視るを行為に
石に触れた瞬間、世界が裏返った。
目で見ていた斜面も村も二つの力も、すべてが遠のいた。代わりに肌の内側に――いや、もっと深いどこかに――石の奥の世界がひらけた。
脈動のただ中だった。
光の奥。半年前一度だけ視たあの場所。途方もなく古い、名づけようのない気配のその内側。今セイルはそこに、自分の意志で立っていた。
閉じて、絞って、向ける。オルセンに教わったとおりに。垂れ流すのではなく。呑まれるのでもなく。視たいものを視たいだけ視る。
そして視た。
石の臨界がどういうものなのかを。
それは無数の細い流れの絡まり合いだった。
石の内側で幾筋もの流れが、奥の深いところへ向かって吸い込まれている。オルセンの研究室で視たあの「呑まれ」の流れと同じ。だが桁が違った。石の流れはもっと太く、もっと速く、もっと深くへ注ぎ込んでいた。
その流れが限界まで高まろうとしていた。あふれる寸前の堰のように。あふれれば――灯る。半年前とは比べものにならない規模で。そしてその奔流が、底のものの眠りを揺さぶる。
止めるにはこの流れをほどくしかなかった。あふれる前に。絡まりを解き、勢いを逃がし、堰を静かに閉じる。
力ではできなかった。堰を力で塞げば決壊する。これはほどく作業だった。一本ずつ流れを視きわめ、どこをどう緩めれば全体が静まるかを読み解いていく。
まさに――視ることがそのまま行為になる作業だった。
セイルは流れを追った。
一本の太い流れ。それがどこから来て、どこへ注ぐのか。視て辿る。それは別の流れと絡んでいた。学問の術が外から触れた痕。その絡みを視て緩める。緩めると、流れの勢いがわずかに落ちた。
視えた、とセイルは思った。これを続ければ。一本ずつ絡みを解いていけば。
だが流れは無数にあった。一本ほどくあいだに、別の十本が絡みを深める。学問の術と神秘の呪が外から触れた痕が、そこここに結び目を作っていた。彼らが奪い合ったその傷が。
セイルは必死に視た。絞って、向けて、次の流れへ。また次へ。汗が噴き出した。目の奥が焼けた。心の臓が限界まで打っていた。
外の世界の音が遠くに聞こえた。グレゴルの声か。カインの声か。あるいはティナの。分からなかった。今はこの石の奥の流れだけが、世界のすべてだった。
どれほどそうしていたか。
いくつもの絡みをほどいた。流れの勢いが少しずつ落ち始めた。臨界の迫り方が緩んだ。いける、とセイルは思った。このまますべての絡みを解けば。堰はあふれずに静まる。石は灯らずに眠りに戻る。
だが――そのとき。
いちばん奥のいちばん太い流れに行き当たった。
それは石の流れの源だった。すべての流れがそこから湧き、そこへ還る中心の一本。そしてその流れは――石の奥のさらに底へと繋がっていた。
底のあの巨大な眠りへ。
セイルはぞくりとした。
この中心の流れを緩めなければ、堰は静まらない。だがこれに触れれば――底のものに最も近づく。最も引き込まれる。視ている自分が、視られる側へ引きずり込まれる。あの世界の底へ。
遠くでオルセンの声がよみがえった。視るというのは、視られるということでもある。深く視れば視るほど、向こうもこちらを引き込もうとする。近づきすぎた者がどうなるか――。
セイルは中心の流れに意識を向けた。
その瞬間、底のものがこちらを視た。
いや、視たというのとは違った。眠ったまま、まぶたの裏で何かがこちらの存在に気づいた。途方もなく大きく古いものが、深い眠りの底からわずかに手を伸ばしてくる。引き込もうと。同じものにしようと。
セイルの肌が悲鳴を上げた。体の芯が凍りついた。引きずられる。このまま中心の流れを緩めようとすれば、自分があれに呑まれる。
だが――緩めなければ堰は静まらない。石は灯る。底のものは目を覚ます。村が、辺境が、何もかもが終わる。
呑まれずに緩めることはできない。
緩めずに呑まれないこともできない。
その二つに一つの淵の縁で、セイルは初めてはっきりと悟った。
代償なしにこれを閉じることはできないのだと。
何かを差し出さなければ。この堰を静めるためには。自分の何かを。
それが何なのか――まだ視えなかった。だが確かにあった。中心の流れの、その向こうに。差し出すべき何かが。




