第68話 不思議な、感情
「あーあっ! 私疲れちゃったー」
ようやく文化祭も終わりを迎え、下校中だった。
「⋯⋯まぁ、頑張ってたからね」
僕はそうやって、微妙なフォローをしておく。一応。
ただ、栞凛はなぜか、嬉しそうだった。
「今日は、お風呂入れないなぁ。どうしよう⋯⋯」
僕に言っているのか、ただの独り言なのか。
「⋯⋯知らない。僕に言わないで」
そうやって、そっけなく返しておく。まぁ、帰った直後にベッドへ飛び込んだら、多分一瞬で寝られる。それぐらいの自信はあった。
「だってー、大輝くんがさぁ、抱きしめてくれたんだもーんっ! ぜーんぶ、大輝くんのせいなんだからっ!」
なぜか自慢げになって言う栞凛。何をそんなに自慢したいのやら。
「⋯⋯お風呂に入ったらさ、大輝くんの匂いがなくなっちゃうんだよ?」
「⋯⋯は?」
僕の匂いがなくなる? どゆこと?
「せっかくさぁ、大輝くんが許してくれたのにーっ!」
栞凛は、プーッと頬をふくらませ、文句をたれた。
「⋯⋯許したって、強引だったじゃん」
⋯⋯まぁ、悪くなかったかも、だけど。
「大輝くんが許しちゃったから、私一生お風呂入れなくなっちゃうー!」
「⋯⋯さすがに、だめでしょ」
せっかくの体が、もったいない。⋯⋯人気なんだから。
「大輝くんがいつでも許してくれればいいんだよーっだ!」
栞凛は、プイッと顔をそむけ、文句を言ってくる。
僕の脳裏には、あのときの栞凛の赤くなった顔が浮かんでいた。
「⋯⋯まぁ、悪くは、ない、かも」
顔が熱くなるのを誤魔化すように、僕はそっぽを向いた。
「⋯⋯え?」
栞凛のかすれた声が、なぜかはっきりと耳に入ってくる。
「⋯⋯」
僕は何も答えなかった。もう、二度と言いたくない。あんなセリフ。
「もう1回、言って?」
「⋯⋯やだ」
もう、絶対に言いたくない。聞き取れなかったなら、それでいい。いや、それがいい。
「ありがとっ!」
栞凛は僕の真正面に立ちはだかり、両手を広げて通路を塞いでくる。
「⋯⋯ふっ」
僕は歩く足を止められなかった。そのまま、栞凛の元へ歩いてしまった。
「う〜ん」
栞凛は顔を赤らめながら、僕を受け入れた。そこで、僕の足は止まった。これは⋯⋯栞凛のせいにしておこう。
栞凛の胸の震えが思いっきり伝わってくる。それに応えるように、僕の胸の震えも早くなっていた。
「大好きっ! 大輝くんっ!」
⋯⋯あくまで、友達として。そういうことに、しておこう。
その言葉が耳に侵入してきたとき、僕は耳までもが赤くなったのを感じ取った。
「⋯⋯う、うん」
僕はそれを聞いたとき、僕の心が不思議な感情に包まれたように感じた。その環状から逃げるように、栞凛の腕の中から僕は逃げた。
「あっ⋯⋯」
栞凛の目は、少しさびしそうで、少し嬉しそうだった。名残惜しそうに僕を見つめたあと、こう言った。
「また、よろしく、ね?」
頬を火照らせ、栞凛がこっちを向いてきた。
「ねえ、大輝、くん?」
下から目線で、愛嬌のあるような顔で覗いてくる。
「ん?」
僕は下を見て、首をかしげた。
「⋯⋯っ! やっぱなんでもないっ!」
栞凛は赤くなった顔を隠すように、走って逃げ出した。
僕はその背中を、ただ、じっと眺めることしかできなかった。
「⋯⋯」
夕日に飛び込んでいくあの姿が見えなくなるまで、僕はただそれだけを見つめていた。それを、見つめていることしか、今の僕にはできそうになかった。




