第一章② ルキフェル
それから、アントワーヌが巻き起こした一連の騒動は後に正式にこう呼称されることになる。
エリオット・レオパード海軍大元帥暗殺未遂、ならびにブレスト城襲撃事件。
記録は簡潔で冷淡だった。そこに至るまでの感情も経緯も、ほとんどが削ぎ落とされている。またルキフェルの保護、およびその血筋に関する一切の情報は機密として扱われた。海軍と王宮、双方の上層部に限られた者のみが知る極秘事項。公に語られることはない。ブレスト司令部からヴェルサイユ宮殿へ向けて緊急報告が送られると同時に、今後の対応についての審議が始まっていた。処理されていく、すべてが秩序の中へと押し込められていく。
その数日間、当の本人は城内の一室で療養していた。最低限の家具だけが置かれた部屋、簡素なベッドと机と椅子と壁際の小さな棚。ルキフェルは天井を見上げていた。何もない白い面が視界を埋める。考えようとしても思考は長く続かない、浮かんではすぐに霧散する。身体の痛みだけが顔を覗かせていた。ルキフェルが視線をずらして頬を枕に沈めると、開け放たれた窓の向こうに空が広がっていた。
——こんな色をしていたか。
そんなことを思うが、すぐにどうでもよくなって再び天井へと視線を戻す。時間の感覚が曖昧だった。朝なのか昼なのか、それすら定かではない。
「おいそれ違ぇだろ! そこはこうだって!」
「だから今は動くなって言ってんだろ馬鹿!」
壁一枚向こうから騒がしい声が響いてくる。ジャスパーとマテオのやり取りが断片的に聞こえる。怒鳴り声と呆れ声、それからコリンとニールの笑い声もセットだ。
「うるせえな、少しは静かにしろ……」
ルキフェルは眉を顰めた。耳障りだと感じるはずなのに遮断する気にもなれない。しばらくして、ひときわ大きな物音が響いた。何かが倒れたのだろう。ルキフェルは息を吐いて目を閉じると静かな寝息を立てた。やがて控えめなノックが響き、ルキフェルは瞼を開けて上体を起こし、右腕に走る鈍い痛みに顔を顰めながら息を吐いた。
「……どうぞ」
扉をそっと開けて入ってきたのは、エリオットだった。あの特徴的なコートも紺の軍服も纏っていない。簡素な衣服に身を包んだ姿は大元帥ではなく、ただの一人の男に見えた。エリオットは部屋を一瞥して近くの椅子を引き寄せ、ベッドの傍らに置いて音を立てないよう腰を下ろした。
「……気分はどうだ」
ルキフェルは固定具に包まれた右腕を一瞥して小声で応える。
「まあまあってとこだな」
沈黙が落ちた。短いはずなのに、やけに長く感じられる。ルキフェルは顔を上げてエリオットを見つめ、記憶の中の輪郭をなぞるように視線を彷徨わせた。エリオットは彼の視線を受け止めながら口元を緩める。
「……背、伸びたな」
本当はいくらでも言葉はあった。強くなったな、とか。よく生きていた、とか。——誇りに思う、とか。けれど、どれも口に出すには重すぎた。失われた時間が、そのまま言葉の重さになっていた。ルキフェルは一瞬目を細めて困ったような笑みをエリオットに向ける。
「そう? ……俺、そんなに小さかったかな」
エリオットは目を伏せて唇を結んだ。ルキフェルは彼の沈黙を計りかね、首を傾げて見つめている。言葉を探すも見つからない間が二人に横たわった。窓の外から風の音が入り込み、壁の向こうでは相変わらず誰かが騒いでいる。ルキフェルはエリオットから視線を外して天井へと向け、エリオットは寂しげな表情でルキフェルの横顔を見つめた。
——どう接すればいいのか。
ルキフェルは枕に頭を預けて独り言のように言う。
「……俺たち、どうなるんだろう」
エリオットは視線を落としながら声を潜めて言う。
