第五章③ ヴェルサイユ、鏡の回廊にて
ヴェルサイユ宮殿、鏡の回廊。
今日は隣国から特別使節団を迎える日だ。本来であればアポロンの間に置かれている玉座も、この日のためだけに移されている。磨き上げられた鏡に、豪奢な衣装を纏う貴族たちが映っている。
ルイ二十五世は使節団との接見を行っていた。シルヴェストルも国王の側近として様子を見守っている。何も問題は起きていない。少なくとも、今のところは。
一方、豊穣の間。ヴィクトルは扉を開くと広間全体に声を朗々と響かせる。
「本日は従兄弟を連れて参りました」
彼の後ろに控えていたティエンが姿を現すと、王宮職員の一人が怪訝そうに首を傾げて手元の記録を思い返す。
「失礼ですが……どなたのご子息でしょうか」
「エティエンヌ・ブルボンです。国王陛下に用事があり、こうして足を運びました」
ティエンは穏やかな笑顔で答えた。職員は数秒固まり、頭の中で家系図が完成すると顔がたちまち引き攣る。
「え、あ、えっ!? 本家だあああ!!」
職員は叫びながら文字通り飛び出していった。ティエンは眉を顰めて唇を尖らせ、ヴィクトルは苦笑した。
「オレ、そんな珍獣扱いされるほど?」
「たぶん。思っていた以上に」
接見を終えたルイ二十五世のもとへ、連絡係が転がり込むように御前に現れた。
「へ、陛下!」
「なんだ」
「ブルボン本家のご子息、エティエンヌ・ド・ブルボン様がお見えです!」
玉座の間がざわつき、ルイ二十五世の眉がピクリと動いた。
「……何だと?」
「なんでも、従兄弟でありブルボン分家に当たるフィルマン・ド・ブルボン殿のご子息、ヴィクトル・ド・ブルボン殿の紹介による来訪というわけでして……!」
ルイ二十五世は益々顔を顰めて吐き捨てるように呟く。
「本家が? 長いこと摂政から遠ざかり、好き勝手に豪遊している連中が」
周囲の貴族たちが息を呑む。ルイ二十五世は唸りながら腕を組み、玉座に深く腰掛けた。
「オルレアンの血を引く余の前へ現れるとは、どういう風の吹き回しだ。長男とあれば顔も見たくない。……しかし、無下に追い返せば、また旧ブルボン派が騒ぎ立てるだろう。面倒だ。実に面倒だが、仕方ない。——通せ」
国王の傍らに控えていたシルヴェストルは、内心で激しく動揺していた。ブルボン本家の長男。エティエンヌ・ド・ブルボンの名が頭の中で反響する。
まさか、まさか自分たちが長年夢見てきた存在が、旧ブルボン派が復活させようとしてきた王朝の血を引く者が、自らヴェルサイユに現れるとは。これは運命なのではないか。神が与えた好機なのではないか。シルヴェストルは襟を正して裾を払い、早まる鼓動を抑えた。
やがて、鏡の回廊の大扉が開かれ、ティエンは背筋を伸ばし、磨き上げられた床をコツコツと歩いていった。左右には貴族たち、役人たち、王宮勤めの者たちが同じ方向を見ている。長らく王権から距離を置き、自由気ままに生きていると噂される男を一目見ようと、人々は回廊に集まっていた。現王朝と旧王朝、別々の系譜に連なる王の血を引く者たちが対面する。ティエンは玉座の前まで辿り着くとボウ・アンド・スクレープをした。
「本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます」
「……用件は何だ」
ルイ二十五世は値踏みするように見下ろすと、ティエンは顔を上げた。
「ここへ参ったのは他でもありません。この場をお借りして、国王陛下のみならず、ここにお集まりの皆様に真実をお伝えするためです」
回廊がざわつき、ルイ二十五世は眉を顰めた。
「真実だと?」
「ええ。この場には、私を自由人と呼ぶ方もいるでしょう。自由過ぎる、と」
数人の貴族が気まずそうに目を逸らすも、ティエンは微笑んで肩を竦める。
「否定はしません。ただ今のブルボン家の方々とは違い、私は目的があって放蕩していたのです。……私は旅をしていました。各地を巡り、数々の謎を追い、真相を解き明かすために」
ルイ二十五世が鼻で笑って玉座に背を預ける。
「で? 其方は旅の中で何か見つけたというのか」
「はい。報告も兼ねて、こちらへ参ったのです」
「余は忙しい。其方の冗談に付き合うほど暇ではない」
