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九



 本宮には順潮に人が集まっていた。莉莉は玉座の間から遠目で後ろまで一望した。


 玉座の後ろには龍水宮が祭祀している〝応竜〟の装飾の像が飾られている。応竜は鷹のような翼があり、三本の指が足にある。雨を降らせる能力があり、龍水宮が水に恵まれているのも、それが所以と伝えられていた。


 応竜の横には小さく麒麟の姿がある。応竜が産むと言われている嬰児だ。母に跪く子のように応竜の足元にいた。


 莉莉はあれから魅音に香粉をつけ直してもらい、薄めに塗ってもらった。


 魅音たちは莉莉の身体に気を遣えなくて申し訳ないと頭を下げた。しかし、魅音たちもそこまで顓門(せんもん)知識はなかったろうし、莉莉の境遇が変わっているのだから気にしないでくれ、と返答した。


 そういえば、と莉莉はさっき拾った頸(ペンダ)錬(ント)を手に取った。錆び付いていて指先で触ると少しざらざらしている。莉莉は何となくじっと見たあと、首につけた。


 これで、衆民たちの前に出せるくらいは、ましな見た目だろう。莉莉は安堵してふう、と吐息する。


「なあに。あんたも来たの?」


 莉莉の後ろで媚びを売るような声がした。ゆっくりと振り返ると、従姉の蝶鈴が口端を歪めていた。


「お外から出られたの? 偉いわねえ。 人がいっぱいで吃驚しちゃって、倒れたりしなかった? 衣装は犬に論語ってところね。まあ、私には絶待(ぜったい)及ばないけれど」


 蝶鈴はきっと莉莉の身体が良くなかったのも耳に入っているのだろう。思いっきり煽りながら、蝶鈴は莉莉の顎を掴んで、上から下まで舐め回すように見た。


 ふん、とわざと息を吹きかけられて、莉莉は怯えてぎゅっと両目を瞑った。


「……なに? この頸(ペンダ)錬(ント)。だっさ」


 蝶鈴は莉莉の首元の頸錬を掴みながら、嘲笑した。すぐに関心なさそうに離して、莉莉の肩にわざとぶつかると玉座の横に並んだ。衆民の中から「蝶鈴様!」と声があがると、美麗の笑みで手を振り返した。


 莉莉も俯きながら、蝶鈴の隣にそっと立った。すると、ざわっと騒ぎ出した。


「莉莉様だ。珍しい!」


「お目にかかれるのは初めてだよ」


 そんな声が莉莉に聞こえてきた。ほかにも色々と言っているようだが、どうでもよかった。こんな集まりは早く終わってくれないか、と、ばかり頭で考えていた。


「皆の者! 静粛に、静粛に!」


 突如、凛とした声が本宮に大きく響き渡った。雪芳が堂々とした出で立ちで現れた。


 本宮は一気にしん、と静まる。雪芳はごほん、と咳払いすると、一通り周囲を見渡したあとに口を開けた。


「この度は、お集まり頂き、感謝する! 今日(こんにち)、皆(みな)を呼んだのは、今後の龍水宮について大事な知らせを持ってきたからだ! どうぞ、しっかりと聞いてもらいたい。よろしく頼む」


 雪芳は毅然として言い放った。雪芳の風格のある様に、衆民たちは一斉に頭を下げた。蝶鈴もしっかりとお辞儀したので、莉莉は遅れて頭を傾けた。


「ありがとう」と雪芳は笑貌でお礼をすると、再度、咳払いをした。


「今回、そのために紹介したい者がいる。入ってきてくれ!」


 雪芳が声を掛けると、本宮の入口から人影が見えた。背後に雪芳の宦官たちを連れている。莉莉はその人物を見て、はっと驚いた。


 雪芳に言われて現れたのは、蒼嬰だった。


 蒼嬰は昨日とは打って変わって、髪をしっかりと整えられていた。紺青の漢服には宝石のような装飾が鏤められている。目に映るものすべてを睨み付けるような強い青眼は、周りに恐嚇(きょうかく)を与えた。


 どうして、蒼嬰が此処に──?


