第64話 ご主人様!
「ご、ご主人様、顔を、あげていただいても、よろしいですか?」
メイドにそう言われても、僕にはそれができるわけなかった。見てしまったら、僕が、僕でなくなってしまうように、感じていた。
「で、では、失礼、いたしますね」
メイドはそう言うと、僕の両頬に、優しく手を置いた。そして、ゆっくりと、確実に、僕の顔を上に上げていった。
フリルのついたメイド服が、だんだん僕の視界に入り込んでくる。
「ご主人様!」
そう、元気よく、力強く言われた。
その、笑顔で可愛らしい服を来たメイド――栞凛を見たとき、僕は今までに感じたことのない感触を味わった。
顔の体温だけが、異常に上昇している気がする。胸の高鳴りも、さらに存在感を増していた。
「特別席に、ご案内いたします!」
最初の緊張はどこへ行ったのか、栞凛はもう普通に話せている。僕は、声すら出せていないというのに。
「私の手を、握ってください?」
栞凛は、僕に手を差し出してきた。
なぜだろう。なぜか、動けない。話す相手は、いつもと変わらないはずなのに。もう、栞凛と思っちゃいけないのかもしれない。
「ご主人様、失礼いたしますね」
栞凛――メイドは、僕の手を奪い、強引に指を絡めてくる。
「それでは、案内いたします!」
「⋯⋯」
僕は、緊張で喉が潰れてしまっている気がした。声が、出そうと思っても、中々出てきてくれない。
そのままメイドに連れられ、壁にカモフラージュしている扉の中に入った。
「ここは、ご主人様だけの、特別な場所です」
メイドは、自作っぽい扉を閉めると、ニヤッと笑う。
「それでは、特製の料理を、お楽しみください」
そこは、バックヤードらしきところで、たくさんのカバンの山が捨てられている。
そのメイドは、自分のカバンからタッパーらしきものを取り出すと、皿に盛り付けた。
「⋯⋯こんなメニュー、あったっけ?」
その皿には、卵焼きと、小さめの唐揚げ。少量のサラダが、不器用に盛り付けられていた。
ようやく口を開けたかと思うと、ただの質問。まともな会話が、一切繰り広げられない。
「ご主人様だけの、特別メニューです♡」
「⋯⋯ありがと」
僕は、そっけなく言った。それしか、僕には言えなかった。
このメイドが、僕のためだけに、こんなにも特別なものを用意してくれたと思うと、すごく感謝でいっぱいになる。
「じゃあ⋯⋯いただ――」
「ご主人様! 少しお待ち下さい!」
そのメイドは、僕が手を合わせて、食べようとしてるところを止めた。
「私が、美味しくなる、魔法をかけますね」
少し顔を赤らめながら、そのメイドは言った。
恥ずかしそうに手でハートを作ると、それを胸の前に持ってきた。
「それでは、いきますね」
メイドは、覚悟を決めたような表情をして、構えた。
「おいしくな~れ、萌え萌えキュン♡」
すごくあざとく、すごく可愛らしく言った。
それを言い終えた途端、また、僕の顔が熱くなっていく感覚を覚えた。胸に、何か名残惜しさを覚え、その指で作ったハートを、まじまじと見続けてしまっていた。
「それでは、私が、あ〜ん、することもできますが、どうしますか?」
あーん、って、あの⋯⋯。やめておこう。そうすると、僕が持たない。
「大丈夫⋯⋯」
「もう一度言ってもらえませんか?」
「だから、大丈夫⋯⋯」
「すみません、もう一度お願いします」
これ以上は無駄だと悟った僕は、仕方なく了承することにした。
「わか、りました」
さっきの1割にも満たないほどの声で、僕は答えた。
「わかりました!」
すると、そのメイドは箸を取り出し、ニコッと微笑む。
――ドクン、と僕の胸は、大きく揺れていた。




