第3話 いつもならとっくに『あばば』ってたはずなのに
「ね、ねぇ先生! 今日は何時ごろに帰ってくるのかしらっ?」
「……おそくなる? それともはやい?」
とある日の朝。出勤前に歯磨きをしていると、二人が尋ねてきた。
「そうねぇ、今日は五時間目までだからいつもよりは早いかも。十八時くらいかしら」
しゃこしゃこと歯ブラシを動かしながら、ついでに髪も整える。朝はマルチタスクに限るわ。
「十八時くらい……ねっ。わかったわ先生!! にひひっ♡」
「……ベラお姉様。そしたら……」
「そうねランちゃん! ふふっ♪」
「二人とも楽しそうねっ。なにかあるの?」
「い、いやなんにもないわよ先生! それよりまた遅刻しないでよねっ!!」
「……うん、なんにもない。ケー……もごご」
急にカベラちゃんが、フィランちゃんの口を押さえた。
「んん? もしお出かけするなら戸締りだけよろしくねっ。行ってきまーす!」
いつも付けてる緋色のペンダントを首から下げて身支度を済ませた私は、二人に挨拶をしていざ出勤タイムだ。
……うーん。
さっきの二人が少しだけ気になったけど、通勤電車に呑まれたらそんなこと考えられなくなった。今日も早く労働を終えたいわっ!!
◇
時刻は十八時ごろ。
二人に伝えた通りの時間に家にたどり着いた私は、鍵を取り出して扉を開く。
「ただいまぁ〜、やっぱりこの時間で終わった……よ……?」
あれ? いつもなら二人の声が聞こえてくるはずなのに、今日はなにも返ってこない。
それに部屋も暗いままで、人の気配がなかった。
「……カベラちゃーん? フィランちゃーん?」
……やっぱり返事がない。靴を脱ぎ、明かりの消えたリビングまで行く。
「……もしかして、帰れたのかな……?」
クローゼットの扉に手を触れながら、暗闇の中で呟く。
それなら良かった。二人とも無事に元の世界へ帰れたなら、それが一番だ。
……でもなんだかな。
せめて最後に挨拶ぐらいしたかった――
パァンッ!!!
「きゃぁ!! なになにっ!?」
暗闇の中、急に聞こえてくる破裂音。
すると。
「いぇーい、せんせーいっ!」
「……いぇーいっ」
ぱちっ、とリビングの明かりが付くと、クラッカーを構えた笑顔の二人が現れた。
「ふたっ……えっ……??」
な、何事なの? どういうこと……?
「さぁさぁ本日の主役様ぁ、上着をお持ちしまぁす♡」
「……荷物も、フィランお持ちします」
二人にそれぞれ荷物を預けると、リビングのテーブルの前に着席させられた。
なにがなんだかわからないまま辺りを見回すと……。
「パーティーの……飾り付け?」
なにかのお祝いかしら? でもさっき私に『本日の主役』って言ってたわね。
などと頭を悩ませていたら――
「はっぴーばーすでーとぅゆ〜♪」
「……とーゆー♪」
二人は可愛くご機嫌に歌いながら、お皿に乗った大きなケーキを持ってきた。
「……もしかして、私の誕生日……?」
「ええ!? 気づいてなかったの!?」
「……せんせい、この前教えてくれたよ?」
二人は「なにをいまさら!?」みたいな顔をしていた。
そういえば、なにかの会話で聞かれた時に言ってたような……。
「てなわけでっ! 先生のことを盛大に祝っちゃうわよっ♡ まあ、あたしたちだけだとこのくらいしかできないけどねっ」
「……ケーキ作るの楽しかった。クリームまみれ、おいしい」
「ランちゃんはつまみ食いしすぎなのよっ!?」
なんてやりとりを眺めていると、二人の指にいくつか絆創膏が貼ってあるのに気づいた。
「指切っちゃったの? 大丈夫?」
