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中華ワニ小説『鰐魚の宮に、落ちる恋水』  作者: あすみねね
三章 炎の姫と、腕を失った男
18/21

二

「ああ、うああん」


児童の頃の莉莉だ。その日は、激しい大雨が窓を打ち付け、暴風が吹き荒れた。房室を揺らすような大きな雷が鳴っていた。


莉莉は雷が怖くて泣いていた。莉莉は浩然の元へ行き、起こそうとしたが泥酔していた。鼾(いび)息(き)をかいて熟睡している浩然は、莉莉の啼泣(ていきゅう)に気づくことはない。


「うっ、ひっく……起きて、起きてよぉ、浩然叔父様ぁ……」


 臥榻の前で莉莉は垂泣(すいきゅう)し続けた。すると、臥榻からぼとっと莉莉の膝上に何かが落ちた。莉莉は擦っていた瞼を開ける。


莉莉の前に落ちてきたのは白い鰐だった。宝玉のように真っ白な鱗をした鰐の嬰児だ。鰐は、まだ小さく、莉莉の膝上にすっぽりと収まる大きさだった。


「あ……この子、叔父様の飼っている鰐だ……」


 確か、名前は愚它麸。孤島に存在した幻の一族、自分と同じ血が流れているグスタフ族に因んで命名された。


莉莉が瞳から涙を落とすと、愚它麸の深紅の眼に染みこんだ。愚它麸は莉莉の頬に口をつけて、舌をちろりと出すと涙を舐めた。


「慰めてくれるの? ……そうだ、この子を内密で自室に連れて行っちゃおう」


 莉莉は腕の中に愚它麸を抱えると、自室に早足で戻った。


愚它麸を共に臥榻に入れると、被套に丸まって震える。雷はまだ青く光り、轟音を鳴らしていた。けれど、莉莉は雷よりも怖いものがあった。それを頭で想像しながら、雷の恐怖を和らげた。


「愚它麸は、どうして叔父様といるの? 叔父様のそばにいるなら、愚它麸も私の家族?」


 莉莉は拒絶も呼応もしない愚它麸の頭を撫でた。ぐぅ、と鼻息を吹くだけで、横臥している莉莉の隣でじっとしている。


雷が光る度に愚它麸の目玉が、宝石のようにきらきらするのが楽しくて、ふふと笑った。莉莉はだんだんと愚它麸が愛らしくなってきて、上から被さって抱きついた。


「家族って何だろう? 家族なら私のこと、守ってくれるよね? なのに、叔父様は、どうしてたまに私を叩くんだろう、いやだな、やだよ、もう叩かれたくないよ。私、もっとちゃんと良い子にするようにしないと」


 莉莉は眠くなって目を瞑りながら、思い出していた。


昔、朝に起こしてあげようと浩然の臥榻に行った。中々目を覚まさない浩然に、莉莉は無理に起こした。すると、浩然は目を閉じながら、莉莉の顔を思いっきり打擲した。浩然の口からは猛烈な酒の臭いがした。


 莉莉は泣きながら自室に籠もった。気がついたら片目に大きな痣ができていた。浩然はそれを見てなんと、莉莉に手を出したのは誰だと激怒した。詐妄(さもう)でもなく、浩然は赤心で記憶がないようだった。


 転んだ、と莉莉は嘘をついた。恐ろしくてそう言うしかなかった。浩然がやったなんて告げようものなら、今度こそ殺されるかもしれない。


それから、莉莉は用がある時以外は、自分に限界が来るまでは、浩然を起こさないようにしていた。


「愚它麸は私の家族だから、ずっと一緒にいてくれるよね」


 莉莉は愚它麸を両腕に包んだ。鱗でごつごつしているはずなのに、まるで人間に抱きしめられているようなふわりとした感興だった。


 私たちはずっと共にいる。そう思っていたのだけれど。


 ──父と叔父を殺した愚它麸は今、どうしている? 野生に帰ったとしても、元気にしている?

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