差し出すもの
中心の流れの前でセイルは視ようとした。
どうすればこれを畳めるのか。
この一本は石の臨界の源だった。すべての流れがここから湧き、底のものへと注いでいた。これを緩めなければ堰は静まらない。だがこれに触れれば、底のものに最も近づく。最も引き込まれる。
力では塞げない。緩めようとすれば、底のものの引きがまっすぐ自分に来る。
では――どうすれば。
セイルは必死に視た。流れの構造を。底のものの引きを。堰の仕組みを。視て、視て、視抜いて――そして視えた。
たった一つの方法が。
底のものはこの中心の流れを通して、石の臨界を引き寄せていた。眠ったまま、無意識に自分のほうへ。石が灯れば、その奔流が底のものに届き目を覚ます。
ならば――その引きを石から逸らせばいい。
底のものが引き寄せようとする力を、石の堰でなく別の「何か」が受け止めればいい。錨のように底のものの引きを自分の側へ降ろし、石を通さず直に受けて逃がす。
そうすれば、石の堰には底のものの引きがかからなくなる。流れは源を失い、静まる。石は灯らずに眠りに戻る。底のものも引き寄せる先を失って、また深い眠りに沈む。
完璧な方法だった。ただ一つ問題があった。
その「錨」になれるのは。底のものの引きを石の代わりに直に受け止められるのは。
石の奥を視られる者――自分しかいなかった。
セイルは悟った。
差し出すべきものが何なのかを。
命ではなかった。魔力でもなかった。そんなものはもとから持っていない。差し出すのは――底のものに半身を浸すことだった。底の引きを自分の中へ受け入れること。視る者が視られるものへと、半分踏み込むこと。
オルセンが言っていた。深く視れば視るほど、向こうもこちらを引き込む。近づきすぎた者がどうなるか。英雄と竜種は紙一重。喰らう者が喰らわれる側へ転じる。
その一歩を。今踏み込むのだ。自分の意志で。
踏み込めば――二度と元には戻れない。底のものの引きを半身に抱えたまま、生きることになる。あの垂れ流していた村のころの自分にも。ただ「視る石みたいな子」と呼ばれていたただのセイルにも。二度と。
村に帰れなくなる。守るために、村を救うために、村の一員ではいられなくなる。
それが――差し出すものだった。
セイルは外の世界を視た。
石の奥に踏み込んだまま、薄れゆく意識で斜面の下を。
ハルダがいた。痩せた背を丸めて。あの骨ばった冷たい手で自分を育てた人。おまえはおまえだよと送り出してくれた人。
ティナがいた。まっすぐな目で。化け物でも英雄でもない、ただの変なあんただと言ってくれたただ一人。
ロウが。ゴルド爺が。村の者たちが。怯えながら、それでも逃げずに。
この人たちのいる村を守れる。自分が半身を差し出せば。
その代わり、自分はもうこの村のただのセイルではいられなくなる。守った当事者でありながら、村人は知ることもない。記録にも残らない。学問はこれを記述できない。神秘はこれを物語にできない。誰も自分が何をしたかを知らないまま。ただ石の祟りを呼んだよそ者を連れてきた、あの子のまま。
いいのかとセイルは自分に問うた。
いいと答えた。
誰かに分かってもらうために視るのではなかった。村を守るために。あの人たちのいる場所を守るために。視る。分かってもらえなくても。記録に残らなくても。
それが――自分の選んだ視る理由だった。
セイルは中心の流れに自分を降ろした。
底のものの引きがまっすぐ自分に来た。
途方もない力だった。世界の底の巨大な眠りが、自分を引き込もうとする。同じものにしようと。視る者を視られるものに。肌が悲鳴を上げた。体の芯が凍りついた。意識が底へ底へと引きずられる。
だがセイルは踏みとどまった。
全部を明け渡しはしなかった。半身を底へ。だがもう半身は村へ。ハルダへ。ティナへ。この霜の匂いのする辺境へ。そこに踏みとどまった。竜種化の淵の縁に半身を浸したまま。落ちきりはしなかった。
そして底のものの引きを――石から逸らした。
自分という錨へ。
石の中心の流れが源を失った。あれほど高まっていた脈動が、ふっと勢いをなくした。絡まり合っていた無数の流れが引かれる先を失い、ゆっくりとほどけていった。堰はあふれずに――静まっていった。
観測者が分岐を畳んだ。
灯るはずだった石は灯らずに。目覚めるはずだった底のものは引き寄せる先を失い、また深い眠りへと沈んでいった。
斜面の石の青い光がゆっくりと薄れていった。
脈動が収まっていく。村を染めていた光が引いていく。井戸の濁りも家畜の怯えも、その源を失って。
村は救われた。
セイルは石の前で膝をついた。半身に底の冷たさを抱えたまま。
救った。確かに。
だが――その瞬間から、自分はもうただのセイルではなかった。