 莉莉が困惑したまま、蒼嬰は真っ直ぐに王座に進んだ。


 王座の前で立ち止まると、ぐるりと振り返って衆民に向き合った。雪芳は蒼嬰の隣に立つと、手を差し伸べて紹介する。


「皆の者。彼の名前は、蒼嬰殿という。どうぞ、よろしく。何故、この者をこの場に招請(しょうせい)したかというと、……今後、龍水宮の者は蒼嬰殿と長い交際になるであろうからだ。皆は──龍水宮にいるからにはグスタフ族の伝説を知っているな?」


 雪芳はハキハキとした声を響き渡せる。グスタフと名が出た時、雪芳がちらりと目だけを莉莉に向けた。横にいる蝶鈴も、ふん、と鼻を鳴らしながら睨み付けた。それだけではなく、数多の眼力をあちこちから感じた。


 莉莉は逃げ出したくなりながら、不愉快に俯く。莉莉の嫌がる態度に気がついたのか、雪芳はパチン、と手を叩いて注目を逸らさせた。


「現状、グスタフ族の末裔は、そこにいる莉莉のみである。それは周知の上であると思うが──、最近、もう一人、グスタフ族の者が発見された」


 雪芳の驚きの一言に、本宮は一気にざわついた。


 莉莉も聞き間違いかと思うような言葉に、俯いていた顔を思いっきり上げた。


 誰もが考えただろう。まさか──。


「俺は、グスタフ族の男である!」


 雪芳が発する前に、蒼嬰は一歩前に出て、大声で宣言した。これには、本宮が沸くほど騒ぎ始めた。莉莉はポカン、と口を開けて蒼嬰を熟視する。


 だが、蒼嬰は畏怖せずにさらに前に出ると声を上げた。


「父の名は明かせぬが、俺はグスタフ族の莉(り)喬(きょう)という女から生まれた。この莉喬とは、莉莉の母親である。俺は莉莉が産まれる前に既に存在していた!」


 莉莉は蒼嬰からその言葉を聞いた刹那、ばたん! と音を立てて倒れた。後ずさりをしながら、口を押さえてわなわなと震えだした。莉莉は昨日、蒼嬰に感じた想いを思い出す。


 ──『まるで初めて会ったとは思えない。ずっと前から家族だったような気がする。自分に兄がいたら、こんな風だったのかもしれない』


 そんな親近を抱いて、莉莉は蒼嬰を兄と呼んでいた。まさか、異父兄妹で、本物の兄だとは夢にも思わない。


 雪芳が「莉莉!」と呼んで倒れた莉莉に駆け寄ろうとした。だが、隣にいた蒼嬰が止めた。


 蒼嬰は莉莉の前に歩み寄り、跪く。すると、莉莉をぎゅっと優しく抱きしめた。


「……莉莉。黙っていて、悪かった。でも、俺は一刻も早く、自分の家族に、妹に会いたかった」


 蒼嬰が昨夜のような、震えた声で囁いた。分別ついた後に、初めて遭遇した実の家族。


 ──『謝って許されたら、神は要らねぇんだよ』


『だからって、屈服するのか!』


 自分が妹だったから、あんなに懸命に守ろうとしてくれていたのか。莉莉は思い出せば思い出すほど、途端に涙が目に浮かんできた。


 莉莉は、蒼嬰を受け入れたように、そっと背に手を回して抱きしめ返した。


 両親を失い、王であった叔父に傷つけられ、ずっと一人ぼっちだった姫が、生き別れの家族と出会えた。その背景に涙を浮かべる者もおり、本宮には自然と多くの拍手が沸き立った。