ルイ二十五世は冷たく言い放つが、ティエンは笑みを保って胸に手を当てる。
「御安心を。場合によっては、愉快なものになりましょう」
国王が怪訝な顔をした瞬間、ティエンは笑みを引っ込めて恐ろしく厳粛な顔をし、鏡の回廊を見渡して断固たる響きを隅々に届かせる。
「私はこの場において、裏切り者を引き摺り出すために来ました」
「……何?」
ティエンは腕を上げ、一直線に国王の傍らに控える男を指差した。
「そう! そこにいるシルヴェストル・ダラスこそ、旧ブルボン派の中核! いえ、中核などという生易しいものではない! 旧ブルボン派そのものと言っていい!! 我々の真の敵は、そこにいる穏やかな毒の当主だったのです!!」
貴族たちが一斉に驚愕の声を上げ、国王が反射的に身を起こす。鏡の回廊はたちまち爆発したような騒然に包まれた。シルヴェストルは目をパチクリさせて唖然とした。
「……なに?」
「戯けたことを!」
鏡の回廊に怒声が響き、ルイ二十五世は玉座から立ち上がって激昂する。
「この男は余に忠誠を尽くし、王国のために働いてきた男だ! 旧ブルボン派などという、正義に楯突く者であるはずがない!」
何人もの貴族が頷き、シルヴェストルも内心で安堵しかけた。が、ティエンはルイ二十五世を真っ直ぐ見据えながら言い放つ。
「では、シルヴェストルが陛下の影に隠れて何を企んでいたのか。ここで明かしてみせましょう。ヴィクトル!」
「はい」
ヴィクトルが人の群れから現れ、ティエンの隣に並んだ。続いて、グレゴワールも姿を現す。王宮関係者たちが騒つく中、ヴィクトルは一礼した。
「海務院にて航路監査官の任を預かる者として、ダラス殿に確認したいことがございます」
「……何だ」
シルヴェストルは眉を顰め、ヴィクトルは彼を射抜くように見据える。
「ダラス殿。過去一年間、交易取引は行っていましたか?」
シルヴェストルは即座に首を横に振った。
「無い」
「そうでしょうね。私の方でも確認しました」
ヴィクトルが目を瞑って頷き、シルヴェストルは腕を組んだ。当然だ。記録に残るような取引などしていない。が、ヴィクトルの話は終わらなかった。
「……あれは三日ほど前のことです。フランス海軍パリ総司令部所属の士官二名が、海務院を訪れました。話を聞けば、とある貴族と、ある密輸品の裏取引を調査しているとのこと。ある密輸品とは夢蛇。そして、その貴族というのがダラス家です」
ヴィクトルはシルヴェストルから目を逸らさず、ティエンが周囲を見渡した。
「皆様、夢蛇という幻覚剤をご存知でしょうか。東方に伝わる禁制品が、このフランスの地に密輸されていたのです。——ダラス殿。今、首を横に振りましたが……貴方こそ裏取引の張本人だ。フランス海軍も夢蛇事件の主犯格として、ダラス家を調査していたのです」
ルイ二十五世がティエンを指差して声を張り上げる。
「馬鹿馬鹿しい! 海軍の一方的な推測に過ぎぬ!」
「陛下!」
一人の職員が慌てて前に出た。王宮と警察組織との連絡役を務める男だ、額に汗を浮かべながら報告書を掲げている。
「恐れながら、警視総監から報告が届いております! ダラス家には反体制派の動きがあると、正式に誌面へ記載されております! さらに海軍総司令部とも連携して捜査を行っていたとのことです!」
「馬鹿な……」
「まだあります!」
ルイ二十五世の顔が驚愕の色に変わるも、職員は震える声で報告書を読み上げる。
「次男ドミニク・ダラス変死事件の捜査の延長で屋敷内を家宅捜査したところ、夢蛇を発見! 直ちに押収し、現在は警察管理下で厳重保管! さらに司法解剖記録には、ドミニク・ダラスには夢蛇の常習癖が見られるとの記載が確認されております!」
シルヴェストルは舌打ちを堪えて唇を固く結んだ。
——使用人ども、通報したな。
警察は自分の知らないところで包囲網は完成していた。シルヴェストルは一度深く息を吐き、顔を上げて鼻で笑った。
「夢蛇? そんなものは知らん。ドミニクが遊びで仕入れてきたものだろう。私は今日、夢蛇というものを初めて知った」
「ずいぶんと冷めた家族仲ですね」
グレゴワールの事務的な口調に貴族たちの間から小さな笑いが漏れる。シルヴェストルが唇をひん曲げるも、グレゴワールは涼しい顔で首を傾げた。
