トイレにカミがいない時代
「パパぁぁぁ~、助けてぇぇ。お尻が痛い──!」
「は?」
泣きながら部屋に飛び込んで来た息子に、ジョセフは目を丸くした。
「待て待て待て、どうしたんだ、テッド。尻がどうしたって?」
「血が出てるの。見て」
「っつ」
休日とて、妻は親しい婦人たちと出かけている。
母親不在で父を頼った息子に落ち着くよう宥め、寝台で患部を出させた。
見るなり、ジョセフは唸る。
「これは……、切れてるな。一体何があったんだ?」
「うっ、ううう、うううう」
「テッド、泣いてちゃわからない」
「あの、あのね、前にパパが古代ギリシャの話をしてくれたでしょう?」
つっかえ、つっかえ、テッドは話し始めた。
「昔はお尻を、陶器の破片や石で拭いたって」
「!」
「それでね、その話をしたら友達が嘘つき扱いしてくるから……」
「まさかお前」
「ちゃんと拭けるって証明しようと、試してみたんだぁぁぁぁ」
再び号泣する息子を前に、ジョセフは天を仰いだ。
説明が、足りなかった。
現在──十九世紀アメリカ──では、実を取り、乾燥させた《トウモロコシの芯》をお尻拭きとして用いていた。(特に開拓民、農家で)
他には古新聞、雑誌、植物の葉なども使われる。が。
(石なら丸く滑らかなものでないと……。硬いから肌を傷つけるぞ)
古代ギリシャ語の出土品について話しをした際、二七〇〇年前のカップにしゃがんで「ペッソイ」を使う様子が描かれていると伝えた。
「ペッソイ」とは、小石や陶器片。
自分としては、"その場面をカップの絵にする感性はどうなのだ"という思いだったが、テッドは目を輝かせ、やたら食いついていた。主に尻を拭く動作の方に。
(この年頃の少年は、そういう話題に興味津々だと、あの時気づくべきだったな)
そして注釈を添えるべきだった。
用を足したあと陶器を使うギリシャ式は、切れ痔や出血、炎症などトラブルを招きやすかったと。
それはそう。
硬い陶器と柔らかい尻。相性が良いとは思えない。
模倣に適した手段ではないのだ。
なのに実践するなど誰が思おう。だから子どもは油断がならない。
(どうせ真似るなら、中世貴族のようにレースや絹の切れ端に倣えば良かったのに)
もしくは古代中国のように紙が良かった。木片や海藻を使う国もある。
砂漠では砂が、寒冷地では雪がそれぞれ使われているというが、それにしたって……、石を選ぼうとは。
えぐえぐと嘆くテッドに消毒と薬を施しながら、ジョセフは言った。
「しばらくは柔らかい布にアロエを含ませて、傷口を拭くと良い。アロエには炎症を抑える薬効成分と保湿成分があるからな」
「やだ……、面倒……」
「こら。早く治りたくないのか!」
「それはそうだけど……。あーあ、アロエが沁み込んだ布があれば良いのに。そうだ、パパ作ってよ。発明家でしょ」
「確かにパパは発明もしているが、どちらかといえば実業家でな」
「じゃあ発明して、事業で売り出したら?」
「お前、そう簡単に……。ほら、薬は塗ったぞ。さっさとズボンを履け」
「ねえ、パパ。これ、いつ治るかなぁ」
「俺にはわからん」
1857年。
ジョセフ・ゲイティ(Joseph Gayetty)は、痔に悩む人に向けて、アロエを含ませた医療用ペーパーを開発した。
トイレットペーパー、初の工業生産である。それはシート状で、五〇〇枚一袋で販売された。
しかし残念なことに、ジョセフのペーパーは普及しなかった。
わざわざトイレ用の紙を買うという発想が、当時の人々になかったからだ。
けれども20年後。ロール状で切り取り線が入ったトイレットペーパーが開発されると、室内型トイレの普及に伴って、需要が高まっていく。
屋外トイレでは手近にあるものを使っていたが、ホテル等の屋内で、尻を拭くための道具は用意されたペーパーが主となったからだ。
時代背景に後押しされ、トイレットペーパーは広く人々に求められていくことになる。
さらに1990年代には、再びアロエ成分配合のペーパーが登場。
今度は「斬新だ」と注目を浴びて、大いにウケたらしい。
ジョセフは、あらゆる意味で早すぎたのだ。
時代を先どった彼は、実利こそ得られなかったが、トイレットペーパーの開発者として歴史に名を刻んだ。
「んまぁぁ、テッド。お尻、どうかしたの? 変な動きして」
「あっ、ママ。やっ、ちょっと痛くて──」
「えっ?」
「ううん。何でもないんだ。平気。問題ない」
(あいつ、俺のところに来たのは、母親が留守だったからではなく、それなりに恥ずかしかったからなのか)
息子なりの恥じらいに、ジョセフは呆れつつ苦笑する。
ほどなくして、テッドの患部はちゃんと治った。
「僕もう、陶器は使わないよ!」
──だよね?
―おしまい―
お読みいただき有難うございます!
いや、「何で急にトイレットペーパー?」とか言われそうなのですが、いま私アルファポリス様の「第1回児童書大賞」に「短編集」https://www.alphapolis.co.jp/novel/790065991/31073779で参加していまして。
収録する短編が足りなくなってきたので書き下ろそうと思い、「子ども好きそうな話題…トイレ・ネタとか?」という安易な発想でこの短編生みました(;´∀`)
ジョセフ・ゲイティ(Joseph Gayetty)が開発したという点だけ史実で、テッド他エピソードはすべて創作です。
ジョセフがトイレットペーパーを開発した1857年、日本ではハリスが来航し(ペリーは4年前に来た)、幕末の動乱期。日本でははじめ、洋館やホテルで使用するためのトイレットペーパーを、海外からの輸入していたそうです。
洋館って鹿鳴館とか、そういうのかな、ってドキドキしつつ。
なろう様では現在「なろう異世界ファンタジーフェス! 2026」開催中で、今日連載始めないと5日間連続更新は達成できないというのに…。
うーん、うーん。
参加の皆様、応援していますヾ(*´∀`*)ノ
※紙は水がないと作れないので、砂漠では砂だけでなく、小石も使用されていたよう。拾ってすぐだと熱いので、ポケットに入れて持ち歩き、使用したら捨てて強い日差しで消毒……。だったそうです。
古代ローマでは海綿など。諸々本文に書ききれず、注釈で失礼します。




