10 エルザ
「降参! 撃たないで!」
両手を挙げたキュークが車の運転席から外に出た。
そのすぐ後ろの後部座席からキティが、両手を上げずに出た。
最後に、反対側の後部座席からセツトが外に出た。
この配置は、キティの発案によるものだった。キティたちがセツトを人質に取っておらず自由を与えていることを示すため、違うドア、それもキティたちから遠い側から外に出たのである。
騎士鎧はみじんも動いていないのに、エルザが喜んだ気配が伝わってきた気がした。
騎士鎧のコックピットが開き、パイロットスーツ姿のエルザが出てきた。普段まとめることなどしない金髪は一つにまとめられ、別人のような印象さえある。
『利用可能な電話番号を教えなさい』
声は騎士鎧に搭載された外部スピーカーを通して響いている。
「へい! ○○○○××××△△△△でさぁ!」
キュークが叫び返すと彼の電話に着信があった。キュークが応答して、相手の声を聞いてから、セツトを見た。
「お前さんにだとさ」
キュークは車をぐるりと回りこんでセツトに電話を渡してきた。
耳に当てる。
「聞こえるかしら」
3日と経っていないのに、すでに懐かしい感じがした。
「聞こえてるよ、エルザ」
「無事、と言っていいのかわからないくらいボロボロに見えるけど、大丈夫?」
「まぁなんとかね」
「そう」
エルザの声が途切れた。
セツトはそのままエルザの言葉を待つ。
「家に帰るわよ」
エルザらしい断定の形だ。
「エルザ、けれど僕は、騎士鎧を動かせない」
「それがどうしたっていうの。そんなの、私がどうにかしてみせますわ」
「それじゃあ駄目なんだ」
セツトは首を振った。
「貴族は、騎士鎧に乗り戦えなければならない。そうだろう?」
それは事実だ。
厳密な法律上はどうかわからないが、貴族たちは騎士鎧に乗れない者を貴族とは認めないだろう。
(でもそれを跳ね返せる理由があるのに)
確信はしていても、具体的なことを知らないエルザには、それをセツトに伝えることができない。セツトの言葉を否定できない。
「騎士鎧に乗れない。この事実を隠し通すことは絶対にできない。そうなれば、エルザにだって迷惑が掛かってしまう」
「問題ありませんわ、だって、婚約者ではないですか」
「この事実は、婚約が破棄されるのに十分な理由だ。公爵閣下がお許しにならない」
(そうではない。そうではないのに……)
エルザは、自分が迎えに行けばセツトは帰ることに応じてくれるだろうと思っていた。
違った。
エルザは自身の確信を伝えられない。エルザが何を言ったところで、エルザ一人の意見にしか見えない。そんな意見ではセツトを納得させられない。だまされた振りさえしてくれない。
これまでの5年間でよくわかっている。
必要なのは事実だ。
セツトを説得するには事実がいるのに、エルザの手元にはその事実が何一つない。
(だめ。このままではだめ)
話の流れが、方向性がよくない。
分かっているのに、正しい方向に戻す正解がわからない。
事実はない。理屈はセツトのほうが正しい。もうこうなったら、公爵が許さないという前提において感情で訴えるしかない。
「でも、私は―――」
あなたと一緒なら貴族でなくなってもいい。
感情が吐き出そうとした言葉を、理性が止めた。
無理だ。ずっと貴族社会の中で生きてきた。エルザはほかの生き方は知らない。帝国のテーセウ公爵令嬢。それしかできない、なれない。
貴族でなくなる。
そんなこと、できるわけがない。
たとえ説得するためでも、そんな噓は言ってはいけない。
「エルザ」
セツトは電話越しに呼び掛けた。
(君がそう思ってくれることはうれしい)
セツトの方では、最後エルザが何と言おうとして言えなかったのか、おおむね理解していた。
いままで5年、見てきたのだ。
エルザがセツトを好いてくれていること、強気で人を引っ張っていこうとするのに、実はそうすることで自分が一歩踏み出す勇気を出していること、本当は未知の冒険など怖くてできないこと。
全部知っている。
(君は貴族でなければ生きていけない人だ)
答えが今決まった。
「僕は家には戻らない。騎士鎧に乗れない僕は、貴族ではいられない。さようなら」
電話を切った。
セツトはキティとキュークに目配せをしてから、車に乗った。二人もその選択を理解し、車に乗った。
車が動き始めた。
車の正面にあったエルザの騎士鎧の足元をすり抜けて行く。
その様子を見ても、エルザにはどうすることもできなかった。
通話の終了した電話を、ただ握りしめて見ていた。
「行かないで。お願い……」
言葉がセツトに伝わることはなかった。




