三
孤島に来訪して、莉莉たちは船を降りた。
莉莉は、挨拶もせずに前をすたすたと歩く男の風姿を見ているしかなかった。男のかぶり笠の紗巾が風でひらひらと揺れて、陽を浴びた砂のように光っていた。
「あの方は、浩然様のご友人だったそうですよ」
莉莉が何か言いたげな顔をしているのを察したのか、宦官がそっと教えてくれた。その話で莉莉は、さらに首を傾げた。
──浩然の友人だって? 自分はずっとこの孤島の別第にいたのに。あんな顕著な男が訪れていた記憶はない。
「……変なの」
莉莉は、ぽつりと呟いた。ふと、自分の右手を熟視する。手は元通りになっているが、妙な術でもかけられて、おかしな情態になってないか不安になる。
だが、別に何ともなく指は動く。莉莉は手元の莉莉の花束をぎゅっと握りしめると、ある場所に向かった。
小さな坂をある程度に歩くと崖岸がある。少し息を切らしながら、額の汗を袖で拭う。
崖岸に着くと莉莉は顔を上げて風を感じた。崖からは青々とした海が一望でき、荘厳な泰山が勇ましく映る。
莉莉は崖先まで歩くと、手に持っていた莉莉の花束をすべて海に投げた。飛んでいった白い花弁は雪のように舞い降りていく。
花弁は水面に浮いて遠のいていき、人骨かのように見える茎は青黒い海の底に沈んでいった。
──蟷螂の骨も、この海に眠っているの?
莉莉は花を投げ終わると、その場で三角座りした。
これで、蟷螂の展墓は終わった。莉莉は毎年こうやって、蟷螂を弔う。此処から聞こえる海の漣は、蟷螂の弔問客の嘆きの声だ。
『莉莉様。永遠にお慕いしています』
莉莉は蟷螂の最期の言葉を、切ない声を、抱きしめられた温もりを今でも昨日のことのように思い出せる。浮かんでくる涙を耐えようと、顔を伏せるしかなかった。
「よう。また会えたな」
耳元に吹きかけられた美声に、莉莉は吃驚して反り返りそうになるほど顔を上げた。警戒心から咄嗟に後ずさりする。
だが、後ろ手があと一歩ぐらいのところで絶壁だった。ぱら、と石塊が崖から落ちる。手が滑りそうになったところを、ひょいと軽く抱き上げられた。
「おい! 危ねえな! こんなところから落ちたら、その小さい体、潰れるぞ」
莉莉を抱えたのは、船で同行した青い漢服の美男だった。
どう見ても女に見える中性な容貌だからなのか、さっきからこの男に触られても憎悪がない。莉莉は浩然に襲われてから、男性に近づかれると発作のように苦しくなる。
「駻馬なのも、変わらないんだな」
こういったまるで昔から知り合いだったかのような男の話し方も、莉莉の恐怖はやわらいだ。
「……やっぱり、貴方って昔、どこかで会ったことある?」
莉莉は男の両肩に捕まりながら、間近にある顔を熟視した。
しかし、こんな美しい男と会っていたら忘れたりしないだろう。男は両脇を優しく掴んで莉莉を着地させた。
「さあ。ないかもしれないし、あるかもしれない」
「お名前は何ていうの?」
「……蒼嬰」
「……聞いたことない名前。でも、蒼嬰は私を知っているのね」
「まあな。ずーっと、ずっと昔から」
蒼嬰は漢服の袖で腕を組むと、横を向いてどこか遠くを見るような目になった。銀が混じった白髪が風に揺れて、宝石のようにきらきらと輝く。真っ白な布の上に、ぽたりと血が落ちたかのような赤い両目が卓絶する。
「そんなに前、から……?」
蒼嬰の赤い眼を見ていると吸い込まれそうになる。それに、やっぱり何処かで記憶のある目だった。
けれど、頭を抱えても思い出せない。まるで鍵が掛けられて開かない扉のように密封されている。
「ま、莉莉様がこーんな小さい時に会ったから、覚えてなくてもしょうがないさ」
莉莉が不安げにしているのが分かったのか、蒼嬰は一変してニカッと笑った。童子にするかように莉莉の頭をくしゃりと撫でる。簡潔だったが、莉莉はそれだけでも一気に曇っていた気持ちがなくなり、安堵した。