「今頃、王宮では議論が白熱しているはずだ。私も近いうちに書簡を送る手筈になっている。……個人的なものだが」
「王宮、か」
ルキフェルの脳裏に浮かぶのは、あの連中の顔。ダラス家の連中の、あの視線。舌打ちが喉元まで込み上げるが、出さない代わりにルキフェルは深く息を吐いた。エリオットはルキフェルの変化に気づいているのかいないのか、あえて触れず少しだけ柔らかい声で続ける。
「何かあれば遠慮なく言いなさい。たとえば……欲しいものとか」
「欲しいもの、ね……」
ルキフェルは眉を寄せて繰り返してみるが、思い浮かばない。剣も居場所も仲間も、すでに手の中にあるのか、まだどこにもないのか分からなかった。ルキフェルが思わず唸った時、隣室から再度騒がしい声が響いてきた。途切れ途切れに届く声にルキフェルは顔を顰めて息を吐く。
「……ちょっと、仲間と話したい」
「分かった。こちらに来てもらおう」
エリオットが立ち上がると、椅子が音を立てた。エリオットの足音が遠ざかって扉が閉まる。ルキフェルは背をベッドに預けて長く息を吐いた。その瞬間、隣室の騒音がピタリと途切れた。
——ああ、偉い人を前に黙ったな。
ルキフェルは目を細めて口元を緩ませた。静寂が戻るが、先ほどまでのものとは違う。すぐにまた騒がしくなることをどこかで分かっている静けさだった。
この日以降、ルキフェルの部屋に四人が入り浸るようになる。静かなはずの療養室はもはや例外だ。マテオが片手で器用にナイフを操り、リンゴの皮を途切れさせることなく剥いている。くるくると細く長く連なる赤い皮が皿の上に落ちた。
「ほら」
マテオに皿ごと差し出され、ルキフェルは受け取らず横目で皿を見た。
「毒でも入ってんのか」
「入ってねえよ」
二人のやり取りの横でニールが分厚い本を開いている。
「だからこの陣形は、風向きを考慮して——」
「やめろ。今それ聞く気力ねえ」
「いや聞いて。これ重要だから」
「今じゃねえ」
ルキフェルが食い気味に止め、ニールは不満げに眉を寄せるもページをめくる手を止めない。窓辺ではジャスパーが外を眺めて風に髪を揺らしている。コリンはマテオの隣でしゃがみ込み、義手に取り付けられた金属ガードを撫でていた。
「ここ、見て。新しくしたんだよ。前よりも衝撃吸収が——」
「それ三回目」
「でもさ、こういうのは何度でも説明した方が——」
「分かったって」
マテオが何度遮るも、コリンは満足げに語る。ルキフェルはベッドに背を預けたまま室内を眺めた。騒がしい、まとまりがない、どうでもいい会話ばかりだ。コリンが義手の金属ガードを撫でながら口を挟む。
「そういえば、あの人。まだ尋問続いてるらしいよ」
ルキフェルはコリンに視線を向ける。
「あの人?」
「ほらマクシミリアン……じゃなくて、えっと……」
「アントワーヌか」
「そうそう。回復しながらだってさ、大変だよね」
ニールが本のページから目線を外してコリンを見つめる。
「当たり前でしょ。あれだけのことをやったんだ」
「でもさぁ……」
コリンは少しだけ言葉を濁し、マテオが剥いたリンゴを皿に追加していく。
「あの部隊の連中も、ずっと牢だってよ」
「……ソフィーも別室らしい」
ジャスパーがぼそりと呟き、空気が止まった。聞いてもどうにもならないことを知っているからだ。代わりに話題を変える。ルキフェルは視線を外してコリンに目を向けた。
「そのガード、実戦で試したのか」
「まだ。でも今度やる予定!」
「壊すなよ」
「壊さないって!」
