9 本妻きたる
2人が車の後部座席に乗り込むと、車はすぐに発進した。
「まずは手当ね。キューク、拭くものちょうだい」
「え、持ってないですぜ」
キュークと呼ばれた運転手が返事をした。
「何でもいいからだしな。ないなら脱ぎな」
「へ、へい。これ大事なやつなんですけどね……」
キュークはポケットから折り目のしっかりした真っ白なハンカチを差し出した。
「今度新しいの買ってあげるわ」
「ありがとうございます!」
キティは無造作にハンカチを受け取ると、セツトの額を拭った。ハンカチに赤黒い染みがついた。
「あたしはキティ。宇宙海賊をやってるもんで、まぁつまり、帝国の敵というやつさ」
キティはセツトの顔を拭きながら簡潔に自己紹介をした。
「カルストです」
セツトはスクラップ場のときと同じ偽名を名乗った。
「それで、貴族の坊やがあんなところで何してたんだい?」
息を呑んだ。もうバレたのか。まさか。たいして喋ってもいないし、今のセツトは身ぎれいともとても言えない。
なんて返すべきだ。
「さっきの連中、暗号もかけてないトランシーバーで言いまくってたわよ」
キティが早々とネタをばらした。なおその手のハンカチは今セツトの首を拭っている。
(嗚呼)
なんてことだ。
スクラップ場の連中は犯罪者だが、今度は帝国の敵だ。
ランクアップしてる。
「薄汚れた醜男たちの餌食になるところから助けてあげた麗しく美しいお姉さんとしては、本名を教えてもらいたいねぇ」
確かにさきほど助けてもらったのは事実ではある。助かったと言って良いのか疑問は残るが。それでも恩は恩。
セツトは腹をくくった。
「セツト・ダイオンです」
「ダイオン。ダイオンって、あのダイオン伯爵?」
「伯爵なら父ですね」
「じゃあ伯爵令息サマかい。これはとんでもない拾い物をしちまったねぇ」
首の次は腕。
腕が終わってするりとハンカチがシャツの中に入ろうとしたのを、セツトの手が止めた。
「あの、自分で出来ます」
「そう」
キティはぽんとハンカチをセツトの手に握らせると、足を組んで座席に寄りかかった。
「それで、話は戻るけど、なんでなんだい?」
「それはですね」
セツトはかいつまんで事情を説明した。
騎士鎧が動かせなかったこと、家出したこと、スクラップ場に行ったこと、そしてそこであったこと。
キティはうんうんと相づちを打ってただ聞き、
「ふうん。あたしには騎士鎧が動かせないのがそんな大事なのかよく分らないけど、つらかったんだねぇ」
という感想を漏らした。
「貴族は騎士鎧に乗れないといけないですから」
「ねぇキューク、あんた騎士鎧乗れる?」
「どちらかというと乗りたくありやせん」
「今かっこつけた台詞はいらない」
「へい、もちろん乗れやせん」
「そうよね。でもあたしは、あんたが人並以上に出来ることを、1つくらい知ってるわ」
「ありがとうございます! でももっと知ってて欲しいっす!」
「で、セツトは」
キティはキュークの訴えを無視した。
「何か出来ることはある?」
「え。えーと、数学、物理、戦術論とか戦略論とか、超空間航行術とか、運動や格闘術もある程度は。あと普通の操縦もそこそこできると思います」
「すごいじゃない。キューク、見習いなさい」
「へい、精進しやす」
「まぁ、セツトが貴族でい続けるならともかく、そうでないなら誰もそれを気にする奴はいないってことさ」
セツトは頷くことも否定することも出来なかった。
「キューク、ちょっと止めて」
「へい」
キティに指示された通り、車が止められた。
何をするつもりだろうか。
「セツト、あたしらの船に来るかい?」
「……え?」
てっきりこのまま拉致されるのではないかと思っていたセツトは、拍子抜けした声を出してしまった。
「あんたはここでこの車を降りてもいいし、あたしらの船に来てもいい。あたしらはもう一仕事済ませたらこの辺から離れる予定でいるから、帝国じゃない国まであんたを運んでもやれる。そこで船を降りてもいいし、乗り続けてもらってもかまわない。
もっとも、あたしらは海賊だ。船は襲うし、積荷は奪う。無駄な殺しをしようとは思わないが、追ってきた帝国軍と戦って沈めることもあるし、商船護衛の機兵を落とすことだってある。船に乗り続けるなら、そういうことも仕事のうちになることは承知してもらう。
その顔はなんだい」
「え、いや、その身代金的な話になるのかと」
これにはキティがきょとんとした。そんな考えはまるでないという顔だ。
「その方がいいのかい?」
「いえいえいえ」
「そうだろ。陸でそういうのをやっちまったらただの犯罪者じゃないか」
陸でなければやるらしい。
「あたしらは犯罪者じゃなくて、帝国の敵だからね。さ、それで、どうする?」
選択を迫られたが、セツトは即答できなかった。
何かのあてや、何かやりたいことがあったわけでもない。帝国を離れたいとまで思っていたわけでもない。
何もない。
何もないのだ。
騎士鎧に乗るという軸がなくなって、何もなくなってしまった。
呆然とした。
愕然とした。
あらためて慄然とした。
ピピ、と電子音がして、運転席のキュークが電話に出た。
「まじかよ」
電話の向こうから何か聞いて、キュークが驚く。
「おかしら、やべぇ。帝国軍の機兵が空飛んでこっち向かってる。逃げねぇと」
「セツトがまだ決めてない」
「おかしらぁ」
「キューク、今大事なのはこっちなの。うろたえるなんてダサいわよ」
「……へい」
キュークは前を向き直って腕を組んだ。
「相手は空を飛んでんだから、今走って逃げても変わらないわ」
キティは堂々としている。
(すごいな)
セツトは純粋に思った。
度胸があるというのだろうか。あるいは覚悟が決まっているというのだろうか。
貴族の「義務」とは別の軸が感じられた。
(この人は義務に縛られてはいない)
これまで話しただけでも、そのことが分かった。
自由というのはこういうものだろうか。
少しまぶしいような気持ちがした。
「あーあ、来ちゃった」
キュークが運転席から空を見上げていた。
ゆっくりと、機兵が降りてくる。
純白の騎士鎧。
誉れ高く汚れなき騎士の証。
その肩にはテーセウ公爵家の紋章が描かれていた。
『全員車から降りなさい』
騎士鎧からエルザの声が響いた。
セツトはまだ、どうするか決めることが出来ていなかった。




