2-23 狂人
ディートリヒを訪ねる者はいなくなっていた。
大侯爵領の実務はレイズ侯爵とフォルテ侯爵の2人が取り仕切るに至っている。これまで大侯爵領で働いていた役人たちはすべて彼らの下について行政や軍事、裁判などを処理するようになっていた。
これは元々ディートリヒに付き従う形になっていたフレッドとグスタフについても避けられず、船に乗って領内を巡らなければならなくなっていた。
ディートリヒは相変わらず邸宅から出てくることはない。
ただそれ以前の部屋にずっといたころと比べると、変化があったようである。
「若様は?」
「今日も格納庫よ」
使用人たちがそう話している。
ディートリヒは、誰もいない格納庫に行き、一日中残骸となったロクシアスを眺めていた。心配した使用人が様子をうかがうと、何かぶつぶつ言っているのが聞こえて、次第に誰も近づかないようになっていった。
「レガリアだ……。レガリアさえ……」
日に日にやつれていくように見えるディートリヒに、最初は心配していた使用人たちだが、ディートリヒが毎日ふらふらと力弱く歩く様子を見続けてはたまらない。
「立ち直っていただきたいけど……」
「無理なんじゃないか、もう」
「困ったわね。いまのうちに仕事探そうかしら」
日に日に使用人たちの間で不安の声が上るようにもなる。
その日もディートリヒは一人で格納庫にいた。
最初、ディートリヒはその人物がいることに気付かなかった。
「だれだ?」
遠く、格納庫の壁によりかかるその人物に、ディートリヒは力のない誰何を投げた。
その男は、服装こそ大侯爵邸の使用人の服だったが、ディートリヒの知らない男だった。黒髪で、右腕にどこか違和感がある。よく見ると、袖口に金属が見えた。
義手であった。
「はじめまして、閣下。私はクロイツと申します」
「あたらしい使用人か?」
問いかける言葉にはかつての覇気はかけらもない。
「いいえ。侵入者という奴ですよ。実は私、人類連邦で働いていましてね」
クロイツは無造作にディートリヒに近づいていった。
ディートリヒは敵国の名を聞いても特に気にすることなく、弱弱しく皮肉気に笑うだけだった。
「私にはもはや何の価値もないぞ」
「あぁ、そうじゃないんです。私が興味あるのはね、レガリアなんですよ。レガリアだけなんですよ」
その言葉にはさすがに眉を動かした。
「奪うつもりか」
「それもいいなと思っていたのですけど、ちょっといいことを思いつきまして」
そういってクロイツはふふふと笑った。
「どうです、閣下。レガリア、欲しくないですかぁ?」
「な、なに?」
「あぁ、ただこれは実験的なものなので、成功するとは限らないです。うまくいけば閣下は新しいレガリアを手にすることができるかもしれないという、まぁ悪魔の取引の類です」
クロイツはフフフと笑みを漏らしている。
「レガリアを、か」
「レガリアを、です。どうです?」
クロイツは怪しさ満点の笑顔を浮かべてディートリヒに手を差し出した。ディートリヒはしばらくその手をじっと見ていた。
「それで、連れてきただと?」
大侯爵邸から少し離れたところに停車しているワゴンの中でクロイツを待っていたアルテアは、クロイツが連れてきた人物を見て頭を抱えたくなった。
「えぇ、そうです。由緒正しきサリアフェ大侯爵の血を引くディートリヒ君です」
「だめ。今すぐ元あった場所に返してきなさい」
アルテアは、こっそりスーパーのかごに欲しいお菓子を忍び込ませた子供を叱るような口調で言った。
「いやいや、ちょっと待ってください中佐」
クロイツは弁明を図った。
「言ってみろ」
「これは技術の発展のためなんです」
「ほう、大侯爵の跡取りを攫ってくることで生じる危険より価値のあるものかなそれは」
「もちろん!」
「残念だが、意見の相違だな。さぁ戻してきなさい」
それまで黙っていたディートリヒがクロイツをかばうように半歩前に出た。
「待ってほしい。どうせ私に価値などないんだ、危険はない」
「価値がないというと?」
「レガリアを失った以上、大侯爵領は他の者に渡される。私には侯爵位もなく、運が良ければ伯爵か子爵くらいは与えられる、そんな程度でしかない」
「そうそう、それに誰もこの人のことを気にしてなかったんですよ」
「お前は黙っていろ」
アルテアににらまれてクロイツは黙った。
ディートリヒはクロイツに何か言いくるめられてここに来ているようだ。それを悟ってアルテアは話の流れを変えた。
「なぜここまでついてきた?」
「うまくいけばレガリアが手に入ると誘われた」
「……クロイツ、説明」
「はい。あれですよ、私の研究。船に乗せて持ってきてもらったあれと、ディートリヒ君の壊れたレガリアを使えば、うまくいきそうな気がするんですよねぇ」
判断に必要な情報が全く含まれていない。クロイツの頭の中だけで完結しているのだ。ことが技術だけに、説明されてもわかるとは限らないとはいえ、だ。
「必要なことは?」
アルテアは実務家であった。クロイツが実験をやる気なら止まりはしないし、そもそもアルテアが彼を買っているのはそのうえで成果を出してみせる男であるからだ。
リスクの制御はアルテアの担当である。
「船のあれを大侯爵邸に持っていくか、残骸をこっちに持ってくるかお願いします。あとは私が楽しみます」
「分かった、なら持っていく方だ」
アルテアは即決した。持っていく方なら、最悪クロイツを放り捨てれば済む。持ってくる方で帝国軍が探しに来たら、巻き込まれて大変なことになってしまう。
「いついけますか」
「地上に降ろすのに3日はかかる。多少の協力はお願いしても?」
アルテアの目線にディートリヒが頷いた。
「では4日後に配達しよう」
「やった! さすが中佐です」
クロイツが快哉を上げた。