笑いが混じるやり取りを、ニールが横目で見て鼻を鳴らした。エリオットの裁量によって、五人組にはある程度の自由が与えられている。城の外には出られないが、内部での移動は制限されていない。こうして部屋を行き来し、顔を合わせることは許されている。甘いと言えば甘い判断だったが、ルキフェルは目の前の光景を見て思う。——それでいい。ナイフの音、本のページをめくる音、誰かのため息と誰かの笑い声が混ざり合い、部屋を満たしている。静かではないが、悪くはなかった。ジャスパーがふいに窓辺から振り返った。
「そういや、おれたちと一緒にいていいのか? 親父さんは」
ルキフェルは少しだけ目を細めて肩を揺らす。
「さあな。どう接すればいいのやら、こっちも分からん」
コリンがぱっと顔を上げた。
「でも、ルキフェルは分かるんでしょ? あの大元帥が父親だって」
ルキフェルは一瞬視線を落として頷いた。
「ああ、あの人の顔……昔、近くで見ていた」
ニールが本を閉じ、ぱたりと乾いた音が響いた。ルキフェルは四人を順に見渡して言いにくそうに口を開く。
「……父親が海軍の人間で、しかも貴族だ。で、俺は今じゃ海賊。お前たち、驚かないのか」
ジャスパーは少しだけ首を傾げる。
「んー……まあ、驚きはしたけど。お前、庶民の出じゃねえだろってのは話してたし」
「そうそう」
ニールがすぐに乗り、マテオがやり取りを横目に見ながら剥いたリンゴを山盛りにしている。
「ほら」
マテオが半ば押しつけるように皿を差し出し、ルキフェルは渋い顔で受け取る。マテオはナイフを拭きながら肩をすくめた。
「ま、いいだろ。要するに、オレたちはお前の親父が誰だとか、血筋がどうだとか。そんなもん、今さら気にしてねえ」
「……そうか」
ルキフェルはリンゴを一つ摘んで見下ろし、恐る恐る一口かじった。ほんのりとした甘さと瑞々しさがじゅわりと口の中に広がる。やがて扉が小気味よくノックされた。エリオットが入室してきた瞬間、四人は示し合わせたように立ち上がる。
「あ、ちょっと用事思い出したわ」
「僕も」
「……行く」
「またあとでね」
皆、口々にそんなことを言いながら手際よく部屋を出ていった。ルキフェルは彼らの背中を見送りながら苦笑する。
「……気遣いが露骨すぎるだろ、あいつら」
エリオットは傍に退いて四人を通すと、ジャスパーが「んじゃ」と室内に向かって扉を閉めた。エリオットはルキフェルの寝台に寄ると椅子を引いて腰を下ろす。沈黙が落ちるが、前ほど重くはなかった。言葉は少ないままでも、少しずつ距離を測っている。ルキフェルはもどかしさで視線を落とした。父さんと呼ぶべきか、呼んでいいのか。頭のどこかで引っかかっている。その時、エリオットが不意に口を開く。
「昔、誕生日にやった首飾りのことを覚えているか」
「……首飾り?」
ルキフェルは首を傾げ、目を閉じて眉を寄せた。暗闇の中で何か掴もうとして記憶の奥へ手を伸ばすが、何も掴めない。形すら見えず、後ろめたさだけが残る。やがて、ルキフェルは顔を上げてエリオットに苦笑する。
「悪いな、やっぱり思い出せないや。……ごめん」
エリオットは息を詰めて目を伏せた。脳裏に浮かぶのはあの首飾りだ。龍と蛇の銀細工、青い石。そして今、それを身につけている女性の姿。言うべきか、ソフィーのことを、幼馴染という言葉を。エリオットは首を横に振ってルキフェルを見た。
「いや……いいんだ。それより……幼馴染のことだが」
「ああ、アントワーヌだろ。あいつ、尋問続きだって聞いたよ。疲れてないか? 怪我の具合は」
ルキフェルは身を起こして矢継ぎ早に聞き、エリオットは一瞬息を呑むも頷く。
「ああ……彼なら耐えている」
ルキフェルは胸を撫で下ろすと笑みを浮かべた。
「それならいい。また話したいから、あいつと」