「……お待ちくださいませ! 雪芳お姉様! この蒼嬰という御方がグスタフ族である証拠は、何処にあるんですの?!」


 蝶鈴の鋭敏(えいびん)な高い声に、拍手がしん、と沈んだ。


 確かに、と全員、蝶鈴に同意した。自称なら、いくらでもできる。ただの虚偽なら賢い雪芳が信じたりするわけがない。だから、蝶鈴は同意できる証拠を見せろと薄弱をついた。


「……証拠なら、存在する。蒼嬰殿」


 雪芳は苦笑しながら、蒼嬰を呼んだ。そんなもの、なければ良かったのだけども、とでも言いたそうな雪芳の悲しそうな顔だった。


 蒼嬰は莉莉から離れると、再び王座の前に立った。


 蒼嬰は懐から絹布(けんぷ)を取り出した。それを衆民の前で広げて見せた。絹布には赤い文字で何か書かれていた。


『紀元前二〇七年(二世皇帝三年)春。天気は雨。


私、莉喬はこの日、男児を産む。名は蒼嬰とする』


「これは莉喬の〝血書(けっしょ)〟だ」


 血書とは、自分の血で書いた誓書(せいしょ)だ。遺言などでも、重要な事実を伝えるために書く。血を使うことによって、より自分の意思が確固たるものである証にもなった。


「自分が俺を産んだ証拠として書かされたらしい。当時、莉喬はグスタフ族であったが故、とある男……、俺の父親に略取(りゃくしゅ)され、子を産んだ。だが、莉喬だけ父の元から逃げ出した。龍水宮に隠れて住んでいる間、莉莉の父である王と出会って婚姻した」


 莉莉は顔もあまり覚えていない母の激烈な過去に、俯くしかなかった。父と婚姻してやっと幸せを手に入れたのに、叔父の浩然にあんな無残に殺されたのか。


 莉莉も不断から、犠牲の癰(はれもの)扱いをされていたから心情が分かった。加虐被害に遭うと、まるで被害がなかったかのように触れられず、犠牲者自身をも隠れたように過ごさなければいけなくなる。


 だから、母の子細を莉莉だけならず、衆民にも隠そうとせず、発表しようと決断した蒼嬰と雪芳に、尊敬の目を向けた。


「俺はそんな事実をつゆ知らず……奴隷人として生きていた。字も読めぬ、書けぬ、何も分からず生きるために、主人のためなら人をも殺した。しかし、ある日、俺の前に奴隷から解放させるように力を貸してくれた者がいた。俺はそいつのおかげで、この血書を手に入れ、自分の出自の真実を知った」


 蒼嬰も自分の過酷な生い立ちを語った。だが、あくまで平静な声色で、泣きもせず、笑いもしない。どこか他人事のように淡々と話し、心が冷めているような印象だった。


 一気に話し終えると、黙りこくった蒼嬰に、雪芳が咳払いして進行を交代した。


「蒼嬰殿が龍水宮を訪れたのは、約一年前である。この血書を見せて自分が莉喬様の子であり、グスタフ族であると名乗り出た。私も最初は偽作としか思えなかった。だが、念のためにかなりの時間をかけて筆跡鑑定を行った。結果、莉喬様が龍水宮に残していた文書と完全一致した」


 蒼嬰は手に持っていた血書を、ちゃんと確かめたいだろうと、蝶鈴に渡した。受け取った蝶鈴は、目を凝らして血書を隅から隅まで読み始めた。見た感じ、怪しくあっても、雪芳を含めた宮内の者が鑑定をしたのであれば、真正だ。


 蝶鈴はちらりと莉莉を見ると、ふん、と顔を背けながら血書を差し出した。


「……あんたの亡くなったお母様の遺品よ。しっかりと見ておきなさい」


 浩然から生まれたというだけで、子にはなんの罪もないが、自分の父親のせいで母を失った莉莉に少しでも同情してくれたのか。莉莉は血書を手に取った。


 莉莉は自分と同じ血が流れていた母の、命がけの文字を指でなぞりながら、見入っていた。


「さて! 皆の者。蒼嬰殿が、グスタフ族の末裔である子細は分かったであろう! 矢継ぎ早で申し訳ないが、まだ知らせがあるので次に移らせてもらう! 蒼嬰殿が持ってきた、とある物を見せたい! 持ってきてくれるか?」


