103.ずっとずっと触れたかった
黒い霧があっという間にクレアとルカを包み込み、何も見えなくなってしまった。
しかし、彼らを見守る三人は、慌てる様子がなかった。
落ち着いた様子で状況を見つめていた。
「結界の濃度、もう一段階引き上げましょうか?」
「待ってください、もう少しだけ様子を見ましょう。たぶん、今呪いがクレアさんに移っていると思います。オーウェン様、見えます?」
「あいつの白い魔力、ちゃんと見えてる。黒い魔力に思いっきり包まれてるけどな。二人の姿を隠してやがるけど、クレアが無事なのはわかる。俺たちに見えねぇようにするなんて、ほんと性格悪い呪いだな」
この呪いの術者が俺の隊にいたら、根性叩き直してやったのにな、と半分本音のように言う。
「あの仮死薬は、外からの魔力がスイッチですから、もう効果が出ていてもおかしくないはずですけど……!」
大人たちが見守る中、少しずつ黒い霧が晴れてくる。
晴れていく霧の中、横たわるクレアと、彼女を抱えたルカの姿がはっきりと見えてきた。
満月の光に照らされて、ルカの髪が金色に輝いていた。
**********
「ルカ君!」
名前を呼ばれ、初めて黒い霧が晴れていることに気づいた。
顔を上げると薬局長とオーウェン様、そしてシャロン様がじっと俺を見ている。
「……クレアは……ちゃんと起きるんですよね?」
俺は、腕に抱いたクレアを見る。
青白い顔で目を閉じる彼女は、いつもと全然違って怖いくらいに無表情だった。
「……冷たいんですけど、大丈夫ですよね?いつ起きますか?」
「ルカ君。大丈夫ですよ。まずは落ち着いてください。あなたの体調はどうなんですか?」
「……そういえば……」
俺は右手を見た。
「消えてる……っ!」
絡みつくようなあの重苦しい魔力も、手の甲に印されていた禍々しい刻印も全てがなくなっていた。
髪の毛に触れてみると、薬局長が微笑んだ。
「綺麗な金髪ですよ」
「黒い魔力もすっきり綺麗になくなってる。どこにも見当たらない」
オーウェン様が、紫色の瞳で俺を見て頷いた。
その言葉に唇を噛みしめた。
そして、クレアを見る。
「……クレアが代わってくれたんで……っ」
彼女の華奢な手を、両手でそっと包み込む。
その瞬間、オーウェン様が小さく息を飲んだ。
「クレアはどうなんですか?今、呪いは……?」
俺の言葉に、オーウェン様がニヤリと笑った。
「なくなった。たった今だ。お前が手を握った瞬間な」
「!」
「白い魔力だけがはっきり見える。呪いの魔力はどこにもねぇぞ」
その言葉に、どっと力が抜けた。
薬局長とシャロン様が胸をなでおろしている。
「仮死薬もあるだろうけどさ、クレアちゃん自身の魔力がしっかりしてたから、抑え込んだってのに近いのかもな。本当にこの短期間で、よくここまで魔力上げたよ」
静かに眠っているような彼女を見つめる。
感謝とか愛おしさとか、そんな言葉じゃこの気持ちを表せない。
「……クレア、早く起きて」
冷たい手を両手で包んだまま、祈るように呼びかける。
どのくらいそうしていたのだろうか?
一瞬、クレアの手がピクリと動いた気がした。
驚いて彼女を見ると、少しずつ顔色に赤みが戻ってきていることに気づく。
「クレア!?」
思わずその名を呼ぶと、彼女はゆっくりとその瞳を開いた。
「……ん……ルカ?」
ぼんやりとした様子で俺を見た彼女は、ゆっくりと微笑んだ。
「~~!!」
その顔を見た瞬間、俺は彼女をぎゅっと抱きしめた。
「……よかった……!」
声にならない。
振り絞るように言う俺に、されるがままのクレアは気づいたように言う。
「金髪……良かった……」
髪の毛が見えたらしい彼女は、すっと手を伸ばして俺の髪の毛に触れる。
そして、そのまま俺の頭をぽんぽんとなでた。
「おつかれさま。頑張ったねぇ、私達」
耳元でそう言われて、感情が爆発しそうだった。
うんうん頷くと、彼女を抱きしめる力をさらに強めた。
*********
痛いくらいに抱きしめられ、私もそっと抱きしめ返す。
「右手、もう全然平気なんだね。良かった」
そう言った瞬間、ルカがびくっとしたのが分かった。
そして、ぱっと両手を離されてしまった。
「え」
見ると、彼は両手を上げたまま、固まっていたのだった。
「ルカ、どうしたの?」
「ご、ごめん、右手……俺何も考えてなかった……大丈夫?どこかおかしくなってない?」
慌てるルカに、私は思わず笑ってしまった。
「大丈夫だよ、どこもおかしくない。灰になんてなってないでしょ?」
「……そっか、そうだよね……」
ほっとしたように頷くルカに、私は言った。
「もう大丈夫なんだよ?その手で誰に触れてもいいの。誰も灰になったりしないから」
私の言葉に、ルカはうつむきながら言った。
「……俺が触れたいのはクレアだけだから」
口元に手を当てるルカに、私は愛しさを抑えきれない。
「うん。いいよ。ほら」
私が笑って手を伸ばすと、ルカは一瞬ためらったような表情を見せた。
震える右手を伸ばすと、そっと私の手に触れた。
お互いの体温やぬくもりが手袋ごしではなく、直接感じられる。
握手を交わすように手をつなぐ私達。
これが当たり前にできなかった今までは、一体何だったんだろう?
「ね?もうだいじょう……」
大丈夫でしょ?と言おうとした瞬間、そのままぐっと引き寄せられる。
ルカは私の肩に顔をうずめたまま、固まったように動かなかった。
泣いてる……?
息をひそめて、彼の様子を伺おうとした時だった。
「……ずっとずっと、触れたかった。俺、よく耐えたと思わない?」
耳元で聞こえたその言葉は震えていて、孤独や苦しみから解放された喜びと、私への想いが溢れ出てきていることがよくわかった。
私はそっと彼の背中に手を回す。
「私もだよ。ずっとずっとこうしたかった」
だいぶ下に傾いてきた満月が、窓から私たちを見ているようだった。




