見ない顔だな」青年は片眉を上げた。「どこの家の者だ」


「……家名はない」


 青年の口の端がわずかに歪んだ。さげすみとおかしさの混じった笑み。


「家名なし」青年はわざとらしく繰り返した。「辺境の出か。へえ。中央の評価を、辺境の物乞いが受けに来るとはな。いい度胸だ」


 それ以上は何も言わなかった。ただ値踏みを終えたという顔で、青年は前に向き直った。セイルも何も言い返さなかった。言い返したところで、どうにもならないことは村で嫌というほど知っていた。


 セイルの番が来た。


「ロウラントと言ったか」中央の老学者の一人が手元の書きつけに目を落とした。「辺境州の。家名は」


「ありません」


 広間にかすかなさざめきが走った。机の端に並んだ若い学徒たちのなかから、くすりという笑いが漏れる。家名を持たぬ者など、ここにはいないのだ。セイルはそれを背中で聞いた。


「では始めなさい」老学者が机の上に一つの石を置いた。「下級の照明術式だ。これに灯をともしてみせよ」


 セイルは石を見た。魔晶石(ましょうせき)。村の境界石(きょうかいせき)とは違う磨かれた小さな石。


 やってみるしかなかった。村を出てからヴェントに教わった術式の手順を、頭のなかでなぞる。等級系統発動の形。言葉と印で魔力を組み上げる――はずだった。


 だが何も起きなかった。


 セイルの体には、もともと流せるほどの魔力がない。辺境のいちばん薄い土地で育った体だ。手順は分かる。組み立て方も分かる。なのに肝心の燃料が、ほとんどない。石は灯らなかった。


「もう一度」


 もう一度試した。やはり石は暗いままだった。額に汗が滲む。手のひらが冷たい。背後のさざめきが、また大きくなった気がした。


「……結構」


 老学者は書きつけに何か記した。その筆の動きが何を意味するのか、セイルにも分かった。


 評価の主は列の中央に座るひときわ年老いた学者だった。


 背筋は老いてなお伸び、表情は石のように動かない。他の老学者たちが、その男に小さく目配せをしている。彼の言葉がここでの決定なのだと、誰もが知っている様子だった。


「ダルム・ヴェクセル様だ」隣に控えていたヴェントが声をひそめて言った。その声には、隠しきれない緊張があった。「公理派(こうりは)の長老。この院で最も重い人だ」


 ダルムと呼ばれた老人は、しばらくセイルの記録を眺めていた。やがて顔を上げる。その目に怒りも侮蔑もなかった。ただ整然とした事実を述べるだけの、静かな目だった。


「体内魔力最下級。術式の発動不可」ダルムは一語ずつ、論理の階段を踏むように言った。「魔法使いとしての素養は認められない。――落第だ」


 落第。


 その言葉は思ったより静かに、セイルの胸に落ちた。覚悟はしていた。村でも自分は何もできなかった。ここでも同じ。ただそれだけのことだ。


「お待ちください」


 声を上げたのはヴェントだった。


「ダルム様。この者には術式では測れぬ素養があります。祖型(そけい)への感受の――」


「サージュ君」ダルムはヴェントを見もせずに遮った。「測れぬ素養とは何かね」


 ヴェントが言葉に詰まった。


「測れぬものを、私は素養とは呼ばん」ダルムの声は淡々としていた。「証明できぬものは、無いに等しい。感受、勘、虫の知らせ――辺境の者が好んで口にするそれらは、定理ではない。学問ではないものを、この院は評価できない。それが規律だ」


 反論はなかった。できなかった。ダルムの言葉は、その内側で完璧に正しかったからだ。セイルは石を灯せなかった。それは事実だった。


「君の熱意は買おう」ダルムは最後にそう付け加えた。それは情けでも皮肉でもなく、ただの記録のような声だった。「だが熱意は素養ではない」


 広間を出ると廊下は冷たかった。


「ざまあないな辺境者」


 待ち構えていたように声がかかった。あの順番待ちの列で絡んできた青年だった。取り巻きらしい数人を後ろに従えている。さっきの評価を、どこかで聞いていたらしい。


「家名もなけりゃ魔力もない」青年は鼻で笑った。「何をしに中央まで来たんだか。お前みたいなのが紛れ込むと、この院の格が下がるんだよ」


 セイルは何も言い返さなかった。言い返す言葉を持っていなかった。青年の言うことは、半分本当だった。


 青年はそれで気が済んだのか、取り巻きを連れて去っていった。


「気にすんなって」


 ひょろりとした人懐こい顔の青年だった。さっきの青年とは違い、上着はくたびれている。


「あいつ、ロデリク・ヴァルゼン。ヴァルゼン家の坊ちゃんでさ」青年は去っていった背中を顎でしゃくった。「家柄を笠に着て、誰彼かまわず噛みつくんだ。気にするだけ無駄だぜ」それから勝手に隣を歩き出した。「おれはトビアス。トビーでいい。お前、辺境から来たんだろ。すげえな、あんな遠くから。一回行ってみたいんだよな、辺境」


 セイルは面食らった。


 遠巻きにされるか嘲られるか。中央に来てから向けられたのは、そのどちらかだった。なのにこの男はただ普通に話しかけてくる。落第した自分に。家名もない自分に。


「……すげえとこじゃないよ」やっとそれだけ言った。「何もない。魔力も薄い」


「そうかぁ?」トビーはけろりと笑った。「でもあんな遠くから、一人で来たんだろ。おれなんか隣の州から来ただけで、半月も里心ついてめそめそしてたぜ」


 セイルはトビーの横顔を見た。


 落第の谷の底で、初めて誰かが隣を歩いていた。それがどういうことなのか、まだうまく飲み込めなかった。ただ冷たい廊下が、ほんの少しだけましに思えた。


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