第2話 脅迫
電話が鳴ったのは、昼過ぎだった。
マックはその間ずっとソファに座っていた。サラの本を手に持ったまま、ページを一枚も捲らずに。警察には通報した。担当の刑事は「72時間様子を見てください」と言った。マックは受話器を置いて、それきり動けなかった。
見知らぬ番号だった。
「ハント氏」
昨夜と同じ声だった。感情のない、事務的な声。
「サラはどこだ」
「ご安心ください。今のところ、無事です」
今のところ。
マックは受話器を握る手に力を込めた。壁に叩きつけたかった。でも動かなかった。怒りを外に出せば、向こうの思う壺だとわかっていた。
「何が望みだ」
「昨夜お伝えした通りです。ハント氏の技術が必要なんです。それだけです」
「サラを返せ」
「任務が完了すれば、必ず」
沈黙が落ちた。窓の外で風が木の葉を揺らしていた。マックはゆっくりと息を吐いた。
「条件がある」
「お聞きします」
「サラが無事だという証拠を毎日寄越せ。声でいい。それだけだ」
短い間があった。
「承知しました」
電話が切れた。
マックはしばらくそのまま立っていた。受話器を持ったまま、どこも見ていない目で。
どうせ俺は使い捨てだ。
ずっとそうだった。国家に呼ばれるたびに、消耗品として現場に放り込まれた。終われば報告書一枚で終わり。感謝もなければ謝罪もない。それでも黙ってこなしてきた。サラがいたから。帰る場所があったから。
その場所が、今はない。
マックはコートを手に取った。行く当てなどなかった。それでも家にいることができなかった。冷めたコーヒーが二つ、キッチンのカウンターにまだ置いてあった。
外に出ると、空は低く曇っていた。
足が勝手に動いた。路地を抜けて、大通りを渡って、古い煉瓦造りのビルの地下へ続く階段を降りた。看板もない、常連しか知らない薄暗いバーだった。昔、よく来た場所だ。仕事が終わるたびに、一人で飲んだ場所だ。
カウンターに座って、バーボンを頼んだ。
グラスが来た。マックは飲まずに、ただ見ていた。琥珀色の液体の中に、サラの笑顔が見えた気がした。信頼の笑い。昨夜の、あの笑いが。
「久しぶりだな、マック」
隣から声がした。
マックはゆっくりと顔を上げた。
カウンターの端に、見覚えのある男が座っていた。少し老けた。髪に白いものが混じっている。でもその目だけは変わっていない。砂漠で死にかけていたあの夜も、同じ目をしていた。
ジャックだった。