エリオットは柔らかく笑うルキフェルの顔を見つめていると、胸の奥に痛みが走った。
——アントワーヌが隠しているのなら。ラウルのことも、ソフィーには。
血筋の問題は国家機密だ。限られた者しか知り得ない。そう、理屈は整っているが、それでもなお何かを誤魔化している感覚が消えなかった。エリオットは息を吐いて声をかける。
「……無理はするな。回復を優先しろ」
「ああ」
ルキフェルはこくりと頷くと二人の間で少し会話が続き、やがて途切れた。しんとした静けさが再び部屋に落ち、エリオットはゆっくりと立ち上がって扉へ向かう。
「今日はここまでだな」
ルキフェルはエリオットの背中を見ていた時、不意に胸の奥が引き攣って記憶が掬い上げられた。扉が開く音、去っていく背中、残される静けさ。小さな自分が何も言えずに立ち尽くしている。——あの時と同じ。
「あ……待って、父さん!」
ルキフェルのクリアな声が部屋に広がった。エリオットは目を皿のようにして驚くと足をピタリと止めた。
——“父さん”。
エリオットはルキフェルを振り返ると、体の内側から灯がともったような表情で訊く。
「……どうした?」
「あ、えっと……」
ルキフェルはしどろもどろに目を泳がせた。自分が何を言おうとしたのか、分からなくなる。引き止めたかっただけなのに、理由が見つからない。ルキフェルが布団に視線を落とすと、皿に乗って剥かれたリンゴが目に入った。ルキフェルは咄嗟に左手を伸ばして皿を持ち上げると、頬を引き攣らせて笑う。
「……食べていかないか。仲間が剥いてくれたんだけど……その、あんまり食欲なくてさ。食べ切れなくて……」
エリオットはルキフェルを見つめ、ふっと息を漏らして吹き出した。
「……そうか。分かった、もう少しいるよ」
エリオットが扉の取手から手を離すと、再び椅子へと戻って腰を下ろした。ルキフェルは胸を撫で下ろして皿を差し出すと、エリオットはリンゴの山から一切れを取り上げ、しばし眺めてから口に運んだ。控えめな咀嚼音が部屋に生活の気配を連れ戻す。ルキフェルは喜びを瞼に浮かべてエリオットの様子を見ていた。音が止むと、エリオットはルキフェルに目を向けた。
「父さん、か。そういえば、君を育てた人は……誰だ」
ルキフェルは一瞬言葉を失うも、目を伏せてぽつりぽつりと語り出す。
「……フランソワと、もう一人。東洋人だ」
エリオットの顔がみるみる緊張してくる。
「……フランソワ」
「そう、世間じゃ大海賊だ。でもな、俺を育ててくれたのは、あの人たちだ。……立派な人たちだった」
ルキフェルはこれまでの人生を拙くも語り出した。フランソワのもとで過ごした日々、クォーターマスターとしての仕事、海の上での生活。語るほどに時間が積み重なっていき、エリオットの胸の内にもまた別の積み重ねがあった。国家としての判断、海賊討伐、フランソワに対して取ってきた数々の行動が今になって重くのしかかる。やがて、ルキフェルは過去を綴る言葉を切って顔を曇らせた。
「……それから、俺は復讐者になった。アントワーヌの部隊も、海軍の船も……襲ったのは、全部俺の独断だ。……すまなかった」
エリオットは手を伸ばし、固定されたルキフェルの右腕にそっと触れた。
「謝るべきは俺の方だ。我々の思想と判断が……君たちの、大切な人間を追い詰めた。……申し訳ない」
ルキフェルはエリオットの手を見つめ、触れるかどうか逡巡してから左手を伸ばし、エリオットの手の甲にそっと重ねた。同じ者を想う沈黙が落ち、エリオットが口を開く。
「そうか。フランソワと、その東洋人が……君をここまで育てたのだな」
ルキフェルは頷いて付け加える。