二人がケーキを置いた後、その手を取った。
「もー、先生ったら心配しすぎー。ほらっ♡」
するとカベラちゃんが自分の指の絆創膏をペリッと剥がした。
「あれ……切り傷が、ない?」
「あたしたちは吸血鬼なのよっ。怪我なんてすぐに治っちゃうんだからっ!」
「……人間さんは怪我をすると、これつける。可愛かったから付けた」
するとフィランちゃんも、指につけた絆創膏を見せる。
「なるほど……さすが吸血鬼ね」
「さぁさぁ、てなわけで先生っ! あーんっ♡」
「……フィランもやる。あーんして。せんせい」
二人は切り分けたケーキを、それぞれフォークで一口すくって私に近づける。
「あっ、あーん」
ゆっくり二人に向けて口を開いて、パクッといただく。
「んーっ!!! 甘くてふわふわでとってもおいしいっ!♡♡♡」
「へへーんっ! あたしたちが作ったんだからおいしくて当然よねっ♪」
「……とーぜんよっ。ふふんっ」
二人は胸を張って、ドヤ顔を披露した。
「……じーっ」
するとフィランちゃんが、私の顔を見つめてくる。
「どうしたの? 顔になにか付いてる?」
「……ほっぺにクリームがっ」
「あらっ。拭かなきゃ……」
気づいたらフィランちゃんがすりすりと寄ってきて――
「……もったいないっ。ぱくっ」
「お゛わ゛ーー!!?♡」
私の頬についたクリームを舐めとってしまった。
「……んー、やっぱり甘くておいしいっ」
「そ、そうねぇ……! ふ、二人の作る物は最高よっ!!」
いやいやいや、それほぼキスじゃない! フィランちゃん絶対わかってないわよね!?
そんな……美少女からのほっぺちゅー……でへへっ。
「――へぇ〜♡」
反対側からものすごーく悪魔みたいな声が聞こえた。いや吸血鬼なんだけどさ。
「あらっ先生! こっちの手の指にクリーム付いちゃってるわよっ!!」
「カベラちゃん? 食べる時に付いちゃったのかし――」
するとカベラちゃんは。
「あたしが綺麗にしてあげるっ♡ はむっ♡」
ちゅぷっ。
「ほわ゛ぁ゛ーー!?!?♡」
私の人差し指を咥えて、舌で転がし始めた。
「ちゅぷっ……はぁっ♡ くぷっ……れろぉ、んっ♡」
まてまてまて!
指についたクリーム取るだけなんでしょ! なんでそんなねぶるようにするのっ!!
「か、カベラちゃ……あんっ!♡ やめっ……あ゛あ゛っ!!♡」
喘ぐなカスミっ!! アラサーの喘ぎ声はキツいぞ!!
でも……わかってても声……でちゃ――
「ぷはっ。あれ〜? クリーム取ってあげただけなのに、なんでそんなお顔が真っ赤なのぉ?♡」
カベラちゃんは指から口を離すと、こちらをニヤニヤと見た。
こ、この子はほんとに……!!!
「……せんせいっ、フィランもケーキ食べたーいっ」
「あっ、ごめんねっ! 三人で食べま――」
「……あーっ」
するとフィランちゃんは目を瞑って、その小さなお口を開ける。食べさせて……ってことよね。
……なんか、えっちな顔に見え――げふんっ!
とりあえず煩悩を脇に置いて、フォークに一口分のケーキをのせた。
「……はいっ、フィランちゃん。あーんっ」
「……あむっ。……んんっ、あまいっ。おいしいっ」
フィランちゃんは目をキラキラさせて、幸せそうに頬を緩めた。
「あーっ! ランちゃんばかりずるいっ! あたしにもあーんしてっ! あーっ……♡」
「はいはいっ。カベラちゃんにも……ん゛ん゛っ!?」
なんでケーキをあーんするだけなのに、そんなに舌を出す必要があるのっ!
「へんへぇ……? ほらぁ、はやふぅ……あーっ……♡」
絶対わかってるからこの子! でも指摘したら思う壺だわっ!!
