村の不安
ヴェントが中央行きを持ちかけてから、村は少しずつおかしくなっていった。
いや――おかしくなったのは村ではなく、村の空気だったのかもしれない。
石が光った。その噂はもう村中に広がっていた。そして人は不安なとき、その原因を求める。あの石が光ったから、何かが起きるに違いない。そしてその「何か」を呼んだ者として、ある名が囁かれていた。
視る石みたいなあの子が。
異変は小さなものだった。
ある朝、ダルケの鍛冶場の火がなかなか熾らなかった。いつもならひと息で立つ火が、その日は何度やってもぐずついた。ダルケは無口な男だったが、その日ばかりは訝しげに火を見つめていた。
井戸の水もわずかに濁った気がすると、メグが言った。気のせいかもしれない。だがなんとなく、味がおかしいと。
猟師のロウは相変わらず、獣が山の奥から逃げてくると言った。今度は村の近くまで。何かを嫌がるように。
どれも小さなことだった。辺境では珍しくもない、ちょっとした不調。いつもなら誰も気に留めない。
だが――石が光った今は違った。
「祟りだ」
誰かが言い出すと、それは瞬く間に広がった。
火が熾らないのも、井戸が濁るのも、獣が逃げるのも、みんなあの石の祟りだ。あの石が光ったから。そして――あの石を起こしたのは。
セイルが村の道を歩くと、人々は口をつぐみ、目を逸らした。あるいは露骨に足を速めた。子どもらは母親に手を引かれて、家の中へ入れられた。
昨日まで便利な勘を頼りにしていた者たちが。崖崩れを、井戸の涸れを、先に教えてやった者たちが。今はセイルをまるで疫病のように避けていた。
気味の悪いものを見る目。村でずっと向けられてきたあの目。だがそれが今、村中の目になっていた。
ダルケの鍛冶場の前を通りかかったとき。
セイルはつい足を止めた。ダルケがまだぐずつく火を相手に難儀していた。
「ダルケさん」セイルは声をかけた。「火薪を組み替えたほうがいい。下のほうに湿気が溜まってる。視え――いや、なんとなくそんな気がして」
ダルケの手が止まった。
しばらくダルケはセイルを見ていた。その目に、いつもの無口な実直さはなかった。代わりにあったのは――迷いとわずかな畏れだった。
「……ああ」ダルケはぼそりと言った。「そうだな」
それだけ言って、ダルケはセイルから目を逸らした。薪を組み替える。火がふっと立った。だがダルケは礼も言わなかった。ただ気まずそうに背を向けた。
セイルは何も言えずに、その場を離れた。
ダルケは悪い男ではなかった。だがその彼でさえ――石が光った今は、セイルの「勘」を素直には受け取れなくなっていた。便利な勘と気味の悪い勘。その境目が、石の光で決定的に気味の悪いほうへ傾いていた。
家に帰るとハルダが土間でじっと座っていた。
「ばあちゃん」セイルは声をかけた。「井戸が濁ったとか火が熾らないとか――あれ本当におれのせいなのかな」
ハルダはしばらく答えなかった。
「おまえのせいじゃないよ」やがてハルダは低く言った。「石が光ったのは、おまえのせいじゃない。火や井戸のことだって、ただの季節の巡りかもしれん。――だがね」
ハルダは皺の刻まれた手を膝の上で組んだ。
「村の連中はそうは思わん。不安なときは、誰かのせいにしたくなる。そしておまえは――いちばんしやすい。視る石みたいな子だから」
その言葉に棘はなかった。ただ本当のことを言っているだけだった。
「ここにいると」ハルダはぽつりと言った。「おまえはこれからずっと、こうやって生きていくことになる。村の不安の受け皿として。何か悪いことが起きるたびに、おまえのせいにされる。――それがおまえの、これからの村での暮らしだ」
セイルは何も言えなかった。
その夜、セイルは寝床でヴェントの言葉を思い出していた。
君のその素質は、村ではただの祟りとしか思われない。だが中央でなら――それを活かす道があるかもしれない。
村にいれば、自分はずっとこうだ。不安の受け皿。気味の悪い子。便利な勘を頼られながら、決して隣には入れてもらえない。そして何か悪いことが起きるたびに、自分のせいにされる。
ダルケのあの目。礼も言わずに背を向けた、あの気まずさ。あれが――この村での自分の、これからのすべてだった。
ここにはもう自分の居場所はないのかもしれないと、セイルは思った。
石が光ったあの夜から、何かが決定的に変わってしまった。元には戻らない。村はもう自分を、ただの「セイル」としては見てくれない。
西の空の斜面のほうで、あの石は今もう何も光ってはいなかった。ただの黒ずんだ石柱に戻っている。
なのに――その石が、自分のこれまでの暮らしをすっかり変えてしまった。
そしてまだこれから、何かが始まろうとしている気がした。その予感だけが、闇の中でひたひたと胸に迫っていた。