「それと……後から知ったことだけど、あの夜に俺を連れ出した奴がいる。……ゼフィランサスだ」
エリオットは驚きで目を見張って声を震わせる。
「……ゼフィール?」
「あの人が、俺に“ルキフェル”って名前をくれた。フランソワとあの東洋人と船を降りるまで、ほとんど話したことはなかったけど」
エリオットの顔が急激に曇り、思わず目を伏せた。
——記憶と記録が食い違っている。これは……見直す必要があるな。
ルキフェルはエリオットの手を強く握って切羽詰まった声で吐き出す。
「父さん。俺は、あの夜……誰かに襲われた。顔の傷も、その時のものだ。死ぬかもしれないって思った時、女の人が、飛び込んできて……たぶん、あの人が——」
「ラウル」
エリオットが柔らかい声で遮り、ルキフェルは目を見張って口を継ぐんだ。エリオットはルキフェルの顔を覗き込んで首を横に振る。
「無理に話さなくていい」
ルキフェルは悲愴な面持ちで俯く。
「……わかった」
ルキフェルは窓の向こうに目を向けた。空が広がっている。変わらない色、変わらない高さ。自分の正体を知った、父のことも知った。過去も少しずつだが言葉にした。底に沈んでいたものが掬い上げられつつある。それでも足りない。ルキフェルの瞼の裏に、別の影が浮かんだ。金色の髪、暗がりの中でもはっきりと分かる柔らかな輪郭、青の奥に宿っていた緑の色。自分を庇って、飛び込んできた姿。あの時の焦り、必死さ、震え。本来なら思い出すのも苦しいはずなのに、もっと知りたい。ルキフェルはエリオットに目を向けると、エリオットが首を傾げた。
「……どんな人だった? 母親」
ルキフェルが恐る恐る訊ねると、エリオットは少しだけ目を細めて口元を緩ませた。
「……強かった。俺にも臆せず言いたいことを言う人で、叱咤も激励も遠慮がなかった。それでも、いつもお前のことを気にかけていた。……愛していたよ」
ルキフェルは食い入るようにエリオットを見ていると、エリオットが「あっ」と声を漏らして言う。
「それと、君の母さんは音楽家系だった」
「音楽?」
「そう、よく歌っていた。柔らかく澄んだ声で……あの声を今でも覚えている」
ルキフェルは目を丸くした後、目を伏せてぽつりと呟く。
「……昔のこと、もっと知りたい。母親のことも」
「そうだな。せっかくなら、楽しい話の方が——」
「楽しくなくてもいい。昔の俺が、どんな子供だったのか……知りたいんだ」
「……たとえば?」
エリオットが躊躇いがちに聞くと、ルキフェルは布団をグシャリと掴みながら言う。
「たまに過呼吸になるんだ。今はだいぶ落ち着いたけど、昔の方がひどかった。それとこの顔だからか、見られることに抵抗があって……でも、それだけじゃない気がする。なんで記憶もないのに身体が反応するのか知りたい」
エリオットは顔を陰鬱に沈み込ませてルキフェルの横顔を見つめたあと、深いため息を吐いてから安堵の微笑を漏らす。
「いくつかあるにはあるが、今はもう少し休もう。続きは公務が終わったあと。……夜、また来るよ。その時に話そうか」
ルキフェルは目線を上げ、エリオットに嵐の後の空のような朗らかな顔を見せた。
「——約束だよ」
「ああ、約束だ」
それからエリオットは今度こそ部屋を出ていった。扉向こう、足音が遠ざかって静寂が戻る。ルキフェルは残ったリンゴの皿をサイドテーブルへと置き、ベッドに身を沈めて天井を見上げる。ぼんやりとした視界の中で小さく繰り返す。
「……約束、か」
——何か引っかかる、けど暗いまま。暗い中を無理に探す必要はない。それより……。
ルキフェルは深呼吸すると、やや青白い皮膚の下からリンゴの皮が照り出した。