「は、はいカベラちゃんもっ。あー……ん」
フォークに一口分のケーキをのせて、カベラちゃんの口へ運ぶ。
「んぐっ♡ んん〜っ!! 我ながらおいしくできたわねぇ!!♡」
「そ、そうねぇ! ありがとうね二人ともっ!」
ダメよカスミ! ここで理性をなくせば、人として終わりよっ!
「じゃあそろそろやるわよ、ランちゃん……」
「……やるのね、ベラお姉様っ」
すると二人は改めて私の両脇に陣取って、逃げ道を塞ぐようにした。
「えっ? なに? なにされるの私!?」
「えへへぇ……先生っ♡」
「……じっとしててっ」
そうして二人は、私の顔からほぼゼロ距離のところまで近づいてる!?
ケーキの甘い匂いと、二人からふわっと香る良い匂いのせいで……意識が……。
「お誕生日おめでとうっ先生! 大好きよっ♡ ちゅーっ!♡」
「……おめでとう先生っ。だいすき。ちゅっ」
私の頬に、二人のちゅーが炸裂した。
「あっ……っ」
「どうどう、先生? あたしたちのちゅーは!?♡ あばばっちゃうでしょ〜?♡」
「わた、私……」
いつもならとっくに『あばば』ってたはずなのに。
でも今、頬を伝ったのは――
「……うん。とっても……嬉、しいわっ……」
瞳から溢れた、大粒の涙だった。
「なっ、なに泣いてるのよ先生っ!? もしかしてちゅー嫌いだったの!?」
「……せんせい? お腹痛いの……?」
「ううん……ごめんねカベラちゃん、フィランちゃん。ぐすっ、違うのよっ」
手の甲でその涙を拭う。
そして私は、二人を優しく抱き寄せた。
「ひゃっ!? なによ先生っ!?」
「……だいじょうぶ?」
驚かせてごめんね二人とも。上手く言えそうになくてさっ。
「私のために、飾り付けしてくれたり……ケーキ作ってくれてさっ。二人にすっごい愛されてるんだなって思ったら……とっても嬉しくて……嬉しくてさぁ」
泣きながら話す私の言葉を、二人は優しく聞き続けていてくれた。
「ありがとうねっ。カベラちゃん、フィランちゃん。貴女たちと一緒にいると、毎日とっても楽しくて幸せよっ。本当に……ありがとうっ」
「なによ先生ったらっ!」
「……それは、フィランたちも思ってること」
すると二人は、私とじっくり目を合わせた。
「この人間界で頼るあてもなかったのに、優しくあたしたちを受け入れて……そのっ。あっ、ありがとうなんだからっ!」
「……せんせいと一緒だから、この世界怖くない。ありがとせんせいっ、だいすきっ。ぎゅーっ」
「あっ! ランちゃん!! あっ、あたしだって先生のこと大好きなんだからっ!! ぎゅーっ!!」
そして、勢いよく私に抱きつく。
ああ……幸せって、こういうことなんだな。
「私も大大大好きよっ! カベラちゃん! フィランちゃん!!」
私も二人を力強く抱きしめ返す。
リビングには幸せな三人の笑い声が響き渡った。
「さぁ先生! 泣いてばかりじゃなくて楽しく行くんだからねっ♪ 宅配ピザも用意してあるんだからっ!」
「……スマホ一つでごちそうがくる。すごいっ。じゅるりっ」
すると二人は、キッチンの奥から宅配ピザとコーラを持ってきた。
人間界によく馴染んでいるわね……。
「……そうねっ! じゃあ二人ともっ、もっと食べるわよーっ!!」
そうして三人分のコップにコーラを注いで、二人に手渡す。
私も自分のコップを手に取って――
「かんぱーい!!」
「かんぱーいっ♡」
「……しゅわしゅわする、おいしいっ」
約一名フライングしちゃったけど、涙はここまで。楽しい楽しい誕生日パーティーが始まった。
ああ、いいな。
この子たちといると、私も笑顔でいる時間が増えた気がする。
それに二人の笑顔があるから、私も頑張ろって思えているんだなっ。
――こーんな日常が、いつまでも続きますように。
私は心の中で、小さく祈った。
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