 雪芳は切り替えるように両手を叩くと、宦官たちに指示をした。すると、宦官は本宮の宝物庫に一斉に向かっていった。


 しばらく間があいてから、数人の宦官が何かを運んできた。王座の前に小さな筐笥(きょうし)が置かれた。莉莉たちは何だろうと首を傾げる。


「……蒼嬰殿。頼む」


 雪芳は彊直(きょうちょく)した顔をしながら、蒼嬰を呼んだ。


 さらに雪芳は、ふうと息を吐いて、体の力を緩めたように王座に座った。莉莉はこの王座に雪芳が座ったのを初めて見たかもしれない。雪芳は欄(らん)檻(かん)を離れがたそうにそっと触ると苦笑をした。どうして雪芳は悲しそうな表情を浮かべているのだろう。


「私がこの王座に座るのは、今日が初めてで……──最後となる」


 雪芳の呟きは物憂げに響いた。蒼嬰は横目で雪芳を見ると、筐笥を持ち上げた。


「俺は血書の鑑識を待っている間、フオ族の火花宮に亡命していた。火花宮の姫である桐香という女が保護してくれたのだ。だが……、桐香の父である火花宮の王が、俺を殺害しようとした。どうやら、俺がグスタフ族ではないかと風聞を耳にし、自分の身分に自信が揺らいだそうだ」


 蒼嬰は筐笥の蓋を開け始めた。莉莉は中身に何だか嫌な予見がした。


「後に、俺は火花宮の王と決闘となり……、王の首を取った!」


 筐笥の中にあったのは、老成した男の首だった。蒼嬰は男の髪を掴み、首を挙げて衆民に見せた。


 本宮ではあちこちに悲鳴が上がった。中には昏倒している者もいた。


 莉莉は目の前で起きている現実が遅れてやってくる。ふと、浩然の遺体を思い出して、吐きそうになり蹲った。


「ちなみに、王を晒し首にしてほしいと申し出たのは、娘の桐香姫である。そんな決断をした桐香殿は聡明な姫だと思った。神聖なグスタフ族に手を出した罰を受けるべきだと、自分の家族であろうと厳しい方だった」


 蒼嬰は尋常じゃないと我ながら感じているのか、王を首を筐笥に閉まった。すると、目を閉じて王座に座っていた雪芳が口を開いた。


「私はこの件を聞いて、ある決意をした。……蒼嬰殿を龍水宮の王にしたいと思う」


 再び、本宮が騒然とした。莉莉は、そんな、と雪芳を見つめた。


 雪芳は女とはいえ、誰もが認める統率力があり、聡明であった。男しか王になれないなんて古い考えを覆して、龍水宮の女帝になってほしいと思っているのは莉莉だけではなかっただろう。


 だが、蒼嬰が莉喬の子で、グスタフ族であるなら、王位継承は雪芳が下がる。紛れもない事実を雪芳が一番よく理解したのだろう。


「俺が王になるのを承知できない者もおろう。そういった者は、好きに龍水宮を出て行ってもらって構わぬ! 働き先は俺と雪芳が紹介する! 俺は龍水宮のために命をかけると、此処に約束しよう」


 蒼嬰は高らかに宣言した。


 初めは困惑した顔を浮かべる者もいたが、だんだんと気勢が軽減されていった。火花宮の王を倒した蒼嬰の力に蠱惑された者が多かったのだろうか。王殺しをしてこそ、まさに王に相応しいと幻想が現実になったような気がしたのかもしれない。


「蒼嬰王、万歳! 蒼嬰王、万歳!」


 雪芳と交代して蒼嬰が王座に座った。本宮は蒼嬰を讃える声で響き渡っていた。

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