「家族といえば……代々、歴史書誌官を預かる者として私からも確認したいことがございます。十三年前のリュミエール家謀反事件のことです」
嫌な予感がした。シルヴェストルが口を開くよりも早く、古参貴族たちが顔を見合わせる。
「リュミエール家だと……」
「まさか、今さら……」
グレゴワールは片手に抱えた書類に視線を落とす。
「当時の事件記録を読み返す機会がありまして。じっくり拝読させていただきました。貴方が事件報告書を作成し、告発したそうですね」
「……それがどうした」
「粗が多かった。下手くそ」
身も蓋もない言い方に、シルヴェストルは忌々しげな顔を浮かべた。グレゴワールは指を折りながら言葉で刺していく。
「証言の整合性、記録日時、押収物の扱い。何より、肝心の動機が弱すぎる」
顔こそ彫像のように静謐だが、グレゴワールの瞳は悪魔的と言えるほど挑んだ表情を隠そうともしていない。シルヴェストルがギリリと歯を食いしばって押し黙っていると、ティエンが鏡の回廊全体を見渡して告げる。
「私は事件の真実を追うために旅を始めたのです。長い旅路でしたけど……リュミエール家が謀反を企む家ではなかった、と証明できるところまで辿り着いた。旅先で出会った仲間のおかげです」
シルヴェストルが青筋の滲みあがってきた顔で声を荒げる。
「馬鹿な、無実だと言うなら証拠でもあるのか!」
ティエンは歯を見せて笑いながら懐に手を入れた。
「あ、あるよ。今日、持ってきた」
彼が取り出したのは一つの扇子、シルヴェストルは思わず眉を顰めた。
「女物の扇子ではないか」
「ただの扇子じゃない」
ティエンは扇子を広げ、パサリという音が大きく響く。ティエンが扇子を掲げて地回りすると、広げられた扇面を見て貴族たちが騒めく。
「文字……?」
「何か書いてあるぞ」
扇子には美しい筆跡で文章が綴られていた。ティエンが玉座とシルヴェルソルに扇面を向ける。
「東洋には、扇子に文字を書く文化があるらしいですね。その文化を踏襲したもので、この扇子はリュミエール家長男が婚約者へ贈ったものです」
シルヴェストルの脳裏にロザリーの顔が浮かんだ。かつて愛して自分の元から去った女。シルヴェストルの眉間が益々深まるも、ティエンは気付かないふりで扇面へ目を落とす。
「以前、婚約者本人から託されたものです。なるほど……王宮勤めが決まったことを知らせる内容だ。つまり、彼は体制側に入る未来を見ていた。王宮就職が決まり、将来へ希望を持って、恋人に贈り物までした」
ティエンはシルヴェストルを睨みつけた。
「謀反を起こす直前の人間の行動じゃない。これはただの証拠品じゃなく、その人がどう生きていたかを証明しているものだ。こんなにも詩的な人間が、なぜ国家に牙を剥く? ……答えてくれよ」
シルヴェストルの顔が石のような固い表情になった。鏡の回廊は静まり返っている。先程まで響いていた騒ぎさえ、どこか遠くへ消えてしまったかのようだ。そんな中、玉座に座るルイ二十五世が弱々しく口を開く。
「なあ……まさか、まだあるなんて言わないよな」
もはや威厳も何も無い、ただの疲れ切った男の声。しかし、ティエンはルイ二十五世を見上げて即答する。
「まだある」
「……まだあるのか!?」
「おいおいおい!」
「勘弁してくれ!」
貴族たちの悲鳴にも似た声が飛び交う一方、シルヴェストルは玉座の傍を離れ、ティエンたちに立ちはだかるように進み出た。
「……これ以上、俺を愚弄する気か」
シルヴェストルの額に汗が滲んでいる。ティエンは肩を竦めた。
「真実を明かしてるだけだよ?」
「貴様——」
「少し、よろしいですかな」
シルヴェストルが言葉を返そうとした時、妙に威厳と落ち着きを加えた声が響き渡った。人垣が割れ、礼装姿の初老の男が現れた。ティエンが目を瞬かせ、ヴィクトルもグレゴワールも思わず振り返る。男は御前の前まで歩んで一礼する。
「私、アルマン・シャトレと申します。かつてパリ総司令部にて参謀本部司令官を務め、先日長期療養へ入られたエリオット・ド・レオパード大元帥のもとで、一族の名に懸けて側近を務めておりました。今は老耄の身。倅がボナパルト副司令官、並びに大元帥補佐の側近をしております」




